伝統的な日本語では用いられにくいと論じられてきた、「コピー用紙が、私の手を切った」「あの事件は、彼を驚かした」のような、無生物主語の他動詞文。現代日本の文学作品と新聞社説から豊富な用例を取り出し、中国語との対照も視野に入れて、タイプや特徴を分析。現代日本語における無生物主語他動詞文に関する現象に、新たな研究成果をもたらした書。
様々なバックグラウンドを持つ香港に生きる人々は、デモの中でどのように生きてきたのか。
「民主派 vs 親中派」「和理非派 vs 勇武派」では語り尽くせない、14人それぞれの物語。
香港で起きていることは米中関係や中国の台頭と言った「大きな視点」に集約されがちで、実際に現場でどのような事件が起きてきたかはあまり知られていない。しかし 抗議活動が日常化していった香港では、「大きな視点」では語りきれず、「反政府」・「政府支持」というラベリングでは一括りにできない様々な人々の思いが交錯してきた。香港で何が起き、そして香港という現場にいる人々は生活の中で何を見てきたのかを知り、そのことで暮らしの横に政治があり続けてきた香港という都市、そしてその香港で「自由が失われる」と叫ぶ人々の言う「自由」とは一体何であるのかを共に見つめ直す。
好評を博した、トリリンガルで本格的な文法書の改訂版。
監修者に、日本における中国語の権威で、長くEテレで講師を務められた相原茂先生を迎えた。
タイトルにあるように日本語・中国語に英語まで対比項に加え、性質の異なる三言語を比較し、
中国語の語彙、文成分、品詞、文型など、必要項目を余さず網羅、今回は索引も付記した。
さらに世界の中国語教育の最終的なよりどころである「現代漢語辞典」に準拠している点も
この本の特徴である。
「文法」が日本語を迫害している。「主語がよく省略される」から「非論理的」まで、100年にわたり「日本語」に貼られてきたレッテルを一刀両断する! 「愛らしい」「赤ん坊だ」「泣いた」--日本語の基本文はこの3種で必要十分である。英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を完璧に論破する、すべての日本語話者、必携の書。(講談社選書メチエ)
日本語文法の常識を覆す、画期的日本語論。日本語は曖昧な言語ではない。曖昧に見えるのは、英語文法をむりやり当てはめるからだ。海外で長年日本語教育にたずさわる著者が明解に説く、「日本語の真実」。
序章 モントリオールの日本語教室から
第1章 日本語に人称代名詞という品詞はいらない
第2章 日本語に主語という概念はいらない
第3章 助詞「は」をめぐる誤解
第4章 生成文法からみた主語論
第5章 日本語の自動詞/他動詞をめぐる誤解
終章 モントリオールから訴える
文法が似ているから中国語と英語は一緒に学べる!英語と中国語を両方学びたい人のための並行学習書。比べて納得。耳で聞いてすぐに話せる。トリリンガルへの第一歩。
日本語には主語もコプラも無い。述語制の言語である。なのに、なぜ、国語学者たちは主語があると言い続け、学校文法で嘘を教え続けるのか?「国語」の文法言説を根底から批判考察し、国家語化された主語制言語様式の国家資本を組み替える“述語制言語様式”の言語理論を生産すべく、日本の文化資本・文化技術を言語本質から考究。松下大三郎、佐久間鼎、三上章から本居宣長・春庭、富士谷成章・御杖、鈴木朖、賀茂真淵・契沖など近世述語的言語言説へ遡及し、“現代社会”の閉塞根源を明証にする言語革命の大著全3巻の序説。日本思想を理論転移する概念空間を開示。
啓蒙主義の本家フランスには啓蒙主義という言葉がない。日本にはもともと主語という言葉はなかった。目からウロコの文芸評論エッセイ10篇。ドイツ文学者ならではの日本文学再発見。
学校英語というと実際の英語と違う、実用的でないというような不信感が一般にはあるようだ。またそのあたりの心理を上手に使う人もいる。「君子は器ならず」という言葉を思い起こしてほしい。学校英語は具体的な実用を目的とはしない。実際の形ではなく型を学習するのだ。いわば土造りである。良い土が前提となって木が成長し実がなるのだ。すなわち五文型と8品詞だ。個人的印象では英文の七八割は第三文型までではないか。基本的文法を習いながら教科書を繰り返し音読、書き取り、基本的文法事項を使った英作を学習するのが第一歩である。
改訂学習指導要領で、小学1年の国語は週9時間になる!小1プロブレムといわれる子どもに、教科書の見開き2ページを何時間かければいいのだ?本書は“そのカギ”を具体的な授業例入りで紹介。
生徒とともに歩み続けた教育者が綴る日々の随想。
役立つデザイン情報を集約したデザイン誌特集:Citiezen Centered Design デザインがもたらす範疇や対象が「社会」というフィールドに広がっています。こうした分野が抱える複雑な課題への対処を考えたとき、Citizen Centerd Designという?葉が浮かびあがりました。Citizen Centerd Designとは、「個」ではなく、「?びと」というより多義的な層と向き合い、デザインを本来のニーズに寄り添ったかたちに近づけるアプローチです。多くの人びとの思いを取り残さず、デザインの上流工程においてつくり手と使い手が協働し、互いに納得できる解を引き出す。そうしたアプローチは、ひとりひとりがプレイヤーとして欲しい未来を?分たちの?でつくりあげるという意識を促し、同時に、迅速で公平性を伴ったソーシャルイノベーションを加速させていくことでしょう。今号の特集では、「?びと」を主語に置いたCitizen Centerd Designの考え方とその実践事例を追います。
日本語に「主語」はない。それどころか、英語における「主語」の概念すら、実は歴史上遅れて発生した特殊なものなのだ。「主語」は普遍性を持たない文法概念なのである!千年の言語史を遡行して、「天」の言語と「地」の言語を説き明かす、壮大な比較文法論。
日本語は非論理的な言語ではない。文法が英語とは違うだけだ。日本語の文法構造を初めて合理的に解明した画期的三上文法。その先駆性ゆえに長らく不遇を託っていた「街の語学者」の生涯をカナダ在住の日本語学者が敬愛を込めて描く。