トヨタの生産現場、デンソーでの研究開発、ユーザーによる新しい用途開発、そして、世界中のスマートフォンへ。日本発で国際標準になった稀有なイノベーション、50年の記録。
芸術的感性は既知と未知の「ゆらぎ」で生じる。睡眠などによる「あたため」が発想を導く。「多種多様な環境」が海馬の成長を促す。マルチリンガルは「脳内辞書」のスイッチを切り替えられる…脳科学者が300本以上の論文を基に考察。
“裸のマハ”からロダンまで、春画からグラビア写真まで、古今東西のヌード表現をめぐる大談議の始まり始まりー2人初の対談集!
ロマネスクの教会、ゴシックの大聖堂から、アール・ヌーヴォーのアパート、キュビズムの住宅に至るまで、時の流れに抗していくつもの建築様式を残してきた街、プラハ。その独特の魅力をさがして街を歩いてみようー街並みと人々を語りながら、随所に建築史家の目が光る、ユニークな案内書。
芸術とは、たとえばオフィスに一輪の花が飾られ、それを見て誰かが美しいと感じるときに生じるコミュニケーションなのです。「人生最大のピンチは?」「子どもの感性を伸ばす方法は?」さらには、「モナリザのどこが偉大なの?」時代の最先端をゆく芸術家の問答集から浮かび上がる芸術の本質とは。
「おれがかえってやらないと、三人の妹たちが殺される…代わりに獄門島へ行ってくれ」-ニューギニアで共に戦った鬼頭千万太の最後の言葉を胸に、鬼頭家が網元として君臨する獄門島に降り立った金田一耕助。耕助がそこで見たのは、雪枝・月代・花子の三姉妹がいる本家と、志保・儀兵衛が取り仕切る分家とが反目し合う鬼頭家一族の姿だった。やがて千万太の予言どおりに、血も凍る殺人事件が発生…。瀬戸内海の孤島に渦巻く、世にもおぞましい計略に耕助は気づくことができるのか?著者自身『本陣』と並ぶ傑作と自負した、横溝ミステリーの最高峰。
二〇〇七年度のビジュアルデザイン学科における祖父江慎、藤田重信、加島卓、鈴木広光の四氏による「特別講義」をまとめたもの。
松任谷由実、リリー・フランキー、菊地成孔、内藤礼、いとうせいこう、佐藤雅彦、天野祐吉…各界きっての実力者11人のクリエイティブな脳に、茂木健一郎が対峙する。懐かしい記憶が、社会への違和感が、自らへの信頼と不信が、思いもかけぬ互いの言葉を導き、異能同士のセッションを加速させてゆくーいつしか深い「気づき」に誘われる、人生へのヒントに満ちた刺激的な対談集。
文武両道の中高一貫校・那賀市桃李学園。その高等部の一角にある古ぼけた洋館は、園芸部、演劇部、思想研究会、和琴部といったマイナー系文化部の部室が集まり「マイナークラブハウス」と呼ばれている。部員たちはそれぞれ超個性的なのに、意外と仲がよく団結力もあり、けっこう楽しそうなのだが!?友達が多い人も少ない人も、なぜか「うらやましい!」と感じる、コミカル&しみじみ系学園小説。
福岡ハカセが生命と記憶をめぐる長い旅の末、たどり着いた、清冽なナチュラリスト宣言。
ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ(VTS)はアメリカの教育現場で徐々に浸透し成果をあげつつある教育法である。元ニューヨーク近代美術館教育部部長フィリップ・ヤノウィンが書きおろした、美術界・教育界待望の一冊。「何が起こっているだろう?」「どこからそう思う?」「もっと発見はある?」3つの問いかけからはじまる美術鑑賞が、教科の枠を超えた学力を深めていく!授業が変わる!子どもがのびる!全教科に使える学習法。
未知の巨大ウイルス、記憶に作用するホルモン、NYの片隅のフェルメール。かつてこの街で科学を学んだ、今、この街で芸術にふるえる。
火星にある水沢総合事務所ー「通称・やっかいごとよろず引き受け業事務所」に就職したあゆみ。“やっかいごと”解決のプロとなるべく修行中!ある女の子のボディガードをせよという依頼がくるがそれはあゆみ本人のことで…!?表題作ほか書き下ろし「中谷広明の決意」、新あとがきを併録。
植物は20の感覚で思考しているーベストセラー『植物は“知性”をもっている』で、驚きにあふれた奥深い植物の世界を見せてくれた著者が描く、人間と植物の新しい関係。動かずに生きる道を選んだ植物は、かわりにさまざまな能力を磨くことで未来を切り拓いてきた。記憶力や特殊な運動能力、さらには人間もまねできない擬態力やインターネットのような分散化能力までー。今や地球上のあらゆる場所で繁栄する彼らは、いわば生物界の超エリートだ。過酷な環境にも適応し、共存していくその能力に、今こそ人間も学べることがあるのでは?宇宙開発や環境問題の解決のために活用できたら、私たちの未来は、どのように変わるだろうか?最新の科学で、“植物と人間の驚異の未来”を刺激的に描きだした野心作!
日本のベストエスカレーター40。老舗デパート、再開発ターミナル、未来型超高層ビルまでこれを読んだら、もうエスカレーターを無視できない。いつもの景色が見違える、究極の偏愛の世界へようこそ。
20世紀は映像の世紀である。映画や写真などの複製芸術はどんな可能性をはらんでいるのか。巨大な思想家ベンヤミンの刺激あふれる先駆的映像芸術論。