あっしみたいなモンが落語を語るのも、おこがましすぎていけねェやな。でも円生の辛口で硬めな語り口は少々堅苦しくもある。だからと言って、つまらないという訳ではない。「豊竹屋」には笑わしてもらった。解説にあるように義太夫や三味線の素地がないとこの咄はできない。各盤に添えられた簡潔なプロフィールも気が利いているがダブリがあるのは残念。録音データも欲しいところ。
六代目三遊亭圓生の巧みな話芸を収めた圓生百席シリーズ第一弾。江戸時代のケチをユニークに描いた74年録音の「一文惜しみ」、映画『幕末太陽伝』の元筋、75年録音の「居残り佐平次」を収録。江戸訛りを取り入れたり、セリフのひとつひとつが味わい深い。
絶頂期の録音で、芸に対する自信がひしひしと伝わる。『鰻のたいこ』は八代目文楽の十八番として知られるが、圓生は野だいこの一八が例の客に会うまでの過程をカットせずに演じている。文楽と圓生の、噺の刈りこみ方の違いがわかって面白く聴ける。
レパートリーの広い人だった。しかも分かりやすい。ここにも、もう圓生しかやらないような噺がのっている。歌舞伎((1))上方噺((2))講談物((3))というネタを、見事に自家薬籠中の人情噺に仕上げているところがさすが。文楽とはまた違った完璧主義者だった。
“貴様か、しぃつけたのは”なんて言われると、嬉しくなっちゃいますね、あたしゃ。“ひ”じゃなくて“し”ですよ。後は“じびた”にも手を叩いちゃったな。明治生まれの圓生師匠のキレの良い日本語は心地よい。芸の巧みさは、まるで短編映画を観ているよう。
六代目三遊亭圓生によるか「掛取万才」「鰍沢」のニ寄席を、ダイレクトに収録した本作。お囃子の音色から導きだされ始まっていく圓生の語り。その表現豊かな声の表情により、いつしか話の世界へ身を投じている自分に気付くはず。これ、かなり面白いわ。
いわゆる“大作”ではない噺の圓生の魅力をたっぷり味わえる。(1)の両国の見せ物について語る枕がまず聴きもの。口上の巧みさだけでもゼニが取れる。蘊蓄を傾けるにはこうありたい。噺の本題は付け足しのようなものと言っても怒られはしないだろう。
百席篇だけでCD45枚、人情噺集成篇まで加えると58枚にもおよぶという六代目圓生の芸の幅の広さには今もって驚かされる。収録は「仮名手本忠臣蔵」の「九段目(途中まで)」と、もうひとつはサゲが汚いと放送などでは敬遠されたという「汲みたて」。
例の名調子が満載。古典1題と劇作家宇野信夫が戦後六代目菊五郎のために書き下ろした世話物芝居「初ごよみ」を、人情噺に翻案した「心のともしび」を収録している。後者は録音も凝っていて噺と祭り囃子を別録りし、ミキシングに6時間も費やしたとか。
普段はまず通して聴くことはない咄だが、六代目乾坤一擲の大一番はさすがに聴き応え十分。これだけの長丁場もダレることなく下げまで一気に持っていく。登場人物のキャラクターがくっきりと浮き出ていて、それだけでもこの人の芸を堪能させてくれる。
六代目・三遊亭圓生の独演の模様をダイレクトに収録。本作には「小間物屋政談」「盃の殿様」と2つの落語を収録。弁舌な圓生の語りを聞いていると、不思議と話の情景や彼の講談する姿が頭に浮かんでくる。饒舌な語りの名演を堪能出来る優れた1枚です。
落語界の最高峰・圓生の古典落語集第20弾。有名な「三年目」を目当てに購入する人も多いだろう。スタジオ録音によるクオリティの高さと、聴く者をのめり込ませる圓生の見事な話術はまさに完全保存盤。本人による芸の解説やくわしいブックレットも秀逸。
(1)は前半を縮めて演じられることが多い噺だが、ここでは、3人の旅人が馬子にからかわれたり、年を取った尼女郎にヘキエキとされるなど、円生らしい細かい描写を織り込み、通しでたっぷりと聴ける。(2)は代表的な狂歌噺で、女中の物言いが生き生き。
(1)はけっこう有名な噺だが、ふたつの長いマクラが珍しい。高座でなかなかこんなにたっぷりとは聴けない。(2)も江戸の芝居を丁寧に解説した上で始まるから、特別な知識がなくても楽しめる。今回の噺では「質屋庫」が圓生らしい人物描写の妙を堪能できる。
75〜76年のスタジオ録音。女房に先立たれて悲しんでいる捻兵衛を人魂で騙す「樟脳玉」では、いくつも呉服の名が出てきて着物の知識の程が問われてしまう。「洒落小町」は女房の悋気を題材にした噺だが、ここまで女房にヤキモキしてもらえるとはね。