なぜピカソは70歳代で子供をつくれたのか。その理由を説く著者の脳の「こころのコア」研究は若さの秘訣を解き明かし、私たちに元気を与えてくれる。
江戸八百八町の頂点に位置する美女衆が絶滅、否、絶珍の危機に瀕している。これを救えるのは巨根絶倫男の貫太だけ!まずは吉原遊郭で巨根を磨き上げ、いざ美女衆のメッカ・江戸城大奥に!自らを慰めるしか術のない、哀れな禁男の美女三千人を自慢の巨根で昇天させるべく、SEXジェノサイドの幕が今、開かれる…。『野望篇』に続く痛快時代性道遍歴、堂々完結。
個人的な情感をうたう和歌。しかし万葉の昔より、和歌を詠む営みは世界から隔絶された孤独なものでなく、むしろ共同作業的な色彩が強いものだった。本書は、万葉集から新古今集までの古代和歌を中心に、日本の短詩形文学の共同性に焦点をあてる。様々な人間関係のなかで生み出された類歌や歌言葉、掛詞や見立てなど、表現技法が歴史のなかに蓄積されて和歌を支えるさまを、見事に描きだす。古代文学研究の第一人者が、日本の短詩形文学がもつ様式美の源泉に迫り、その構造と成立過程を丹念に説く明快な入門書。
離婚して去った父の突然の訃報ー。高校生のイサキが訪ねた父の家には、義兄の啓斗がいた。写真家だった父のモデルをずっと務めていた啓斗。嫉妬を感じたイサキは息子の権利を主張し、啓斗の家に押しかける。だが、何かとつっかかるイサキに、啓斗は包みこむような眼差しを向ける。イサキは次第に苛立ちよりも、甘やかな当惑を感じるようになるが…。スイート・ロマンス。
本書は作品でもあるしコレクションでもあるし、そうでないかもしれない。絵もこんな風に描けたら最高だと思う。絵が作品なのか日常のコレクションなのか区別がつかなくなれば、ぼくの絵は愛と呼べよう。この写真日記はある1年の愛の形であると信じている。
寺社奉行の支配下、古書画鑑定を業とする古筆見の了延は、京の寺宝御開帳へ出かけるたびに、憑かれたように書画に見入る若者の姿が気になった。書画にどうしようもなく魅かれるというその若者・平蔵の才能を見て取った了延は、内弟子にすることに。了延のもとで平蔵はその才能を開花させ始めるが…。京を舞台に、美に生きる人間模様を描いた表題作他、漂泊の武士を哀感豊かに描く「天路の枕」を併録。
義侠とプライド道連れに舌先三寸詐欺稼業。騙したつもりが惚れられて、天下一品笑顔の愛嬌。アメリカ大陸股旅暮らし。追いつ追われつ大金奪取の大攻防。どこで死のうと風まかせ。“伝説の詐欺師エル・ドゥロ”の名口上。「人生のうちで重要なことはほとんどないに等しいんだ。何が起こったって、べつにおたつくことはねえやね」愉快痛快ちょっぴり哀切のコンゲーム小説。
太宰逝って半世紀、ますます評価の高まる太宰文学の新たな読み直しに向けて、新発見の草稿をも増補し、全著作をジャンル別、発表年代順に再編した決定版全集。本巻には、新発見書簡7通、関係書簡などを収録。
「民」という字の本当の意味は?「料理」は中国人に通じない?「銀行」は何語?「熊の掌」はうまいのか?などなど、長年代々木ゼミナールで大人気漢文講義を続けてきた著者が、食の話、糞尿譚、残酷誌など豊富なエピソードで、一見小難しい漢文を楽に楽しく読み解く方法を伝授。
浅草は奥山の生人形、西洋油画を並べた油絵茶屋、パノラマ館での戦争体験、掛け軸になった写真…19世紀日本のエロ、グロ、ナンセンス。細工師の手になる奇々怪々な造形表現のかずかずは、市井の人びとはもちろん、外国人をも驚かせ魅了したが、それにもかかわらず、西洋文明に倣えの近代化が押し進められる渦中で排除され、やがて歴史に埋もれてしまう。美術という基準からはずれたアウトローを掘り出し、幕末・明治の驚くべき想像力を検証する、転換期の日本美術への新たな視座。図版多数。
ホンマグロの水揚げ日本一を誇る宮城県塩釜は、寿司屋密度も全国一。その中でも人気抜群の「すし哲」。-「まっとうな値段で、ホンモノの味を知ってほしい」という、主人・白幡恭三さんの握る寿司と人柄、真摯な生き方に魅かれた著者が、思いの丈をこめて綴る味わい深い一冊。
いつもひとりぼっちのオルソン。でも春になって目がさめたとき…。森でおこった、ふしぎなふしぎな物語。5歳以上。
一本の柱に垂直性を、複数の柱がかこむ間(ま)に水平的展開を見る著者は、優れた日本建築と庭園を渉猟し、その空間の特質を、多彩な美とともに示し、日本人の空間意識や空間意匠における間の重要性を解きあかす。名論文、待望の再録成る。