ボキャブラリーUP。様々な国の映画から、多様なスペイン語やスペイン語圏の文化を学ぶ!初級者から上級者まで、スペイン語で映画を楽しみたい人に役立つ!リスニング力UP。映画のセリフから学べるリアルなスペイン語!
劇場版「ギヴン」劇中歌
Yahoo!検索ランキングで1位を記録するなど話題のTVアニメ「ギヴン」が劇場版で再び 前作と同様ボーカルを務めるのはアニメ「ギヴン」の真冬役担当の矢野奨吾。
前sg曲 今回の劇中歌及び新曲2曲を含めたミニアルバム!
作詞 作曲 編曲 音楽すべてをセンチミリメンタルがプロデュース
お見合いで出会ったのは
映画好きの男と映画を知らない箱入り娘。
「私の趣味に合わせなくて良いですよ」
という男に箱入り娘がかけた言葉は
「一緒に映画を観てくれませんか?
私、行ったことがないんです」
どの巻から読んでも楽しめる連作短編コミック。
【登場する映画】
サウンド・オブ・ミュージック
ミッドサマー
新感染 ファイナル・エクスプレス
悪魔の毒々モンスター
映画クレヨンしんちゃん 謎メキ! 花の天カス学園
スタンド・バイ・ミー
民衆・国民・東亜民族・大衆・市民ーー。映画館でシネマを観る「数」であるにとどまらず、映画や社会と多様な関係をとりむすぶ人々のあり様を、大正期から現在まで、社会主体をめぐる言説に注目することで、変容する政治やメディア環境との交渉のうちに浮かび上がらせた、映画観客100年史。
序 章
映画観客へのアプローチ
偶発性からの社会主体と歴史
第I部 民衆
第1章 社会主体のはじまり
ーー民衆娯楽・社会教育による「民衆」と映画観客
社会問題としての「民衆」--階級、自発性、ジェンダー
「社会」主体としての「民衆」
民衆娯楽としての映画と「民衆」
社会教育としての映画と「民衆」
「社会」主体としての「民衆」映画観客
第II部 国民
第2章 総力戦とトランスメディア的消費文化
ーー「国民」の再定義と矛盾をめぐって
「国民」の再定義ーー「民衆」の更新
トランスメディア的消費文化と「大衆」
消費主体の経験
消費主体の「国民」化ーー(反)資本主義、階級、ジェンダー
総力戦体制とメディア環境
第3章 「国民」への動員
ーー映画観客と総力戦、そして戦後
映画独自の力
映画統制と消費文化
「新しい観客」
矛盾と葛藤の否認ーー消費文化、地域、ジェンダーをめぐって
「国民映画」と「文化映画」
戦後、そして現代へ
第III部 東亜民族
第4章 「東亜民族」の創造/想像
ーー帝国日本のファンタジーと映画による動員
帝国と「東亜民族」
帝国と映画政策
同一性のファンタジー
ひそやかな中心性
身体的感覚への訴え、または「精神」と科学
動員システムと映画
帝国と資本主義
資本主義の外部
ポスト帝国ーー忘却とファンタジー
第IV部 大衆
第5章 テレビと原子力の時代への「大衆」ポリティクス
ーー大社会論、大衆文化論、マス・コミュニケーション論
「大衆」ポリティクスのはじまりーー戦前戦中日本の言説形成
システムに内在化された「大衆」--大衆社会論
システムの閾にある「大衆」--大衆文化論
「大衆」の(脱)政治化ーーマス・コミュニケーション論
第6章 民主としての「大衆」
ーーテレビによるトランスメディア的消費文化の再編と映画観客
消費生活的な民主ーーテレビ論
トランスメディア的消費文化の再編
近代政治的な民主ーー映画観客の再定義
「大衆」は消滅したのか
第V部 市民
第7章 脆弱な主体としての「市民」
ーー戦後とリスクの時代の個人化とネットワーク化
「市民」の歴史的編成
リスクの時代ーーフレキシブルでプレカリアスかつ自己規律的な自己責任の主体
権力ネットワークと領土化志向の「市民」ネットワーク
第8章 「市民」の多孔的親密ー公共圏
ーー自主上映会とソーシャル・メディアのトランスメディア的社会運動
親密圏のネットワークーー「市民」の再編成
社会運動の更新とソーシャル・メディア
「市民」による自主上映会
終 章
注
あとがき
参考文献
図版一覧
索引
「死んでもらいます」 健さんが斬る!
「弾はまだ残っとるがよう」文太が吠える!
任俠の起点たる『忠次旅日記』に始まり、『仁義なき戦い』を経て、『孤狼の血』に至るまで、執念の取材でヤクザ映画100年余の修羅に踏み込む。そこに映し出される「暴力の近現代史」を描き上げる画期的労作。
(本書に登場する作品)
「日本映画最初の侠客」尾上松之助『侠客 祐天吉松』(1910)/「落ちていく無頼漢」大河内傳次郎『忠次旅日記』(1927)/「野良犬でなく狼になれ」高橋英樹『狼の王子』(1963)/「死んでもらいます」高倉健『昭和残侠伝』シリーズ(1965〜1972)/「インテリヤクザ」安藤昇『血と掟』(1965)/「底知れない虚無」市川雷蔵『ひとり狼』(1968)/「何かギラギラするもの」千葉真一『日本暗殺秘録』(1969)/「ヤクザの青春群像劇」菅原文太『仁義なき戦い』(1972)/「差別のタブーに踏み込む」高島礼子『極道の妻たち 死んで貰います』(1999)/「在日コリアンヤクザ登場」北野武『アウトレイジ 最終章』(2017)/「全編広島ロケ」役所広司『孤狼の血』(2018)/「任侠ファンタジー」本宮泰風『日本統一』(2019)/「元ヤクザの更生」役所広司『素晴らしき世界』(2021)etc.
われわれはみな暗殺者/罠 1939/真夜中まで/幻の馬/アリバイ/消えた死体/六人の最後の者/マルセイユの一夜/ファントマ/フロウ氏の犯罪
50年にわたる日本映画論を集成。練達の案内人(チチェローネ)が誘う異貌の映画史!
映画評論家上野昴志による50年分の日本映画論を集成。鈴木清順、大島渚、吉田喜重、加藤泰、黒木和雄、川島雄三、山田洋次、北野武、阪本順治などの作品評論を監督別に収録、異貌の映画史を形作る。
蓮實重彦、山根貞男、山田宏一各氏推薦!
〈外国映画も存分に見ている上野昴志は、伊藤大輔から鈴木清順を介して濱口竜介まで、一世紀を超えんとする日本映画を語ることにもっぱら集中し、主張よりも描くことに徹しているさまは、本人にその意識があろうとなかろうと、ひたすら優雅である。不意に視界に浮上したその「優雅さ」の歴史的な意味を噛みしめよ。試されているのは、われわれ読者なのだから。〉蓮實重彦
〈上野昴志は声高には話さない。ぼそぼそと独り言のように語る。そこで気楽に聴いていると、どきりとする瞬間がある。映画についての文章も同じで、軽口めく調子で始まることが多いが、ギラリと批評の刃が飛び出す。なぜそうなるのだろう。見たという体験にこだわり、考え、言葉を紡ぎ、映画を発見しつづけるからにちがいない。本書はその動態のドキュメントである。〉山根貞男
〈誰もが映画ファンとして映画評論家にはなれるとしても、それはただ、つくられた映画、出来上がった作品を見て、たのしみ、語り、書き、分析をしたりケチをつけたりするだけで、映画の製作に直接かかわることはできないのだが、上野昴志さんは、なんと、映画のプロデューサーになったことがある稀有な評論家だ。それも吉田喜重監督の傑作の一本で私にとっては『秋津温泉』とともに最も忘れがたい吉田喜重作品であり三國連太郎主演の代表作の一本でもある『戒厳令』のプロデューサーである。
映画ファンにとっては、なんといっても、映画がいかにしてつくられるかという、つまりは映画づくりの秘密そのものが最も知りたいところで、といっても、製作現場をとりしきる強面のお偉方には容易には近づきがたく、たまたま上野さんとは友だち付き合いをしていたので、さっそく私はプロデューサー・上野昴志にインタビューを申し込んだ。ささやかなわが映画インタビュー体験においても出色の(などと自ら誇るのもおこがましいけれども)興味深い映画トークになったことは言うまでもない。
評論家・上野昂志の著作はいろいろ出版されていたが、なぜか映画の本だけがまとまって出ておらず、私は雑誌や新聞などで断片的・断続的にしか読めなかった上野さんの書いた映画についての文章を、全部とはいかなかったが、僭越ながら一冊の本(「映画=反英雄たちの夢」)に編集したことがあった。力不足で思ったとおりの本ができずに悔やんでも悔やみきれずにいたところ、うれしいことにその大半が今回の上野昴志日本映画論集成にはあらためて収録されて、あれやこれや、事程左様に、新聞雑誌に氾濫するいやしいつまみ食い時評とは一線を画した妙味あふれる異色の辛口批評の大冊、ついにお目見えである。〉山田宏一
映画が20世紀に果たした歴史的役割を問い直す。
多くの人々は、映画を大衆的な娯楽として「生活が乱されない程度に自分勝手に消費している」なかで、ヒトラーに見られるように映画は政治的に利用され、議会による民意の集約とは異質の意思形成手段として使われてきた。そのような20世紀の映画の歴史は、現代の映像社会にも通じる。2004年刊行の書物の復刊、蓮實映画論の入門書としてもおすすめ。
映画を計測する
映画はもはや、映画館で「注視」することが主流の視聴モードではない。一回性は失われ、いつでも繰り返して観ることが可能になった。さらには「ながら見」や移動中など、「気散じ」的な視聴モードも一般化し、映画の時間・空間は、その構造の変化を余儀なくされている。いま、映画はどう論じうるだろうか。
映画の誕生からその文法までを丁寧に紐解き、さまざまな映像表現を真摯に見つめ、フレームの奥深い内部だけでなく、フレームの外部や裏側まで思考を重ねる。映像表現の醍醐味に光をあてなおす、まったく新しい映像論。
夏の2大作「スパイダーマン:ホームカミング」「ワンダーウーマン」徹底ガイド「スパイダーマン:ホームカミング」作品ガイドトム・ホランドほか出演者インタビュー杉山すぴ豊のスパイダーマン講座サム・ライミー版3部作&「アメイジング」2作、他
大衆文化である映画を素材に、高齢者エイジズムの特徴を明らかにする。その構成概念のひとつであるステレオタイプに注目し、研究レビューをふまえ5つの視点から1970〜2016年の83作品を徹底分析。研究の方法や範囲と、多様性が尊重される高齢社会の実現に新たな知見を提供する。
ある女の愛 / クノック / ジャン・ルノワールのトニ / この空は君のもの / 海の沈黙 / 乙女の星 / かりそめの幸福 / 美しき争ひ / ガラスの城 / ビキニの裸女
<収録内容>
◆DISC1枚組(本編DISC)
映画『ゴールデンカムイ』のオリジナルサウンドトラックCDが発売決定ッ!!
2024年1月19日(金)より全国にて劇場公開となる映画『ゴールデンカムイ』のオリジナルサウンドトラックCDが発売決定ッ!!
数々の映画・TVドラマ・アニメ作品を手掛けてきたやまだ豊による、日本映画界の粋を尽くし、血湧き肉躍る、
エンターテインメント超大作『ゴールデンカムイ』の世界を豊かに彩る劇中音楽集!
音楽でも映画『ゴールデンカムイ』の世界をお楽しみくださいッ!!
(C)野田サトル/集英社 (C)2024「ゴールデンカムイ」製作委員会
光と影から見た日本映画史ーー。それは伝統ではなかった! 『陰翳礼讃』以前、日本映画は「明るさ」に価値を求めていた。では「影の美学」はどのように現れ、展開し、伝統となったのか。照明のテクノロジーに注目し、トランスナショナルな視点から新たな日本映画史を描く。
序 章 影の美学とは何か
第1章 照明と資本主義
-松竹とハリウッドー
ハリウッドから来た男
蒲田調とパラマウント調
ーーラスキー・ライティングからスリーポイント・ライティングへ
『情の光』
見やすさと表現の豊かさーー新派とハリウッド
「一ヌケ」のスローガンと蒲田調
合理化ーー松竹の資本主義と近代化
スターの照明法
第2章 刀の閃きとスターの輝き
-松竹と時代劇ー
時代劇の誕生と刀の閃き
伊藤大輔の時代劇
明るく楽しい松竹時代劇映画
林長二郎、彗星の如く現るーー時代劇と女性観客
セクシーな時代劇映画へーー新しいプロモーションと照明
対話とフォトジェニー
ーー林長二郎のスター・イメージと新しい映画観客
第3章 ストリート映画
-松竹とドイツー
『十字路』--松竹の「不純な調和」、時代劇、そしてストリート映画
光で殺す
蒲田の街
発光する手
視覚について
視覚の光と触覚の光
蒲田調の復活
第4章 影の美学
-松竹、東宝、日本ー
闇の奥へーー林長二郎から長谷川一夫への変身
黒の凱歌ーー『婦系図』と『川中島合戦』
ハリウッド映画のロー・キー・ライティングの賞賛
写実的精神と日本の崇高
“ハリー”・三村明ーーハリウッド帰りの東宝の男
終 章 宮川一夫の映画撮影
日本の美を伝える
「影の美学」実現ーー第二次世界大戦期
「影の美学」再検討第二次世界大戦後
日本映画と照明
注
あとがき
参考文献
図版一覧
索 引
【第1特集】遂にファイナル 午前十時の映画祭 大特集。・第10回にて上映される名作 全27作品を全て紹介。・今回上映作品から9作品をピックアップし、当時のスクリーンに掲載された評論記事を収録。当時の貴重な評論は読み応え抜群。・名作に出演するスターたちのポートレートも必見。・コラムでは、作品選定委員の襟川クロさんによる「午前十時の映画祭」の思い出も語られます。【第2特集】さよなら平成 映画から平成の30年間を振り返る。・平成のあの時、どんな映画が公開されていたのか。過去30年間の映画界の流れを、社会の動きと共に振り返ります。・平成映画30年分を集計し、評論家、読者それぞれの作品ベスト10を発表!・平成の人気スター 読者ベスト20も!
150年に亙る黒人差別を始めとしたアメリカが抱える多様な「病」の多くが、新型コロナウイルスに襲われたアメリカ社会で噴出。
そうした状況を過去のいくつもの映画を関連づけて論じることで、予見的な形で描き出された切除されない病巣を、鮮やかに描出した快著‼︎
目次
序章 映画が描くアメリカの病巣
第1章 移民国家という神話
第2章 移民の受け入れと選別
1 チャップリンと移民
2 移民たちの百年
第3章 犯罪者たちとFBIの相克
1 組織犯罪とマフィア
2 組織犯罪とFBI
第4章 麻薬とテロリズムの制圧
1 アルコールから麻薬へ.
2 テロと暗殺のアメリカ.
3 テロリズムの多様化と9・11
第5章 キャンプでの人間改造と帰還兵
1 アウトドアとセルフメイドマン
2 サマーキャンプからブートキャンプへ
3 戦争帰還者の受け入れ
終章 コロナ禍時代のトラッカー