本書は、著者の中学校時代の体験や思いを、十六歳のとき、高校一年の終わりから約一年かけて書いたものである。
自らの持ちうる限りの方法を駆使して、それでもなお面前のクライエントの苦悩を改善できないとき、治療者はどういった方策に出ればいいのだろう。本書は、そうした中でも、思春期・青年期の困難事例に焦点を絞って、システム論の立場から執筆されたものである。
不思議の世界、こころときめく世界が開かれ、迷い、焦り、混乱する日々、思春期。過ぎ去ってしまったものにはなつかしいけれど、その中にあるものには答えの出ないもどかしい日々。カウンセラーたちが見た子どもたちの生の姿。子どもたちがたどりついた自らの魂のありかー。
思春期の入り口に立った小学校高学年。疎外され、バラバラにされて悩む子どもたちの問題を具体的に取り上げ、解決の道を探る-。
本書は雑誌『こころの科学』32号(1990年7月)から46号(92年11月)の間に、12回にわたって連載された「中学生はいまー養護現場と臨床心理の対話」を再構成したもの。ここにいう養護現場とは、端的には学校の保健室のことであり、その養護教諭の先生方との対話から生まれ出たもの。
異性を見ると、心がたかぶる。自分の体つきもだんだん変わってくる。こんな十代の心や体の悩みに、きみだけに、そっと答える。
エンジュを核に動き出す天使サイドの計略により、平和な学園生活がついに崩壊を迎えることに!?FeTUSとの全面衝突の危機に際して、マキナそしてミスAが立ち上がる…。蛇眼の少年、睦月にこの戦いを止める術はあるのか!?緊迫の新展開。
心は堅く閉ざされ、さまざまな問題が噴出するかのようにみえる時。思春期のただ中にある子どもを見守るこころ、人間教育の場としての家庭の役割を説く。
本書は思春期の暴力に関する対応と援助の要諦を説いた実践的な臨床書である。暴力を振るう若者を理解するためのキーワードとして、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の二つをあげ、臨床家としての視点から、今子どもたちの心に何が起きているのか、どうすれば立ち直らせることができるかを、事例に沿って詳述した。子どもの暴力のみを取り上げることで親の暴力を見逃す危険性を指摘し、暴力を生む条件としての虐待、PTSD、憑依・多重人格、また治療困難な来談しないケース、重症例のための入院治療の実際までも紹介している。