しょうがい児の母親としての、ふだん着の、等身大の想いを、もっと語ろうよ、もっと聞いてもらおうよ。しょうがいをもっていても、その子らしくのびやかに暮らせるように。そのためには、母親も、その人らしくのびやかに暮らせるような、そんな社会であってほしい…そんな想いを、私たち自身のことばで語ってみたかったのです。
お母さんー。いつもは素直に伝えられない思いも、手紙ならきっと言える…。数行の手紙にこめられた、かけがえのない母への思い。福井県丸岡町が公募した手紙文のコンクール「一筆啓上賞」には、全国から三万二千通もの作品が寄せられた。どの作品も、感謝の気持ちとほろ苦い本音とがかぎりなくあふれ、読みながら思わずうなずいてしまうものばかり。いちばん大切な何かを思い出させてくれる、心のエッセンスがたっぷりつまった感動の手紙集。
「一度目」は戦時下の強制連行だった。朝鮮から九州の炭鉱に送られた私は、口では言えぬ暴力と辱めを受け続けた。「二度目」は愛する日本女性との祖国への旅。地獄を後にした二人はささやかな幸福を噛みしめたのだが…。戦後半世紀を経た今、私は「三度目の海峡」を越えねばならなかった。“海峡”を渡り、強く成長する男の姿と、日韓史の深部を誠実に重ねて描く山本賞作家の本格長編。吉川英治文学新人賞受賞作品。
絢爛豪華で重てく難解で、でもやっぱりそこにあるのは人間のドラマで、千年前に、人はこんなにも豪華に現代の悲惨を演じていたという、そんな話。
「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて…」明治初頭、十七歳で結婚。小樽湾の岸壁に立つ小さなパン屋を営み、病弱の夫を支え、六人の子を育てた母セキ。貧しくとも明るかった小林家に暗い影がさしたのは、次男多喜二の反戦小説『蟹工船』が大きな評判になってからだ。大らかな心で、多喜二の「理想」を見守り、人を信じ、愛し、懸命に生き抜いたセキの、波乱に富んだ一生を描き切った、感動の長編小説。三浦文学の集大成。
本書は、歯科矯正臨床における歯の移動を正しく遂行するための生体力学の基礎と応用、ならびにこれに関連した諸問題について説明する。
とある精神科病棟。重い過去を引きずり、家族や世間から疎まれ遠ざけられながらも、明るく生きようとする患者たち。その日常を破ったのは、ある殺人事件だった…。彼を犯行へと駆り立てたものは何か?その理由を知る者たちはー。現役精神科医の作者が、病院の内部を患者の視点から描く。淡々としつつ優しさに溢れる語り口、感涙を誘う結末が絶賛を浴びた。山本周五郎賞受賞作。
「お母さんに会いたい!」イタリア・ジェノバからアルゼンチンへ。果てしなく続くマルコの旅。名作アニメーションの絵本化。少年マルコの愛と勇気の物語。
まーちゃんまーちゃん、どうしたの?げんきがないけどどうしたの?も、もしかして…。3・4歳から。
「母をたずねて」は、イタリアの作家デ・アミーチスの「クオーレ」に収められている作品です。この作品に登場する人々の多くは、けっして豊かではありません。しかしその心は、なんと豊かで温かなのでしょうか。人々のマルコを思いやる気持ちは、胸に深くしみるようです。そしてなにより、どんな貧しさ、困難の中でも変わることのないマルコのお母さんへの思いに、どんな人でも胸を打たれるにちがいありません。
本書は、激動した終戦前後二年間の“国民学校”(現小学校)の記録で、1972(昭和47)年、朝日新聞社から『あゝ国民学校』として出版されたものの再版である。
母は苛酷な運命を、顔を上げて前向きにしっかりと生き抜いた。その母の人生は、一輪の花のように見えてくる。だれに見せるために咲いているんじゃない。ひたむきに生きてきた歳月が、気がついてみたら野に咲く一輪の花になっていた。映画「学校」の原案者が、混乱と貧困の時代を生き抜いてきた世の母親たち、そして今を生きるすべての母親たちに贈る。
本歌集は、余りに身に寄り添った営為であっただけに却って歌集の公刊にためらいを感じていた保田が、生涯に一度だけ世に問うことになった一冊である。その後記に、「歌に対する私の思ひは、古の人の心をしたひ、なつかしみ、古心にたちかへりたいと願ふものである」と記されているが、歌のみならず、保田の文業全般に通じる言葉でもあろう。
1945年8月15日、日本敗戦。国内外の日本人全ての運命が大きく変わろうとしていたー。香港で諜報活動に従事していた憲兵隊の守田軍曹は、戦後次第に反日感情を増す香港に身の危険を感じ、離隊を決意する。本名も身分も隠し、憲兵狩りに怯えつつ、命からがらの帰国。しかし彼を待っていたのは「戦犯」の烙印だった…。「国家と個人」を問う日本人必読の2000枚。柴田錬三郎賞受賞。
敗戦とともに、お国のための「任務」は「犯罪行為」とされた。国家による戦犯追及。妻子とともに過ごす心安らかな日々も長くは続かなかった。守田はふたたび逃亡生活を余儀なくされる。いったい自分は何のために戦ってきたのか。自分は国に裏切られたのか。一方、男の脳裏からは、香港憲兵隊時代に英国民間人を拷問、死に至らしめた忌まわしい記憶が片時も離れることはなかったが…。