西洋フェミニズムの「普遍的正義」の裏に、異なる文化への差別意識がひそんではいないかー。女性であり、かつ植民地主義の加害者の側に位置することを引き受け、「他者」を一方的に語ることの暴力性を凝視しながら、ことばと名前を奪われた人びとに応答する道をさぐる、大胆にして繊細な文化の政治学。
正当な地位を獲得すればするほど進む若い世代のフェミニズム離れ。それはなぜか。近代主義的な言説の厚む幾重もの屈折を解きほぐす。
『装置としての性支配』(1995年)につづく第五論集。90年代後半から今日までのフェミニズム、ジェンダー論を中心とした著者の代表的な仕事を収める。「女の時代」と呼ばれた80年代から一転して90年代のフェミニズムは、普及と拡散という事態に直面し、フェミニズム離れという現象すら起きている。少子化、晩婚化、経済不況の深刻化のなかでフェミニズムが抱えている課題を明らかにする。総論から各論へ、女性全体の問題から個別の問題へ、という時代の変化の意味を探っていく。性の商品化、性暴力、自己決定、セクハラなどの問題群をどう考えればよいのか。
本書の主題は、人口転換と少子高齢化である。人口学の基礎的な概念をわかりやすく解説し、各種の指標ならびにデータの正確な読み方に留意した。人口問題の概論として、人口研究のメインストリームを論じている。最終章では、少子化に対する各国の政策対応の現状分析を超えて、政策提言に踏みこんだ。
音楽療法からフリー・ミュージックまで最先端の音楽シーンに立ち会って考えたこと。
フェミニズムによって導入されたジェンダー観点は、時々刻々立ち現れてくる支配的な観念や絶対だと信じられている真理を、流動化する大きな力となってきた。さらにそうして生み出された流れを、観念にとどめることなく社会的現実に転化するための思考的実践が必要なのである。「フェミニズム的転回」叢書創刊第1巻目の本書は、哲学、倫理学、美学、宗教民俗学、歴史学の各分野で活躍する著者たちによる刺激的なジェンダー批評の実践である。
第1章 フェミニズム的転回のとき(大越愛子)
第2章 倫理学とジェンダーの視点(志水紀代子)
第3章 美的判断力の可能性(持田季未子)
第4章 「日本」論という思想(井桁碧)
第5章 女性史研究と性暴力パラダイム(藤目ゆき)
ポスト産業社会=“環境社会”実現のための社会改革の思想的方向性を提起する。
身体、そのリアリティから生起する今日の倫理を問う。
社会史的観点からのアプローチを重視した、新しい視点による生物学史研究入門。
本書は、抽象的説明に終始しがちな道徳哲学の諸学説を、安楽死・同性愛・中絶・動物の権利・死刑制度など現代社会のさまざまな現実と引き合わせることによって、他に類をみないほど鮮やかに描き出している。これらの豊富で適切な実例によって、倫理学上の問題とは、書物の中に閉じ込められた空虚な理論ではなく、我々の眼前で生起している生々しい出来事に他ならないということが実感されるであろう。
「ポスト」とは「フェミニズムが終わった」という意味ではない。近年、他の批評理論と交差しながら理論をより先鋭化・深化させ、新たな領野を切り拓いているフェミニズムの新段階のことである。本書は、“ポスト”フェミニズム理論が、どのような現実的文脈から内発的に要請されてきたのか、社会・政治・科学の現況が今何を思考することを迫っているのか、そして、今後どのような展望を描きうるのかを問いかける、新たな時代への「挑戦」の書である。
「“ポスト”フェミニズム」とは何か?精神分析学、ポスト構造主義、ポストモダニズム、ポストコロニアリズム等の批評理論と交差しながら、理論をさらに先鋭化・深化させ、新たな領野を切り拓いていくフェミニズムの新段階のことである。先鋭化・深化を進める“ポスト”フェミニズム理論の図解による初の入門書。ラカン、フーコーから、バトラー、セジウィックまで。
現在、宗教とフェミニズムが交錯する場は複雑に入り組んでいる。この複雑な語りの交差するところにこそ、現代女性の自己再生への可能性がある。宗教は「家父長制の道具」なのか。抑圧された女性を救う力となるのか。
江藤淳を、優れた文芸批評家であると同時に、優れた文明批評家であると見ていた著者による江藤淳論。第一章では、戦後日本の「なんとなさ」に根ざすサブカルチャー文学と対峙し、厳密に選別を行っていた江藤淳の姿を、作品を通して分析する。第二章では、「来歴否認」をキーワードに、三島由紀夫、村上龍、村上春樹等の作家たちの作品と生き方が、さらには、サブカルチャーとして生き続ける著者自身の困難さが語られる。
ポスト構造主義による安定的な主体の概念の解体は、フェミニズムに何をもたらすのか。われわれが自らの性的位置づけを選びとるに至る無意識の過程をめぐり、ラカンは男女2つの性を対立的なものとして捉えない図式を打ち出した。ファルス中心主義として激しい批判にさらされてきたラカン理論のなかにフェミニズムの進むべき新たな道をさぐる。
この本に盛り込まれているのは、世界中のいろいろな地域で活躍するセラピストたちによって形作られた治療的会話のストーリーです。本書の各章は、ナラティヴ・セラピーを実践するための重要なキーワードについての10個ほどの質問にそって技術書風に書かれている。セラピストが実際に遭遇する困難事例も数多く紹介され、外在化するための会話のこつや、再著述の始め方・進め方にもふれられているので、大変読みやすいものとなっている。好評の『ナラティヴ・セラピーって何?』に続く、ダルウィッチ・センター入門書シリーズの第2弾。
さまざまな場で起動する「男子基準」、性別(間の/内に)ステレオタイプな分化を促すシステム、知に潜むジェンダー・バイアス、機会と選択の壁ー教育と研究の場はいかに変わりうるか。性や家族を問い直す知への逆風や、制度化と格差のジレンマに地道に向き合う実践と省察。
「国家」と「わたし」の関係はどうあるべきか。過去のシティズンシップ(「市民権」)論、主にリベラリズムの議論を批判的に再検討しながら、「平等で自由な人格」がよりよく尊重されるための新たな理念を構想する。いかなる者の視点をも排除しない可能性を秘めたフェミニズム・シティズンシップ論につづき、誰かに依存せざるを得ない存在であるわたしたちにとって不可欠の「ケア関係」に着目した章を増補。本書は、「シティズンシップ」論入門として最適であると同時に、社会科学の新局面をひらく挑戦の書である。
文化的・社会的に構築されたセクシュアリティは、現在どこまで揺らいだか。排他的で抑圧的な異性愛規範を踏み破り、自らのセクシュアリティを選択する人、性暴力被害の当事者、性産業で働く人の声が制度や法を動かし始めた。これまで聞かれることのなかった多様な声を収録。