自然の生態系への理解に基づく循環立体農法を提唱し、伝統農法を活かした無農薬栽培法、農業養鶏法に基づく天地農場を主宰する久門太郎兵衛氏の百姓人生80年の記録。賀川豊彦、杉山元治郎、藤田菊次郎、ビル・モリソンら農業指導者たちとの交わりと思い出を通して、農法と自然への畏敬の念を伝える帰農者へのメッセージ。21世紀を迎える今、オーガニックに生きるとはどういうことか、あらためて伝統農法実践者の「有機農法」に耳を傾ける人々に贈る。
儒教、革命プロパガンダ、国家体制、市場経済の流入…。さまざまな苦難のなか、芸術の独立のために闘う人びと。天安門事件の失望と恐怖が冷めやらぬ、北京の芸術村に集まった若者の息づかいと、モダンアーティストたちの軌跡を描き出す。
世界の注目をあつめる現代美術の巨匠・カバコフの主要テクストを本邦初訳。芸術とは何か、人はどのように生きているのか、ソ連時代から現在までの手さぐりの思考は、私たちに多くの示唆を与える。ロシア文学者・沼野充義の書き下ろし“カバコフ論”、カバコフとグロイスとの対話3篇を併録。
西洋音楽の枠内には収まらない「音・運動・リズム」は、幼年期に自発的な歌遊びを通して身体に刻みこまれ、私たちは皆、“ミューズ的人間”となる。その後も、10代の若者のアイデンティティ模索のうちに、芸術家の驚くべき創作活動のうちに、そして老年期の歌遊びやダンスのうちにミューズは生き続け、人生を潤すとともに、生き生きとした人間性をもたらす。青年期を経て晩年に至る人生の諸段階からエピソードを豊富にひき、音楽学のみならず歴史・心理学・社会学など多様な知の分野を横断しながら、人間の本性としてのミューズの意味合いを考察する、注目のロングセラー。
「われわれは群衆と芸術家たちの目を惹きつけるものすべてについて語るであろう」。19世紀中葉、フランスの美術革新期において、一部の階級の独占物であった絵画を広く公衆にもたらし、その蒙を啓くことを批評家の任務としたシャルル・ボードレール。モデルニテの成立期における芸術の状況を社会的・歴史的に位置付け、決断し、創造していく芸術家・批評家でもあった詩人の言説を熟読し、再検討するとともに、ドラクロワ、クールベ、マネら同時代の画家との交渉を通して論じる。
生命あるものが、何故にかくまでも美しく存在するのか…。その疑問を、恐竜・クジラから犬まで、多彩な花々と草木、チョウや昆虫、そして魚や貝類など、多種多様の形態を見較べ、独自の手法によって探究する。あらゆる「かたち」は、最も美しいプロポーション“黄金分割”比率へと収斂することを解明し、自然界のダイナミズムと調和の意味するものを、全くユニークで大胆な思想へと構築する。
風刺と諧謔。芸術を語り、マンガを論じ、人物を評した辻まことのもうひとつの素顔。
本書は、やきものの中でも特に人気の高い「織部」の作り方だけにテーマをしぼり、基本の基本から紹介した陶芸の技法書です。
技巧の頂点を極めた本格派の巨匠円熟の作品群!傑作中篇「金貨の首飾りをした女」他、全8篇!「風の証言」の原型となった中篇「城と塔」を初めて収録。
印象派、前衛、キュビスム、シュルレアリスム、抽象主義、表現主義、ポップ・アート…。十九世紀以来、絶えず「否定」と「変化」を繰り返してきた芸術を、「進歩」という概念で物語ることは可能なのだろうか?一過的なもののなかに永遠の要素を含み、またそれゆえに新と旧との果てしない交代のサイクルから逃れえない「現代性」…ボードレールが憂愁とともに予感したその概念の二面性を、近代芸術は克服できたのだろうか?学者的博識と緻密さに、鋭利な批評家的資質を併せ持つフランスの気鋭が、「作品の自律化/純化」という近代芸術の歴史観に抗し、そこに潜む五つの背理を緻密に分析しつつ、ポストモダン芸術の可能性を模索する。
1933年5月、アドルフ・ヒトラーは、一世代のすべての文学者をドイツ国民の記憶から抹殺した。地位と名声のあるほとんどすべてのドイツ語圏の作家の本が、「退廃芸術」であるとして火葬されたのだ。この文学者たちへの弾圧は、単にその著書を火の中に投げ入れただけでなく、文学者自身をも逮捕・拘禁し収容所へ送るという過酷なものだった。ある者は獄中死し、ある者は亡命し、またある者は自殺した。この焚書の結果、今日にいたるまで1920年代の表現主義の作品は、ドイツでもかなり忘れ去られたままとなった。そして、戦後ドイツが東西に分裂したことが、文学者たちの運命をさらに複雑なものにした。なかには社会主義者として東側で生き延びた者もいた。その一方で、亡命したソ連でまたも粛清された者もいた。その作品の発表の機会が失なわれたまま、貧困のうちに西側で亡くなった者もいた。このナチスのもとで粛清された文学者たちのリストは数百人にのぼるが、本書は、戦後のドイツでも忘れられた存在だった「焚かれた詩人たち」三十数名の人生と作品を紹介する。
本書では、世界で最も影響力のあるソニーデザインセンターの内部を初めて紹介するとともに、これまで紹介されていない21世紀のソニー製品を見ることができる。100件以上もの新製品、コンセプト、プロトタイプについて考察しており、ソニーの21世紀の製品ラインを見渡すことができる。さらに、デジタル技術への変遷に伴う、企業テクニックとデザイン哲学についても解説する。
シェイクスピアもオペラも当初はポピュラーだった。ラップの分析etc.を通し、高級/ポピュラー、本物/偽物、純粋/不純の区分を退け、アートを経験と捉えて生の全体へと拡張する。
シンフォニストの壮大な夢。オルガン的発想にもとづく瞑想的、宗教的高揚と独自の重厚な音楽語法が織りなす広大な音響空間。
天才画家なりとも、その画風は別の作家から“失敬”している。要は「いかに自分のものにするか」…。現代洋画界の異才・佐々木豊が、自らを含めた12人のアーティストの他から盗み、それを画風に生かしていった過程に迫る!佐々木流“泥棒のススメ”。
芸術家が創造するとき、脳の中で何が起こっているのか?絵を凝視するときには、どんなメカニズムが脳の活動を支配しているのか?美的快楽というこの奇妙な、きわめて強い感情はどこから生まれてきたのか?人はそれを説明することができるのだろうか?長い間、芸術的創造は謎とされてきた。しかし20年ほど前から、神経科学と認知心理学の貢献により、その謎は深まるどころか、徐々に解明されている。脳のエキスパートであり偉大なコレクターでもあるジャン=ピエール・シャンジューは、あまり知られていない国内外の傑作をちりばめた本書の中で、われわれをまさに創造のプロセスの中心にある素晴らしい「哲学的冒険」に招待してくれる。
書画、篆刻、陶芸、染色ばかりか料理にまで、類稀な才能を発揮した魯山人も、その人となりについてはさまざまな雑言を浴びせれらている。だが、はたしてそれは本当の彼の姿なのだろうか。新たな取材をもとに、今、その真実に迫る。
すぐれた芸術作品には芸術家の個性が表現され、同時に、その時代の芸術様式が反映する。芸術様式には時代の精神が刻印され、時代の精神はその社会の構造と響きあう。あるいは絵画、彫刻、建築、あるいは音楽、演劇と、洋の東西を問わず、古典から現代作品にいたるさまざまな作品を通して、芸術と芸術家と社会との関係、すなわち、芸術の普遍的意味を問う。
臨床に不可欠な基本的な看護技術について「なぜ、そうするのか」「なぜ、注意しなければいけないのか」…その根拠をQ&A形式でわかりやすく解説し、各看護ポイントも掲載。
あなたは与えられるトレーニングメニューをこなすだけ!!毎日どんどん話せるようになる。