マネージャーの佳月は新進気鋭のカメラマン・一真のところに撮影依頼に行く。それは担当モデルの泰斗を売り出すためだった。だが「男は寝れないから撮らない」と言い放つ一真に仕事に厳しく手段を選ばない佳月は、ある賭けを持ちかける。夜の公園で誘うように挑発する佳月に、乗せられる形で激しく抱いてしまう一真。淫らに振る舞う佳月のことを忘れられず仕事を引き受けるのだが…。大人の甘く、激しい視線の駆け引き-誘惑の危険な罠。
構造主義人類学の本質と独創性がみごとに発揮されたすぐれた民族学入門。文明社会の《自由=非拘束》の幻想をうち破り、真の自発性を確保する画期的文明論。
ラカンの矛盾や不透明な部分にこそ彼を理解する鍵があるとして、19世紀の心理-生理学のエピステモロジーにラカンがいかに深く負っているかを、彼の視覚論が(目に見えぬ)「小説性」と交錯する地点で捉えていこうとする斬新な試み。初期ラカンの視覚論を批判し、それがヒステリーと小説の問題系を巧みに抑圧している事態を独自の発想(「眼の自己愛の装置」など)で明らかにする。構造主義という思潮にからめてラカンとフーコーの橋渡しをする。
時を越えるまなざし。初公開の創作メモ、ゴダールとの対話、都市・メディア論。「映像の詩人」ヴェンダースが物語をつくる夢の力を論じ、思索家としての姿を表わした全ての創造的行為に関心を持つ人々のための書。
戦前・戦後、二つの半世紀に日本人は一体何をしてきたのか。視線をクロスして、境界を越えつつ、21世紀の未来を考える、数々の試みがここにはある。韓国・北朝鮮・中国・香港・台湾・サハリン・ベトナム・タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシア・フィリピン・南太平洋などの、広域に及んだ植民地文化と抵抗のあり方を、概括的に知るための本。
「他者」への視線を読み直す。視線の背後に潜む西洋(男性)中心主義と現代のポストコロニアル的状況を最新の知で脱構築。人種・国境・ジェンダーに囚われずに生きるための文学・文化論。
瞳は中学三年に進級した。担任は今春転任してきた吉村正道。音楽の教師だった。始業式早々、瞳は吉村に目をつけられたらしい。面と向かって「おまえは要注意人物だ」と言い、難癖をつけてきた。瞳は吉村に不信感を持つが、その不満げな態度を見た吉村はますます怒りをつのらせる。やがて吉村の瞳いびりはクラス中に知れ渡るほどになった。「こんなことで負けたくない」瞳の戦いが始まった。
松田智雄、小林昇、長幸男が語る自らの学問形成と賀川豊彦、高野岩三郎など大塚久雄と同時代を生きた知識人たちのプロフィール。
両親が離婚した本当の理由を知った香苗は、家庭を崩壊させた男への報復を決意する。果たしてその男は、三年前に敵対調査で香苗の家族を標的にした総合探偵社イーグルサーチの探偵なのか。それとも…。
近代資本制の発展とともに遍在化し、人びとが生きる社会的空間をたえず再編制・構造化しつづける都市。不可視であると同時にすぐそこにあり、空虚であることによって無限に意味を生成するメディアの場であるそれは、人やモノ、記号や情報の加速度的な交通の果てに今日の大衆消費社会を用意した。都市論の系譜学、東京論の射程、視線が禁止される郊外、都市の境界線の視角から都市の性質を解明し、そこに生きる人びとの振る舞いを紡ぎ出す。社会学、都市論、メディア論、記号論、構造論を横断して、思考のハイブリッドとパラドキシカルな論証方法から社会のトポス=都市の現在形を究明する論考集。
絵画の中に永遠に封じ込まれた空想建築。その世界は、独特の繊細かつ緻密な表現による具象画のリアルな空気をもつ一方で、常に静寂に満ち、現実の世界とは相容れない不思議な時空間を作り出す。そこに建ちそびえる建築の姿は、建造と修復、そして解体が同時進行し、終わりのない未完の印象を私たちに与える。過去、現在、未来が混在し、完成=誕生せぬまま生成しつづけ、同時に解体しつづける、「永遠の時間」-。1986年のSTILL-静かな庭園ーから、2004年POINTS OF VIEW-視線の変遷ーに至るまで、ドローイング等を含む、画家自選による約200点を収録。
“窓”は人間の「見る」行為と深く関わる。古代エジプトから20世紀まで、西洋の“窓”の変遷に伴い、人間の自我意識がどのように変わっていったかを、多くの絵画・文学作品を援用しつつ明らかにする。著者30年にわたるライフワークここに結実。