サハラ砂漠の体験旅行に出かけたレオたち3人は、ものすごい砂嵐に巻き込まれ、遭難してしまう。太陽が焼け付く、地獄のような砂漠を果たしてレオはどうやって脱出するのか。
「工場長養成塾」は、東海地域の中堅・中小企業の人材育成の支援を目的に産官学が一体となって開発した教育プログラム。「全員参加」で日々改善を積み重ね向上し続ける現場の力「現場力」のノウハウを結集して生まれた座学をもとに実習・実践重視のユニークなリーダー育成講座。本書は同塾の「基本ハンドブック」として作成された。
本書では、「プレス加工の三要素」の中の「プレス機械」と「金型・工具」について解説するとともに、新しいプレス機械である「サーボプレスとそれを使ううえでのポイント」について述べている。
日本の組織が苦手とする、相手の強みを弱みに変える逆転の戦略。これを実現するには強力なリーダーシップが必要だ。著名な現代の戦史を戦略論、組織論のアプローチで分析し、何が勝利の条件かを明らかにする意欲作。
「湖西のみち」から、二十五年の『街道』の旅は始まった。琵琶湖西岸の渡来人の足跡を確かめ、信長が逃げ込んだ朽木谷を訪ねる。幼いころの著者が遊んだ奈良の「竹内街道」、「私は日本の景色のなかで馬関(下関)の急潮をもっとも好む」と書く「長州路」には幕末を彩った吉田松陰、坂本竜馬らも登場する。
「私が韓国にゆきたいと思ったのは、十代のおわりごろからである」-宿願をはたすため、いまだ“日帝支配三十六年”の傷口の乾かぬなかをゆく。素朴な農村をたどって加羅・新羅・百済の故地を訪ね、「韓」と「倭」の原型に触れようとする旅は、海峡をはさんだ両国の民が、はるかいにしえから分かちがたく交わってきたことを確認する旅でもあった。
山伏や願人坊主など、信仰の古層を一枚ずつ剥いでいく「洛北諸道」、源義経や明智光秀が馬を進めた途をたどる「丹波篠山街道」、戦国の世にひときわの光芒を放った自由都市をしのぶ「堺・紀州街道」など、小さいながらも趣ある五つの旅。折からの列島改造ブームが、歴史の堆積深い風土を壊していくことへの警鐘を、著者はいち早く鳴らす。
移送中も含め205人の連合軍捕虜が亡くなった函館俘虜収容所。「博愛の心を以て」捕虜を取り扱うと定められていた収容所の実態とはー。GHQ資料や各種の未公開資料、先行研究をもとに、収容所の開設から閉鎖までと、捕虜の生活・労働状況、BC級戦犯横浜裁判などを18年間かけて調べ上げた労作。
成功する商品管理・物流管理のノウハウを詳述。アパレル、雑貨、流通、ネット通販、多種多様な業種に対応。
情報検索の歴史、基礎的な考え方から、商用データベースの正しい利用法まで、全五章にわたり、分かりやすく詳細に解説。図書、雑誌から、新聞記事、法律、統計、特許、人物やビジネス、地図に関する情報など、各情報に応じた正しい検索術を習得する。
明るい店内と驚きの価格で喫茶店のイメージを激変させ、日本最大のコーヒーチェーンとなった「ドトールコーヒー」。16歳で飛び込んだ喫茶業界で、度重なる危機を克服しながら、夢を叶えてきた創業者・鳥羽博道の“150円コーヒーに賭けた人生”とは。若者やビジネス人に元気と勇気を与える起業物語。
1973年、著者は新潟からソ連を経てモンゴルへ飛んだ。まだ旅行が不自由な時代で、入国査証を得て、「わがモンゴルよ」と、心の中で叫ぶ思いがあったという。少年の頃から中国周辺の少数民族にあこがれ、大学時代にモンゴル語を学んだ著者にとって、念願のかなった旅となる。満天の星空に圧倒され、須田剋太画伯とゴビ草原の夜をさまよい歩く場面が心に残る。
アメリカ施政権下から本土に復帰して2年足らずの沖縄をゆく旅。那覇では島尾敏雄氏と語らい、薩摩藩の侵略や明治国家の琉球処分を振り返って「日本における近代国家とは何か」を考える。まぼろしの「南波照間島」を思いつつ石垣・竹富・与那国の離島に足を伸ばすみちでは、「司馬民俗学」とも呼びうる、言語・宗教・建築・製鉄・造船などにかんする幅広い知見がつづられる。
直木賞受賞作「梟の城」にゆかりの「甲賀と伊賀のみち」、人気の短編小説「おお、大砲」の舞台ともなった「大和・壷坂みち」を歩く。海に生きる漁業の民をルポした「明石海峡と淡路みち」、さらには「砂鉄のみち」とつづく。島根県、鳥取県、岡山県の山間のタタラ遺跡を著者は訪ねる。日本と朝鮮文化について考え続けていた著者にとって、砂鉄は重要なキーワードだった。
西南戦争の揺籃となった私学校は南方の習俗としての「若衆組」と同義ではなかったか、という仮説を検証すべく歩いた「熊野・古座街道」「大和丹生川(西吉野)街道」と、薩摩の士族文化の残像を求めて飛んだ「種子島みち」。いずれも大作『翔ぶが如く』の執筆と並行する旅だった。ほかに「天領」日田の豊かさや由布院の新しいまちづくりを実感する「豊後・日田街道」を収載。