波紋が広がるように、同心円状の街区をもつ成都。中心の成都旧城に隣接する周縁部は、かつての成都郊外にあたり、現在では市街部と一体化しています。そして成都最大の魅力のひとつである「パンダ研究基地」、文人に愛された「望江楼」や、杜甫ゆかりの「浣花渓」、周代にさかのぼる道教寺院「青羊宮」、皇帝陵墓の「永陵」というように、魅力的な景勝地が点在します。西部大開発の中心地でもある開発区もふくめ、成都周縁部の見どころを紹介します。かんたんな図版、地図計22点収録。
【おまけ】まちごとチャイナ『四川省004成都周縁部』とスマホアプリ上で連動して使えるPDF(日本語)の「成都地下鉄路線図」、「成都空港案内」の無料ダウンロードリンクつき。
【印刷版限定】印刷版は「旅行ガイド」と「ノート」の要素をくみあわせたノートブック版。ネットで調べた情報を書き込める白地図集つき。
京に聳える謎深き二山
丈山と羅山の去就を探る旅
2006年発表の恋愛シミュレーション・ゲーム『true tears』を基にしたアニメ『true tears』のサウンドトラック。アニメを盛り上げるハイクオリティのサウンドが繰り広げられている。
石川正弁護士の古稀を祝して捧げる論文集。行政法・憲法などの公法分野、民事手続や倒産法、会社法や契約実務など多方面の分野の気鋭の研究者や実務家が集い編んだ珠玉の論文集。
AIの影響により、手を抜いて相手よりも良いところへ先回りすることが重要視されている現代の囲碁に於いては、捨て石の活用は必須のことである。ただ捨て石の解説書は少なく、それも捨て石のテクニックといった内容のものが多い。しかし本書は、捨て石の考え方についての解説書であり、限られた局面に限らず、様々な場面で応用できる考え方が身に付くように構成した。上級者や高段者がより強くなるためには必読の書である。
楽しかったり、いじけたりしながらAmericaで暮らしたまいにち!放射線科医が(North Carolinaの名門)Duke大学への留学体験を、世紀末の喧騒をよそにnostalgicに時にironicに書いたrawなAmerica滞在記。
文学史そのものを小説にする「日本文学盛衰史」の次なるテーマは「戦後文学」。誰にも読まれなくなった難物を、ロックンロールやパンク、ラップにのせ、ブログやtwitter、YouTubeまで使って揉みほぐす。そんなある日、タカハシさんは「戦災」に遭う……。
「文学なんてもうありませんよ」
文学史そのものを小説にする「日本文学盛衰史」の次なるテーマは「戦後文学」。誰にも読まれなくなった難物を、ロックンロールやパンク、ラップにのせ、ブログやtwitter、YouTubeまで使って揉みほぐす。そんなある日、タカハシさんは「戦災」に遭う……。
オオオカ きみは死んだ。ぼくも死んだ。幸いなことに、ぼくもきみも全集は出版された。けれど、いまや、ぼくたちの読者も少ない。というか、文学そのものが風前の灯だ。
コバヤシ わかった。テレビに駆逐されたんだろう。待てよ、マンガかな。SF……ミステリー……あと、何があったっけ。
オオオカ 違うんだ、こばやし。パソコンと携帯電話だよ、文学を滅ぼそうとしているのは。
コバヤシ わけがわからん。ぱそこんに電話? それと文学にどんな関係があるの。
オオオカ アップルがマッキントッシュを発売したのが、きみが亡くなった翌年だものね。きみに理解できないのも無理はない。だが、そんな説明をする必要はあるまい。こばやし。
コバヤシ なに?
オオオカ もう、本は売れんぞ。
ーー「twitter上にて・続」より
ナショナリズムと一見無縁なモーツァルトのイメージや作品を、ナチスはいかに政治的に利用していったか。文化の歪曲の実態とユダヤ系音楽家・学者たちの苦闘を、オーストリア併合以前から戦後の軋轢まで、膨大な資料から検証する。
離婚事件に必要な知識や実践的ノウハウをわかりやすく解説した一冊。第一線で活躍している弁護士、地裁・家裁裁判官が具体的な事例に基づき解説を加えています。
やっと決まった就職先 上司はなんと神様だった…!!
水神 導は、とある不動産会社に採用が決まり大喜び。ところがそこは「あやかし専門」の不動産会社だった。さらに、上司は超絶美形でオレサマの神様(神様の2文字の上に強調点・・)で…!? 「晴明さんちの不憫な大家」、「悪役令嬢は『萌え』を浴びるほど摂取したい!」の烏丸紫明のオリジナル原作を、和泉宗谷がコミカライズ!あやかしと人間が織り成す、賑やかで穏やかな物語。
●診断のつけ難い統合失調症周辺の症例を検討する
●重症の対人恐怖症、離人症と統合失調症の間には多様な症例があり、診断も難しく医師によって意見が分かれ、様々に論じられてきた領域である。本書ではこうした診断のつけ難い領域にある種々の症例を取り上げ検討する。
●目次
第 I 部 面接による患者理解
序章 会話による理解とその研究
第一章 精神と身体
第二章 精神医学における精神病理学と生物学的精神医学ー統合失調症を中心として
第 II 部 重症の対人恐怖症および離人症
第三章 視線恐怖と自己視線妄想ー思春期妄想、重症対人恐怖症
第四章 離人症状ーその統合失調症、うつ病および神経症における意味
第五章 重症の離人症ー内因性若年無力性不全症候群例と「自然な自明性の喪失」症候例との比較を通して
第六章 ドゥ・クレランボー症候群
第 III 部 統合失調症
第七章 統合失調症像の時代による変遷
第八章 「自分が異常である」と訴える統合失調症について
第九章 統合失調症と「重症」離人症との連続性についてー離人症状及び思考の聴覚化を手懸かりとして
第十章 思春期妄想症の重症例と統合失調症との関連について
あとがき/索引
『解説』
統合失調症は「病識がない」ため、自ら治療を求めることは少ないと言われてきた。離人症、および対人恐怖症と統合失調症との関連を考えさせられる例の中には、自分の状態を何とか改善したいと自ら治療を望む症例もある。そうした例を以前論文に著したことがあり、今回、その一部を集めた。(中略)
現在のわが国における精神医学界には、ICD(国際疾病分類)やDSM(米国精神医学会による診断と統計マニュアル)が普及し、学会とか役所に提出する文書はこうした基準による診断を付さなければならないことが多くなった。たしかに同じ症例をある人はA、ある人はBといったように、診断が分かれることがあるため、あらかじめ項目を決めておいて、この五つのうちの三つ以上の項目にあてはまればA、といったように約束事を作っておけば意見の分かれることは少ない。そうした操作的診断は、生物学的研究とか統計的研究には便利であるし、そうした方法により、たとえば薬物の開発が進むならばそれはそれでよいことである。
一方ではそうした操作的診断法によると、病気の本質とまでは言わないまでも、病気の輪郭がイメージしにくい欠点はある。改訂を重ねれば、そうした欠点も次第に克服されることを期待するのであるが、なかなか期待通りには進まない。そこで精神科の場合多くの臨床医は公式(?)用のICD、あるいはDSMの他に、日常診療では伝統的診断名も使っている。いわば精神科医の二重帳簿、あるいは多重帳簿である。(中略)
重症の対人恐怖症と統合失調症、重症の離人症と統合失調症の間には種々の症例があり、具体的症例では診断一つとっても医師によって意見が分かれ、さまざまに論じられてきた領域である。ICDやDSMに則ればすぐに決着はつくかもしれないが、それだけでは誰も満足しないというような症例が位置する領域である。われわれは日頃、「自分は他人とは違う固有の存在である」と当たり前のように思っている。しかし、その感覚が危うくなることもあるということを、それらの症例は教えてくれるのである。(「序章」より)
現在の仏教社会福祉研究の第一人者である、長谷川匡俊先生の研究と教育の足跡を紹介した上で、
長谷川先生の研究領域別に、気鋭の研究者たちが執筆した記念論文も掲載した。
本書は4部構成で、長谷川先生の研究とその歩みを第1部で紹介し、
続いて各執筆者たちの記念論文集として、
先生が長く研究されてきた仏教史や仏教社会福祉領域の論文を第2部に、
社会事業史の研究を第3部に掲載。第4部では、それ以外の社会福祉領域の論文と教育実践を掲載している。
【執筆者】
長谷川匡俊、宮城洋一郎、古宇田亮修、桜井昭男、野田隆生、工藤隆治、山口幸照、藤森雄介、
大蔦聖子、菅田理一、菊池義昭、樋田幸恵、土井直子、米村美奈、鈴木敏彦、結城康博、山口光治、
渋谷 哲、川眞田喜代子