食虫植物は植物学のフロンティアである。捕虫葉形態形成のように、普通の植物ではわからなかった植物発生の新しい仕組みの発見、あるいは、活動電位のように陸上植物全体に関わるけれども他の植物ではうまく解明できなかった普遍的な現象を解明できる可能性を持っている。それ故、多くの研究が行われ、さまざまな仮説が提唱されている。近い将来、食虫植物だけに留まらない生物学や進化学の全体に影響を与えるような驚きの発見が期待されているのである。
本書は長年、食虫植物に魅せられた著者が、膨大な野外調査と豊富な写真を使って食虫植物の分類や生態などをまとめ上げたものである。ウツボカズラ、ハエトリソウ、ムジナモなど、世界中を歩き廻って集めた2000枚以上の写真と図によって食虫植物の魅力と不思議を存分に紹介し、あわせて図の説明と本文によって、食虫植物の基礎から最新研究までを網羅して紹介した。
食虫植物に興味をもたれる学生から研究者、一般の植物愛好家の方々にも広く読んでいただきたい。【フルカラー】
1.食虫植物の定義と系統分類
2.イネ目の食虫植物
3.カタバミ目の食虫植物
4.ナデシコ目の食虫植物
5.ツツジ目の食虫植物
6.シソ目の食虫植物
7.食虫植物の進化
「女の子だから、お手伝いして」「男の子なんだから、すぐに泣かないの」……。「男も女も関係ない」とふだんは思っていたりするのに、ついうっかり、こんな言葉を子どもに言ってしまった。あるいは、自分自身が子どもだったころ、そんなふうに言われて、モヤモヤした。そんな経験はありませんか?
本書は、子どもにかかわる大人が、自らのなかにあるジェンダー・ステレオタイプ、すなわち、性別にかんする固定観念や先入観に気づき、それを無意識に次世代に引き継いでしまわないために、子どもとどのように向き合っていけばよいかを10の提案にしてまとめたものです。
著者のセシリエさんは、デンマークで20年以上、ジェンダー平等の啓発に取り組み、研修や教材作りにたずさわってきました。デンマークといえば、民主的で幸福度の高い国として知られていますが、じつはジェンダーギャップ指数は29位。北欧5カ国のなかでは最下位です。120位の日本と比べれば、はるかに上位ですが、ジェンダー・ステレオタイプが根強く残っている社会なのだとセシリエさんはいいます。
たとえば、デンマークの学校には「男の子会議」「女の子会議」といって、子どもたちを性別でわけて話し合いの場をもつことがあります。性別でわける合理的な理由はみあたらないのに、不自然だと声をあげる人は少なく、定着しています。その原因についてセシリエさんは、ジェンダー・ステレオタイプが社会の文化に根付き、日常に溶け込んでしまっているからだと指摘します。そのほか、男の子のおこづかいのほうが女の子よりも多かったり、男の子のほうが速く走ることができる、と教師が決めつけてしまったり……。デンマークでもこんなことがあるのか、と思う事例がいろいろ。
なぜジェンダー・ステレオタイプの根強い社会を変えていかなければならないのか。それは、性別にまつわるステレオタイプは「こうあるべき」という規範となって、人々の行動や考え方をしばるからです。その枠からはずれてしまうと、自分はどこかおかしいのではないか、と感じたり、自尊心が傷ついたりして、その結果、その子がもっているはずの可能性を十分にのばすことができなかったり、夢をあきらめなければならなかったりすることもあるかもしれません。
そのような事態を招かないためには、大人自身がジェンダー・ステレオタイプから自由になって、子どもたちとかかわることが大切なのです。それはまた、性別や性的指向、性表現にかかわらず、すべての人々の存在を認め、等しく価値ある存在として受けいれていくジェンダー平等な社会の実現につながっていきます。
さあ、あなたもさっそく取り組んでみませんか? 子ども一人ひとりがおたがいの違いを認め合い、自分らしく生きられるように。
neuro(「脳・神経」)、そしてdiversity(「多様性」)。
この2つの言葉から生まれたneurodiversity(ニューロダイバーシティ)は、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、社会運動を指す言葉です。
自閉症スペクトラム障害をはじめ発達障害と呼ばれる現象を、能力の欠如や優劣とは異なる視点、意味で捉えなおすための言葉であり、そしてさらには「すべての人の脳や神経の在り方」がその対象となる裾野の広さを持った言葉でもあります。
本書は発達障害に関わる支援者や教育者はもちろん、当事者やそのご家族、そして「多様性尊重社会の実現」に関心を持っているすべての方に「ニューロダイバーシティ」という人間理解の新たな視点をお届けする入門書となっています。
はじめに
第1部 ニューロダイバーシティとは何か?
第1章 ニューロダイバーシティという言葉の基礎知識
第2章 ニューロダイバーシティに関する議論,批判
第2部 ニューロダイバーシティ視点の人間理解
第3章 脳・神経の仕組みが異なるということの臨床的理解
第4章 脳・神経の違いが生む異なる体験と文化
第3部 ニューロダイバーシティの諸側面
第5章 『教育』×『ニューロダイバーシティ』
第6章 『働く』×『ニューロダイバーシティ』
第7章 『家族』×『ニューロダイバーシティ』
おわりに 対人支援者,教育者がニューロダイバーシティを学ぶ意味
あとがき
生きものについて全て知りたい!その想いをつきつめて,行けるところまで行ってみよう!ゲノムという設計図をもとに織りなされる植物の世界。遺伝子の働き,細胞の色,クチクラの組成といったミクロな視点から,高地への適応,画像解析による形態や植生の解析といったマクロの視点まで。階層を横断して生き物を調べつくした研究を様々なノウハウと共に紹介!
一口に「生きものを調べる」と言っても,調べる対象は無限にある。ある特徴一つをとっても,どんな機能があるのか?どんな素材でできているのか?どんな遺伝子が作用しているのか?……等々,知りたいことが次々に出てきてしまうから。そんな疑問の数々も,画期的な技術の発展により調べ尽くすことができる時代に。そんな新時代の研究者たちがみている景色を一緒にのぞいてみませんか?
【 本書の特長 】
多彩な研究例を紹介
・ゲノム解析がひもとく植物の歴史や多様性
・食物生産の効率化や品種改良への応用
・小さな細胞の中で何が起きているかを知る
・生物工学で生物時計を見える化!
研究に役立つ技術の紹介
・ゲノムをまるっと見る「GWAS」の使い方
・バーチャル植物をつくっちゃう? 画像解析技術の可能性
分子生物学の基礎知識もコンパクトに紹介
【 目次 】
第1部 ゲノミクス編:ゲノムを読んだら何がわかる?
第1章 ゲノム解読技術の発展と,野生アズキの耐塩性研究
第2章 ゲノム情報から迫るハワイフトモモの種内多様化プロセス
コラム1 反復配列・トランスポゾンとその検出
第3章 植物の雌しべが花粉を選び分けるしくみ
第4章 大量ゲノム情報時代の植物育種
第2部 フェノミクス編:植物を調べつくす方法
第5章 なぜ青いバラは咲かないのかーアントシアニンによる多彩な花色の発現機構ー
第6章 接木の科学によって,技術をさらに使いこなす
第7章 赤外分光法によるヤセイカンランのクチクラの構造解析
ー物理化学者による非破壊計測の試み
コラム2 クチクラワックスを介した花芽防御機構の標高分化
-春先のマイルドな凍結ストレスへの繁殖器官の適応ー
第8章 作物生産科学におけるC3型個葉光合成とその変動光応答
第9章 ウキクサを光らせて概日時計を視る
第3部 ノウハウ編:こっそり教えるテクニック
第10章 植物におけるゲノムワイド関連解析の落とし穴
コラム3 倍数体ゲノムのバイオインフォマティクス
第11章 植物3次元形態のデータ化,定量化,モデル化
コラム4 画像情報に基づく植物・植生の判別とその発展
-深層学習による技術発展を中心にー
コラム5 ゲノム解析の前提となる分子生物学の基礎知識
近年、急速に注目度を増してきているeスポーツ。巨大産業としてビジネス界で注目されているだけでなく、地方創生や多様性に配慮した社会福祉としての側面から、自治体や教育現場でも試行錯誤が始まっている。
しかし一方で「スポーツ」に対する従来のイメージから、日本においてはeスポーツに対する否定的な意見や不安の声も根強く残っている状況もある。
改めて今、スポーツとは何か?遊びとは何か?といった根本的な問いについて、向き合って考えていく意義は大きいと言える。
また、日本でeスポーツが隆盛していくためにはどのようなことが必要なのか、eスポーツの普及によって社会にはどのようなメリットがあるのかなど、
スポーツ人類学、スポーツ教育学、スポーツ政策学の大学教員がそれぞれの立場からスポーツおよびeスポーツの様々な側面に焦点を当てながら考える。
言語、英語、文化、学習者…さまざまな多様性を念頭に、新たな英語教育の指針である「国際共通語としての英語」を基本から実践まで丁寧に示す。-英語教育の新たな地平が見えてくる1冊。
“あいだ”があるから「人間」だ!「人間」は通常、自己以外の多様な人々との“間”を生きている。そこに成立する他者理解の在り方を、理論的・経験的局面から考える。
さまざまなニュースは民主主義にとって不可欠だ。ではニュースの多様性はどうやって測れるのか? それは政治にどう影響するのか?
本書は、ジャーナリズム論における「多様性」を理論的に検討し、さらに生態系における生物多様性の指標を用いてメディア環境全体での多様性を実証的に分析するものである。また、過去の国政選挙を事例に選挙報道の多様性と投票率等との関連性を実証的に検証し、報道の多様性が現実の政治に密接に結びついていることを具体的に示す。
はじめに
第1章 ニュースの多様性をめぐる議論
1 なぜニュースに多様性が求められるのか
2 ニュースの多様化に対する懸念
3 多様なニュースの両義性
第2章 「ニュースの多様性」という概念の多様さ
1 ニュースの多様性とは何の多様性なのか
2 どのようなニュースのあり方が「多様」なのか
3 メディア環境のデザインとニュースの多様性
4 開かれた多様性と反映する多様性
第3章 ニュースの多様性をどのように分析するか
1 ニュースの多様性に関する分析デザイン
2 ニュースコンテンツの多様性
3 メディア間の差異に関する分析手法
4 ニュースコンテンツ以外の多様性
第4章 ニュースコンテンツの多様性を測定する
1 ニュースコンテンツをどのように分類するか
2 テストデータを用いた分析手法の検証
3 日本の全国紙における選挙報道の多様性
4 Yahoo!ニュースにおける選挙報道の多様性
5 安倍政権に関する新聞報道の多様性
6 分析結果のまとめ
第5章 ニュースの多様性と選挙
1 選挙報道の多様性と投票率
2 選挙報道の多様性と政党システムの分極化
3 選挙報道の多様性が新聞読者に及ぼす影響
4 分析結果のまとめ
おわりに
謝 辞
付 録
参考文献
事項索引
人名索引
主要産業や多様な地域を概観しながら、北海道経済の発展には供給サイドと北海道内外の諸力との連携による新しいタイプの内発的発展が求められていることを提起する。
多様性とは、「物事の多種性・取り揃えの広がり」であり、幅広い分野に顔を出す、物事の質や影響力を左右する重要事項です。特にビジネスでは「多様性を制するものはすべてを制する」といっても過言ではありません。本書は、多様性の本質を明らかにし、それをコントロールする技術を体系化しています。さまざまなビジネスシーン(品質管理、販売戦略、ポジショニング戦略、サプライチェーン、安全・セキュリティ)を想定した内容ですので、ビジネスを成功に導くのに役立ちます。
新たな制度と進化の政治経済学への挑戦。経済学の最先端での議論をふまえ、21世紀資本主義の制度的多様性と時間と空間における重層的調整を体系的に分析する意欲作。
序章 制度と進化の政治経済学……………… 磯谷明徳・植村博恭
第1章 進化経済学における制度の問題………………… 磯谷明徳
第2章 進化的制度分析と成長レジーム分析の統合…… 植村博恭
第3章 市場経済と市民社会……………………………… 山田鋭夫
第4章 失業,労働規律,有効需要…………………………池田 毅
第5章 2部門カレツキ・カルドアモデルと成長レジーム分析…西 洋
第6章 産業連関分析による成長レジームの波及効果推定…………田原慎二
第7章 新興経済における国家・経済ネクサスの多様性… 遠山弘徳
第8章 後発優位説の隠れ構造と中国企業のイノベーション…宋 磊
第9章 資本主義の多様性とレジリエンス……………… 藤田菜々子
第10章 制度と信頼…………………………………………原田裕治
第11章 市場ベース型資本主義の移植……………………内橋賢悟
第12章 気候・健康危機,社会的共通資本および経済成長…………大熊一寛
第13章 家具における自然の価値づけ…………………… 横田宏樹
終章 コロナ危機と社会経済システム……原田裕治・池田 毅・西 洋
ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ=ポリコレ)という正義の名のもとに、新たな次元の支配システムが、アメリカを、そしてこの日本を蝕んでいる。
BLM、LGBTQ……「人種差別やジェンダーによる差別をなくし、多様性を認めよ」という掛け声のもと、「新しい正義」が謳われ、その正義の基準に沿わないものは、全メディア総出で、逃げ場なき集団リンチのごとく手酷く批判され、社会的に抹殺される。キャンセル・カルチャーや批判的人種理論が幅を利かせるアメリカ。尻尾を振ってそこを追いかけようとする日本のメディアが、日本を誤った道に連れて行こうとしている。
森喜朗元首相たたきもそうだった。仮に失言はあったにせよ、異様なのは、その後の「全メディア挙げての集団リンチ、吊るし上げ」であり、反論さえ許さぬモンスター的人格攻撃だ。「差別をするな。多様性を認めよ」と叫びながら、その実「自分にとって都合の悪い多様性は一切認めようとせず」「新たな差別を創造する」流れは、今後さらに増加し、極端化し、過激になっていくと思われる。それでいいのか? 防ぐ方法はないのか?
多様性とは、自らと違った立場の意見を尊重し、相互に認め合うことのはずなのに、逆に「不寛容」ばかりが増し、企業も学校も社会も息が詰まっていく。
ポリコレ先進国・アメリカの悲惨さを見よ。非キリスト教徒に配慮するという大義名分のもと、すでに「メリークリスマス」という言葉は奪われ、性差別への配慮として、「お父さん」「お母さん」も公式の場では使えなくなってしまった。カリフォルニアでは、LGBTQに配慮するため、結婚式の際、「夫」とも「妻」とも言えないのだ。狂気だ。
日本は1日も早く先行するアメリカの過ちに気づき、本当の自由と平等を取り戻す努力を始めなければいけない。「機会の平等」でなく、「結果における平等」を保証することは、「新たな不平等を創造」するだけ。そこには絶望しかない。
今や、日本の学校では「あだ名」をつける事さえ、一律に禁止されようとしている。
「言葉狩り」や「#MeToo」、「マスク警察」や「ワクチン警察」、「お母さん食堂」へのいちゃもんなどに代表される動きが、今後さらにエスカレートし、モンスター化し、一方的なレッテル貼りをすることで、人々のつながりが分断され、冤罪事件を生んだり、暴力や殺人など、新しい深刻な差別を生む日も遠くないのでは、と不安を感じている人も多いように感じられる。
忠実で丹念な取材力を基本に、多くのノンフィクション作品で高い評価を得てきた著者が、「ポリコレ」という新たな敵の正体を見出し、追い詰めていく。
現状のまま進めば、日本もジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義管理社会というディストピアにどんどん近づいていく。
なんとかそれを阻止したいとの強い思いが本書を書かせた。