志ん生に入門し、師匠ゆずりの艶噺や廓噺を継承し、手話落語など、独自の世界を作り上げている圓菊の、円熟の人情話。志ん生が得意としたネタを収録。爆笑を誘いほろりとさせる至芸だ。
晩年のスタジオ録音による全集もの、『圓生百席』のCDリイシュー。ていねいな語り口はスタジオ録音でさらに際立つ。うまいです。きっちり聴かせます。「このディスクの内容は伝承古典落語ですので、現社会には実在しません」という但し書きがご時世だねェ…。
圓生が晩年(75〜76年)にスタジオ録音したシリーズのCD化。圓生は笑わせる芸ではなく、江戸の人情噺の粋のワンダーランドである。それぞれに「芸談」が付いている。噺の長い「火事息子」では返りマクラがあり、彫りもの(刺青)解説をやっている。
(1)は圓生でなければ聴き通せないような渋い噺だ。(2)は何度か聴いたことがあるが、老若2人の侍と町人たちの緩急が見事。(3)はいくつかの小咄とマクラ集を聴く噺だね。(4)のサスペンスフルな盛り上げ方などもさすが。地味めな噺のなかに圓生の真骨頂がある。
LP90枚組で発表された六代目圓生の大全集のCD再発シリーズ。収められている「紺屋高尾」は昭和50年4月8日の、「後家殺し」は昭和52年の録音だ。レコード用の録音は本人も納得している出来の貴重な芸の記録。古典落語ファンの基本アイテムだ。
来春までリリースされる『園生百席』シリーズのVOL.16は廓嘲、「五人廻し」とシリーズ監修者、宇野信夫作の芝居のリメイク、「小判一両」を収めた2枚組。うまいねえ、どうも。背筋の伸びた話しっぷりがイカス。ラストについた芸談も味わい深い。
奉行といえば大岡越前の独り占めだが、子供の奉行所ゴッコをきっかけとする佐々木信濃ものの「佐々木政談」(75年録音)。金馬が得意とした「池田大助」の元の噺でもある。「三軒長屋」(76年録音)は演者ばかりか聴き手の“教養”が問われる噺である。
落語の中でも枕の部分が楽しいとグングン引きつけられるものだが、圓生の絶妙な味が生かされた枕をこのCDでも堪能できる。またバカ殿モノである「蕎麦の殿様」も、たっぷりと笑わせてもらった後で何か心に暖かいものが残る。本人による解説も収録。
圓生百席の聴きもの、楽しみの一つがお囃子とその選曲だ。中でも子供の頃から義太夫を語っていた圓生ならではの噺「豊竹屋」(75年)で、さすがの“猿迴し”を使っている。民話風のとぼけた噺「夏の医者」(74年)は、テケレッツのパァとしめている。
落語を笑わせるだけの芸としか考えない人種には、落語の本当のおかしさ、奥行きの深さは理解できない。この「包丁」「ミイラ取り」には人間の悲哀、果てしない愚かさ、その暖かさがにじみ出る噺で、圓生の技がハマりにハマった作品である。落語初心者にも一聴をお薦めしたい作品だ。
お馴染み、六代目・三遊亭圓生の古典落語をダイレクトに収録した『圓生百席』シリーズ。45作目となる本編には、75年4月26日に収録した「淀五郎」と、同じく75年7月2日に収録した「らくだ」をカップリング。その迫力ある語りをぜひ味わってほしい。
富本節(清元)の女師匠豊志賀が、20歳近く年下の新吉と同棲。ところが豊志賀は、若い女との間柄を邪推し、結局新吉にかかわる女を七人までとり殺すという書き置きをして自害。女師匠の嫉妬や執念とドロドロした噺をサラッと語る、名人芸に聴き惚れる。