昭和の名人・六代目三遊亭圓生の映像大全。TBSにて放送された『落語研究会』の中から、1966年収録の貴重なモノクロ映像、逝去3日前に行なわれた口演までを厳選収録する。繊細で自在な圧巻の噺を堪能できる。
坊主が着ている錦の袈裟をふんどしにして吉原にくりだす「錦の袈裟」は、昔は露骨に「ちん輪」とも言っていた噺。弟が商売の元手を借りに行ったら三文しか貸さない兄との関係の描写から夢の中での会話など、演者の力量がもろに出てしまう「鼠穴」は逸品。
植物の病気の原因となる、寄生者(パラサイト)たちを追跡し、姿を暴き、排除する!日本人の食と暮らしを守るために闘ってきた、知られざる科学者たちの記録。
鑑賞の手引きに、カラー写真で紹介する京都の名庭20選。
1,2,3,‥‥といった「自然数」、自然数に、0,-1,-2,-3‥‥を加えた「整数」、分数の形で表すことができる「有理数」、有理数と無理数を合わせた「実数」、そして虚数単位のiを用いた「複素数」と、数学の発展とともに数の世界は広がってきました。
本書では、19世紀のイギリスの数学者ハミルトンによって導入された「四元数」と、同時期にグレイヴスやケイリーによって発見された「八元数」をみることによって、次々と数の世界が広がっていく不思議を解説します。
ハミルトンが発見した四元数の世界は複素数を含む数の体系とも考えられますが、交換法則が成り立たない世界です。しかし、その導入の経緯から3次元の回転を記述するのに優れていて、現在のコンピュータ・グラフィックスへの応用があります。さらに数を広げようと考えられたのが八元数です。複素数が2つの実数の組、四元数が4つの実数の組だと考えられるのと同じく、八元数は8つの実数の組だと考えることができます。四元数では交換法則が成り立たなくなりましたが、八元数では、交換法則と結合法則が成り立たなくなりますが、物理学の究極の理論といわれている超弦理論やM理論と結びついていることがわかっています。
数を拡張していくという視点から、自然数から実数、複素数、そして四元数や八元数の世界やその性質を見ていきます。はてしなく広がる数の不思議を実感できる一冊です。
いわゆる“大作”ではない噺の圓生の魅力をたっぷり味わえる。(1)の両国の見せ物について語る枕がまず聴きもの。口上の巧みさだけでもゼニが取れる。蘊蓄を傾けるにはこうありたい。噺の本題は付け足しのようなものと言っても怒られはしないだろう。
平安時代から現代、時代を画した名庭19。庭をめぐる謎解き散歩。
円楽三代、令和の最新章がはじまる!
“武骨”な五代目を師匠にし、“知的”な兄弟子の六代目のセンスを引き継いだ“大らか”な七代目円楽の新たなる噺家人生が幕を開けた。
前座、二ツ目時代から、素直な人柄で落語界の重鎮から可愛がられ、圓楽、談志、志ん朝、柳朝の四天王、八代目文楽、柳家小さん等の“昭和の名人”の直弟子から、噺の遺伝子をたっぷりと学んだ三遊亭王楽が、七代目三遊亭円楽を襲名するまでの歩みをたっぷりと綴ります。
【あらすじ】
著者は、小学生の頃に『笑点』のテーマソングで級友から笑われて、校長先生も朝礼で、「父親が大喜利で座布団が没収された」とネタにされた。テレビに出ている噺家の父が大嫌いだった人気落語家・三遊亭好楽の倅は、クラスメートからの電話に出た母親が、「好楽です」と応対すると、「ウチは、中華料理屋なんだ」とウソをつく。そんな少年が映画好きの大学生に成長したときに落語に出会い、「こんなに素晴らしい芸能がこの世にあるんだ」と感銘をうけ、父親の師匠である五代目三遊亭圓楽に入門し、王楽の高座名をいただく。
入門直後から、師匠・五代目圓楽から大ネタばかりを教えられ、春風亭小朝に可愛がられ、流派を問わず稽古をお願いする姿勢は、やがて東京、上方の垣根を超えて全国の落語家から愛される若手真打に成長する。六代目円楽が生前に言い残した「七代目円楽は王楽に」という言葉がキッカケで、七代目円楽襲名が決定した。
本書は、父親が高名な落語家(三遊亭好楽)で、父親の師匠(五代目三遊亭圓楽)に入門し、実の親子なのに兄弟弟子という不思議な関係の著者が、その溢れる落語愛と、二世落語家の立場に甘えず精進したことから、七代目円楽襲名の花を咲かせることになった経緯を綴った半生記で、先代、先々代の円楽という噺家の存在が、三世代に亘って世間に愛され記憶される理由を、著者の体験を通じて綴られている。
お馴染み、六代目三遊亭圓生の軽妙な語り口を堪能出来るこのシリーズ。37作目となる本盤には、75年に録音した「一人酒盛」。74年に録音した「百年目」の2つの落語を収録。江戸時代から続く落語の王道とも言うべき噺を、圓生の語りを通し味わおう。
落語を笑わせるだけの芸としか考えない人種には、落語の本当のおかしさ、奥行きの深さは理解できない。この「包丁」「ミイラ取り」には人間の悲哀、果てしない愚かさ、その暖かさがにじみ出る噺で、圓生の技がハマりにハマった作品である。落語初心者にも一聴をお薦めしたい作品だ。
「派手彦」は、42歳で性に目覚めたというオクテの番頭が、純愛一途で結構した踊りの師匠が旅へ。番頭は悲しみのために石に化す。まくらの面白さや番頭の細かい描写は、圓生独特のもの。また「引越しの夢」は、昔の大店の様子を生き生きと描いている。
3席とも圓生ならではという噺でファンにはうれしい1枚。特に「不幸者」と「骨違い」は近ごろはめったに聴かれない珍しいネタで、それだけでも聴く価値がある。人物描写の巧みさには定評があった人だけに、登場人物の誰もが生き生きと描かれている。
圓生百席の聴きもの、楽しみの一つがお囃子とその選曲だ。中でも子供の頃から義太夫を語っていた圓生ならではの噺「豊竹屋」(75年)で、さすがの“猿迴し”を使っている。民話風のとぼけた噺「夏の医者」(74年)は、テケレッツのパァとしめている。