藝術が人々に呼び起こす感動は、生きる意欲、何事かを成し遂げる意志につながっていく。定家、兼好、世阿弥、一休、利休、光悦、武蔵、蕪村らに企業経営のあり方を学ぶ。
近-現代的理性の性癖となった空間の支配、克服というニーチェ的アポリア-。「あらゆる芸術は彫刻的なものである」というテーゼを軸に、単なる対象として芸術作品を扱うプラトン以来の美学の因習からの脱却を図り、ハイデッガーから発展的に継承した現象学的存在論(『芸術』としての空間-空間としての『芸術』)の犀利な多角的具陳から、芸術観・世界観の新たなる地平を開拓する。
本書は、近代科学批評、現代文明批評を一つの焦点に据えつつ、神話の真理と自然哲学のアクテュアリティを模索しようとするものである。
芸術工学は「間に合う便利や」を創るのでなく、目的意識をもった人材を時間をかけて創るのである。
芸術と経営の接点は、それぞれの教育基礎に回帰し、己の人生観・世界観を探すこと。それを実感する方法は、ドラッカー、グローバル教育、歌舞伎、空港美術館などをテーマにして、当事者意識で、擦り合わせの技芸を磨き、超える力を己の中に培い、そして「“未来の場”づくり」へと自己開発すること。本書は芸術と経営の両分野を繋ぐ見えない糸(価値)を手繰り寄せる一つの試みである。
まさに日芸魂の「はみだすチカラ」で成功をおさめた13人の壮絶な戦いのドラマである。彼らは、映画、芝居、漫談、写真、広告、ナレーション、ロボット、政界と様々な世界で奔放に痛快に暴れまくる。
この20年を彩ったメディア芸術のベストセレクション作品解説と、都内全域に広がるメディア芸術スポット101施設のガイド、マップ付。
巨匠のナラティヴによって芸術を定義しうる時代が終わったポスト・ヒストリカルな現代に可能な美術評論の原理とは? 芸術の哲学的歴史観を踏まえ、「芸術とはなにか」を探究したダントーの予言的著作ついに邦訳。
緒言 7
謝辞 14
第一章 序論 --モダン、ポストモダン、コンテンポラリー 23
第二章 芸術の終焉のあとの三十年間 51
第三章 巨匠のナラティヴと評論の原理 80
第四章 モダニズムと純粋芸術批判 --クレメント・グリーンバーグの歴史像 109
第五章 美学から美術評論へ 137
第六章 絵画、そして歴史の境界 --純粋なものの消滅 167
第七章 ポップ・アートと過ぎ去った未来 192
第八章 絵画、政治、そしてポスト・ヒストリカルな芸術 218
第九章 モノクローム芸術の歴史博物館 244
第十章 美術館と渇いた大衆 278
第十一章 歴史のさまざまな様相 --可能性と喜劇 303
訳注 345
解説 山田忠彰 348
あとがき 359
索引 I
和辻哲郎が論じた風土と環境から読み解く、芸術人類学の新たなる試み!
近代資本主義下の科学と科学技術に支配された人間と時代の病弊を芸術と芸術家に論及し暴き出し、プラトン、ゲーテ、ユングらを援用しつつ、真の芸術と呼ぶ創造的営為および人間的回復への方途を探った記念碑的著作。
近代美術を退廃と決めつけた「美術あらし」は、ドイツ全国の美術品、支持者の美術館長、作者、ユダヤ系芸術家を吹き飛ばし、美術品焼却事件まで引き起こす。ナチ体制が、健全な美術としたものは何か。その退廃と健全を象徴する2つの大展覧会を中心にナチ前夜から戦後までの歴史を詳細に追いながら、笑うことのできない集団心理と、芸術とは何かを問う。
20世紀ー機械の時代、網目構造のメディアの時代ー。モダニズムからポストモダニズムまで、芸術・デザインの実践と思想の変遷を追う。
本書は、〈存在論的エートス論〉と〈世界述語論〉を構造契機とする〈存在論〉の枠組みにおける芸術的なるものの存在論的研究であり、プラトンにおける〈解釈〉の問題に手を染めて以来〈存在と意味〉という問題意識のもとに考察してきたものの一つの流れを芸術的なるものの存在論的位置づけを中心として綜合したものである。