平安朝の貴族政治を支えた摂関制とは何だったのか。内臣・太政大臣の系譜から摂関制の成立を探り、准摂政制や内覧、一座の宣旨などから摂関の職掌や待遇を解明。貴族文化や史料論にも説き及び、摂関制の全貌に迫る。
吹子を用いた日本独自のたたら製鉄は、世界的な技術近代化の波にどう立ち向かったのか。近世〜明治・大正期の諸資料の分析を行ない全貌を解明。東北の製鉄技術や関連用語の整理を行うなど、新たな研究の地平を拓く。
中世の伊勢神宮はどのような歴史を歩んだのか。鎌倉時代を中心に、遷宮、公卿勅使、神宮作所、財源など、神宮の諸問題を明らかにし、伊勢神道の成立・展開過程を追究。史実と神道教義の両面から、総合的に考察する。
日本中世史研究を牽引してきた著者の業績を集大成。足利・安達氏らを輩出した荘園・公領の実態と宗教の展開を、文献・考古資料を渉猟し解明。遺跡の保存と地域史研究の重要性を説く。中世東国の全貌を明らかにする。
大陸侵攻において、豊臣秀吉は前線の諸大名に決定権を与えず、日本からの軍令で指示を出した。軍令が届くまでの「時差」は、戦局にどのような影響を及ぼしたのか。軍令を分析して戦争の変容を解明、侵攻を体系的に叙述する。
日本古代の女性は地域社会のなかでどのように生きたのか。“家族”を超えた社会的な役割と“女=聖”という霊的優位性の観念を批判的に再検討。生活・祭祀・家族を総合する視点から、古代女性の実像を解き明かす。
摂関期後期より、貴族社会で浄土教信仰が盛んになった。仏典の女性蔑視文言と女性の信仰生活、家の繁栄を希求する来世信仰、大仏開眼会に働く政治力学、文人貴族の本朝意識を解明。貴族の信仰生活と思想動向を考察する。
三〜五世紀、日本はヤマト王権が有力首長を支配する人的結合「国家」だった。邪馬台国と女王国を別個の存在として、考古学と『魏志倭人伝』の矛盾を解決。さらに稲荷山古墳出土鉄剣銘文などから、古代国家形成を考える。
十四世紀の幕府の訴訟制度を、所領をめぐる訴訟を中心に検討し、将軍による訴訟親裁化の動きを解明。さらに訴訟手続きに関する体系的研究を文書の機能論から見直し、制度面から初期室町幕府の変革のありように迫る。
諸氏の系図の集大成。洞院公定(一三四〇-九九)撰。内容は大半が藤原氏の系図で、ほかに源・平・橘・菅原・大中臣・清原・中原・清原・中原大江・高階・小槻・和気・丹波・賀茂・安倍・多治比・物部・坂上・紀・蘇我・小野等の諸氏系図を収め、収載人数四万人近くに及び、古代・中世を通じて姓氏・家系を調査する際、不可欠の書物である。しかし成立の由来、原形については明らかでなく、写本には所収の系図、篇目の序列、書継ぎなどに多くの異同が見られる。本大系本は諸本を校勘して信頼できる校訂本を作成し、従来の不便は一掃された。別巻2に尊卑分脉索引を収め、検索の便を図った。
日本中世は仏教の時代といわれるが、なぜ仏教が選ばれたのか。宗教関係の文献である聖教、東寺文書、一切経、往生伝などの史料を分析。対外交流と政治世界に連動して国家宗教として成立した日本中世仏教形成史を探る。
都市空間とは何か。吉宗の紀州家臣の江戸屋敷獲得などの政治的関係や、秩父三十四カ所霊場をめぐる文化的関係など、さまざまな角度から検討。近世の都市空間を、社会的諸集団の関係構造のなかで動態的に描き出す。
中世の国制の中で、幕府は軍事とどのように関わり展開を遂げたのか。京都大番役や「某跡」賦課方式など、御家人制の諸相から幕府の特質を解明。異国警固番役や本所一円地など、室町期荘園制や武士団結合にも説き及ぶ。
学制施行期から設けられた貧困子女のための慈善学校。その設立理由・経緯、運営の実態、政府の対応と事業の終了などを詳細に検討する。これまでまったく知られていなかった慈善学校の全貌を明らかにした初めての書。
朝廷に仕えた下級官人の集団=地下官人。組織と構造的展開、身分的特質や堂上公家との関わりなど、地下官人の実態に迫る。近世京都の都市史、文化史、畿内の村落史研究や、天皇・朝廷研究においても新機軸の研究成果。
古代王権は山野河海という空間をいかなる形で支配しようとしたのか。律令制国家成立以前と以降での、支配のあり方と変容を検討し、「禁処」が、山野河海支配の中で創出された背景と理念およびその歴史的意義にも迫る。
近代にはメディアの大衆化が階層の平準化をもたらしたとされる。だが、新聞・雑誌購買者名簿を分析すると通説とは異なる実態が浮上する。電話・ラジオ等も取り上げ、普通の人々のメディア受容を描く「下からのメディア史」。
権力が分散し価値観が多極化した時代=中世。日独の気鋭の研究者が、多角的な視点で日本と西欧の中世世界を並列に比較・分析する。国制と分権社会、環境と生産活動、心性の再現、巡礼文化…。新たな中世像を紡ぎ出す。
明から清への王朝交替や西欧諸国のアジア海域での競合など不安定な情勢下、江戸幕府はどのような外交政策をとったのか。対外関係の窓口長崎にも注目し、幕府から派遣された奉行や地役人による複合的都市社会を考える。