モーリス・センダック三部作から、宮崎駿「千と千尋の神隠し」、村上春樹『海辺のカフカ』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、そしてルネ・マグリットとヘンリー・ダーガーの世界へー幼児期から思春期を経て大人に至る、長き心的発達過程を素描する入門講座。
インドひと筋。女たちの育む美の世界に魅せられ、ひとり大地を行く。-楽園に心の闇を映すミティラーの民俗画、赤土の谷にはるかな夢を描くシャーンティニケタンの画学生、まばゆい白さに孤独な魂をこめるサルグジャの土人形、針の痛みに命を託す先住民バイガの入れ墨。
安野光雅、エリック・カール、ロバート・サブダ、モーリス・センダック、レオ・レオニら、世界的に親しまれている23人の絵本作家たちが自分たちのこれまでの道のりについて語る。絵本作家たちの子ども時代の作品、下絵や完成作品だけでなく、アトリエや愛用の画材なども紹介。
マティスは絵画と彫刻という伝統的な芸術ジャンルにおいてだけでなく、陶器の絵付け、舞台の衣装や装置のデザイン、そして建築の装飾などの幅広い領域において活動していたのである。
あのGEBの奇才ホフスタッターが、音楽、アート、ナンセンス、ゲーム理論、人工知能、分子生物学、…をめぐり、マジックとロジック、諧謔と厳密を駆使して思考の限界に挑む。
芸術療法は、なぜ、どのようにこころに働きかけるのだろうか。こころとアートが紡ぎ出す言葉にならないイメージやその表現の世界が語りかけるもの。
『サロメ』『幸福な王子』『ドリアン・グレイの画像』など多くの著作と数々の警句で知られる「世紀末芸術の旗手」オスカー・ワイルド。アイルランドに生まれ、オックスフォード大学在学中から頭角を現した青年期に始まり、同性愛裁判に敗北し、保守的なイギリス社会から追放される晩年まで。「私は人生にこそ精魂をつぎ込んだが、作品には才能しか注がなかった」-どの作品よりも起伏と魅力に富んだ彼の生涯をたどる。
本書は『線描芸術(アルス・リネアンディ)』の基本フォルム、即ち、波や組紐文や結び等と取り組みます。その大部分はランゴバルドの石工芸術や、ケルトの写本芸術の精神的なフォルムの規範を拠りどころとしていますが、さらに新しい形象を目指すものです。
小説『黒揚羽の夏』で鮮烈デビューを果たした俊英による明日を切り拓くための歴史的パースペクティヴ。生と労働、そして生と芸術ー関東大震災から大戦前夜にかけ、これらを総合すべく華開いた幾多の“夢”。彼らの思い描いた夢想は儚く歴史のなかへと埋没してしまうのか?宮沢賢治、柳宗悦、江戸川乱歩、今和次郎、有島武郎、横光利一、保田與重郎らの思考と実践の核心を抉り、大転換期を迎えた現代にその姿を鮮やかに蘇らせる。
批評とは、理由にもとづいた価値づけ(reasoned evaluation)である!恣意的な深読みはなぜ悪いのか。作者の意図は批評にどう関わるのか。客観的な批評を行うにはどのような作業が必要なのか。分析美学の泰斗であり映像批評家としても活訳する著者が送る、最先端の批評の哲学。
第一次大戦のさなか中立都市チューリッヒで、あらゆる既成の価値観に抗して始まった芸術運動「ダダ」は、斬新で冒険的なアイディアをたずさえて瞬く間に世界中に広まった。パリ、ベルリン、ニューヨーク、オランダ、スペイン、東欧、南米、日本へと同時進行的に展開していくダダイズムの拡がりとつながりを地球規模の視点で捉えなおし、その多様性と越境性、およびそこに込められた現代性を再考する。
徳島県神山町で、北海道網走市で、長野県安曇野松川村で、地域固有の記憶と文化を核としたワークショップの試みがつづいている。アートの、確信に満ちた静かな挑戦はつづく。
満洲事変期からアジア・太平洋戦争期に至る戦時下の日本で、統制や自主規制、忖度などが入り交じるなか、音楽・映画・演劇・文学・美術などの日常に欠かせない娯楽が戦争に動員された。議事録や公文書、新聞報道を掘り起こし、総力戦体制下の娯楽政策の全容と変遷を明らかにする。
里山を巡るアートの旅は、所与の自然とそこに生きた人々の生活と今を生きる人間が呼応し合う“うたげ”のように感じられる。アートによる地域づくりのパイオニアとして四半世紀を切り開いてきた北川フラムが案内する大地の芸術祭25年の道のり。
日本でも注目を浴びるイタリアのスピリチュアルコミュニティー“ダマヌール”。その理念と実践、そして創設時のエピソードから世界中に知られるまでの経緯、さらには、芸術的傑作とされ、多くの人々が訪れるパワースポットにもなっている地下神殿の全貌を、イギリスのジャーナリストがルポしたノンフィクション。
“絶望”と“確信”の間で揺れる世界舞台の上で、人間はどのような役を演じるのか。『迷宮としての世界』『文学におけるマニエリスム』に続く、ホッケ・マニエリスム論の総決算ともいうべき警世の書。三部作完結篇。