芸術家の年賀に込めた美の世界。個性あふれる芸術家73名の年賀状、277通を一挙公開。
作品よりも作品を作る精神の機能を探求しつづけたポール・ヴァレリー。明晰な批評意識をもつがゆえに〈ヨーロッパ最高の知性〉と呼ばれた詩人は近年、知性と感性の相克に懊悩するその実像が明らかになっている。
本書では、ヴァレリーの肖像に迫る第1部にはじまり、〈他者とエロス〉の問題に肉薄する第2部、そして第3部〜第5部では芸術論の三つの諸相(絵画、音楽、メディウム)に焦点をあて、新たな読解の道筋を切り開く。
抽象彫刻の泰斗イサム・ノグチ。彫刻のみならず、マーサ・グラハムのための舞台美術でも名を馳せたアーティスト。日本人詩人・野口米次郎を父に、作家であるアメリカ人レオニー・ギルモアを母に、1904年ロサンゼルスで生まれた彼は、終生、自らの「居場所」を探して旅をした。若き日は、肖像彫刻で生活費を得ながら、早くも1933年に「プレイマウンテン(遊び山)」を構想。生涯をかけてノグチはこの構想を温めつづける。
1949年、45歳のノグチは奨学金を得るため、ボーリンゲン財団に「レジャー環境の研究についての申請」を提出する。「私は長く、彫刻と社会とのあいだに、新しい関係がつくりだされなければならないと考えてきた」と始まるこの趣意書には、彫刻の意義を問いつつ、レジャー(余暇)環境そのものの質を変えていくのは、美に関する課題であるとした。ノグチは彫刻を媒体として、人々のくつろぎの場、愉しみの場をつくり出そうと試みていた。
1950年に来日したノグチは、建築家・谷口吉郎のもとで、慶應義塾大学・新萬來舎の内装と庭を手がける。団欒の場の創出、日本との短い蜜月のはじまりだ。51年には広島平和公園の2つの橋の欄干の設計を依頼され、その途中に寄った岐阜で「あかり」のイメージとなる岐阜提灯に出会う。52年には、北鎌倉の北大路魯山人の土地の一隅に、新妻となった女優・山口淑子とともに移り住み、焼きものに没頭するノグチ。掌にのるような彫陶作品「私がつくったのではない世界」が生まれる。国籍も年齢も問わず、いつでも誰でも受け入れられる場としての「庭」。ノグチの魂の旅を鎮める「庭」であった。
日本、アメリカ、イタリア、各地で彫刻家としての仕事をしながら、1960年代には、イエール大学バイネッケ稀覯書・写本図書館、チェイス・マンハッタン銀行の沈床園、イスラエルのビリー・ローズ彫刻庭園などの名作を生む。その一方で、ルイス・カーンとの協同によるニューヨークのリヴァー・サイド・ドライヴの公園計画は、実現に至らなかった。ノグチの「公園」が初めて実現したのが65年、大谷幸夫との協同による横浜「こどもの国」であった。
日本では、庵治石で有名な香川県にアトリエを構える。移築された古い民家に手を加えて、ゆるやかな起伏を活かした庭をつくりつつ、「真夜中の太陽」「エナジー・ヴォイド」などの名作がここで生み出された。
札幌のモエレ沼公園マスター・プランを設計した1988年、この年の暮れにノグチは永遠の旅に出る。起伏だけでつくられた庭園。そこは人々のつどう場であり、風であり、身体である。渺々と風をまとうプレイマウンテンがモエレ沼公園に完成したのは、1996年であった。
作品図版55点とともに、インドに始まり、21世紀の庭の芸術を求める旅。
20 世紀を代表する美術史家ニコラウス・ペヴスナーと、ゴシック・リヴァイヴァルを主導した19 世紀の建築家A. W. N. ピュージン。中世ゴシック芸術の名もなき職人たちの謙遜を称揚する2 人の言葉から、神律的社会から乖離した現代における生のあるべき姿を考える。現世的欲求にとらわれない、真に価値ある生きかたとは?
玉手箱から煙が漏れ出す
茶碗が人形を運んで走る
皿から幽体離脱
壺が手招きしてくる
どこまでも使えない、人を食った陶器たちの全貌が明らかに!
本書に登場する陶器は、あたかも普通の陶器のように見えるだろう。
繊細な絵付け、高度な技術や色づかいは名高い産地のものを彷彿とさせ、複雑な装飾は美しい……
が、邪魔なことこの上ない。つまるところどれもまったく実用に適さないのである。
にもかかわらず、フクモ陶器は我々の心をとらえて離さない。
特別附録「袋とじ秘仏」
巻頭グラビア
わたしとフクモ陶器の出会い
入門編
無用性の分類/通過系/主体系/束縛系/邂逅系/離脱系/時空系/増殖系/ニュー骨董/謎の物体
応用編
各地の風習と結びつくフクモ陶器
◉奇妙な芸事 フューチャー茶道/フューチャー盆栽/幻の書道・書かず道/ニュー神楽
◉甦る伝統陶器 十谷焼/奇妙な織部
◉幻の祭 六甲借景祭壇/六本祭/パイン開きの儀
◉伝説の土産物 龍宮/冥土/各処土産
コラム 絵付け解放運動/食卓を彩るフクモ陶器の世界/フィギュア大集合
寸法比較表
あとがき
特別附録 袋とじ秘仏
喜怒哀楽を操り、共同体を再生させ、時に神や亡霊をも呼び出す舞台芸術の魅力は如何に生み出されるのか。ギリシア悲劇を範とし、オペラやバレエへと拡散していく西洋演劇史を踏まえつつ、能、文楽、狂言、歌舞伎といった日本の伝統芸能や中国の京劇、バリ島の舞踏も取り上げ、その真髄を鮮やかに描き出す。自らも演出家として活躍した演劇研究の泰斗が、歴史・理論・実作を一本の線で結ぶ入門書の決定版。
解説・平田オリザ
*本書は、1996年に放送大学教育振興会より刊行された『舞台芸術論』を再編集し、改題のうえ文庫化したものです。
【目次】
はじめに
第1章 演劇 この多様なるもの
第2章 劇場の系譜
第3章 劇場とその機構ーーシステムとしての劇場
第4章 演じる者の系譜
第5章 稽古という作業
第6章 劇作の仕組み
第7章 悲劇と運命
第8章 喜劇と道化
第9章 近代劇とその対部ーー前衛の出現
第10章 東洋演劇の幻惑(一)
第11章 東洋演劇の幻惑(二)
第12章 前衛劇の地平
第13章 理論と実践ーー世阿弥の思考
第14章 オペラとバレエーー新しいキマイラ
第15章 舞台芸術論の現在
おわりに
解説
参考文献
先の見えない時代、列島にアートプロジェクトが満ちる。民衆は祝祭芸術を求めるが、アートプロジェクトの多くは祝祭芸術であり、芸術活動は、祝祭芸術が豊かなところに開花する。
本書の第一の試みは、祝祭と地域社会が持つエネルギー、ダイナミズムを解き明かすことである。
第二に、地域社会と芸術アートとの関係性を解き明かそう。登場するのは、棚田、郷土芸能、奇祭、山野草、潟湖沼、過疎や離島、野草採集、川遊び、里山、沼沢、町工場、農業、川砂利採掘、回船など一見“アート” とは遠い日本人の原風景である。
第三に、芸術は個人のものであるとともに、共同体の表現でもあると喝破する。芸術活動は人々の思いを協働で表現する。
祝祭とアートプロジェクトに込められるのは、豊かな自然と情の満ちる地域社会を再生しようとする人々の願いの根源。日本人の原風景を遡りたどって行き着いた、アートプロジェクトがもたらす再生と創造の新たな地域社会像を提示する。
原著者ナウムブルグ女史は、それまでの精神分裂病の表現病理に焦点づけられた理論や創造性を軽視した作業療法的な方法ではなく、精神分析的理解に基づく今日的芸術療法の創始者として、あるいは「なぐりがき法(scribble technique)」の提唱者としてしられる。本書には芸術療法の啓発的な総論に続いて、「なぐりがき法」をも含め、長期にわたって芸術療法によって治療された3例の詳細な事例報告が、多数のカラーを含む描画とともに提示されている。
大酒を飲んでは、個性を爆発させた米山!その書は、飲むほどに、酔うほどに、魅力を増した。
生きることそのものであるような芸術的活動、すなわち〈生(せい)の芸術〉は、出会う者の生をいかに変容させ、制度化された既存の芸術界に何を問いかけるだろうか。
重度の自閉スペクトラム症者たちの表現活動、ハンセン病国立療養所の絵画クラブ、インドネシアのアート・コレクティヴが芸術監督を務めたドイツの国際芸術祭、ナイジェリアの現代アーティストによる工房での共同制作……。多様な現場で織りなされてきた、他者とともに生き、つくる営み。「生(き)の芸術」と呼ばれてきたアール・ブリュット、近現代の美術史も参照しながら、自明化された芸術と社会の枠組を揺り動かす論考集。
【執筆者紹介】
青木惠理子 担当:まえがき・序論・第三章・第2部コラム・あとがき
文化人類学研究に従事。日本への移民の子どもたち、日本の旧産炭地社会、在日インドネシア人介護福祉士・看護師、アートの文化人類学的フィールドワークに基づく研究に従事している。
高岡智子 担当:第一章
ドイツ語圏のユダヤ人作曲家研究をきっかけに、現在は東ドイツのポピュラー文化研究に取り組む。専門は音楽社会学。龍谷大学社会学部准教授。
羽鳥悠樹 担当:第二章
九州産業大学芸術学部非常勤講師。専門はインドネシア近現代美術史。
川口幸也 担当:第1部コラム
専門はアフリカ同時代美術、展示表象論。世田谷美術館学芸員、国立民族学博物館・総合研究大学院大学准教授を経て2020年まで立教大学教授を務める。
山田 創 担当:第四章
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員、滋賀県立美術館学芸員。
松本 拓 担当:第五章
専門は社会学。龍谷大学非常勤講師、ユヌスソーシャルビジネスリサーチセンター研究員。
藏座江美 担当:第六章
学芸員、司書。熊本市現代美術館の立ち上げに従事。
藤澤三佳 担当:第七章
京都芸術大学名誉教授。社会人間学のなかの自己アイデンティティ論、自己意識論が専門。
服部 正 担当:第八章
美術史・芸術学。兵庫県立美術館学芸員、2013年より甲南大学。
村澤真保呂 担当:第九章
専門は精神分析、社会学、社会思想史。龍谷大学教員。
胡桃澤伸 担当:第3部コラム
劇作家、精神科医。精神科医として兵庫、大阪、東京、千葉で勤務。専門は統合失調症、外傷性精神障害。
ミューズ=画家と恋愛関係にあった美女、ではない。ポーズをとるだけの従属的な存在でもない。作品の製作にたずさわり、作家の方向性を決定づけ、美術史に残る名作を生み出す力となったミューズの真相と功績を解き明かす。
「劇場」が建築であり空間であるとする考えが一般的な中、本書ではそれを総合芸術の一つとして様々な創造作品の前提環境となる「劇場」と定義し、舞台芸術の歴史について考察。現代において「劇場」が「ハコモノ」と揶揄される事に強い違和感を覚えていた。日本の公立文化施設が本書で定義した「劇場」である必要があると語る時、それは運営上必要なソフトウェアがハードウェアとセットで議論・計画・実施される事を意味しなければならない。このような問題意識を踏まえ、副題を“劇場芸術の境界線から読み解く”とした。演劇や舞踊、劇場研究の先達たちから作品創造に対する知恵に感銘を受けてきた事はもとより、劇場の現場で活躍する演劇人や舞踊家、劇場人との対話により理解を深めたこと等を講義内で学生に伝えた内容や自作のクリエイションについてもまとめている。「劇場」が研究領域において見過ごされてきた境界を結ぶ重要な場となる事を考察した一冊。
序 章 第一章 舞台芸術研究の理論と実践の方法論 第二章 帝国劇場の「前舞台領域」から捉えた舞台芸術 第三章 劇場改革ー新たな風景の発見 第四章 劇場芸術の境界線ー自作の舞台作品を事例として 第五章 創る観客論に立脚した現代の劇場モデル 終 章 「劇場」の拠点性が紡ぐ劇場文化
あなたは剣道の大黒柱をどこに置いてやっていますか。芸術か、競技性か。その価値観の違いで不老の剣になるかどうかが決まる。
著者は「剣道は芸術」と断言し、「芸術性がある」と表現しない。剣道は芸術の分野にあって、競技性も備えているという考え方だが、ここのところが最も誤解を生みやすいところであり、おのずと剣道の質も違ってくる。一般人が剣道を芸術として捉えてくれるようになれば、剣道の評価が高まる。一般人にもぜひ読んでもらいたい。
はじめに
第一章 五島の剣
第二章 剣道家の迷走
第三章 相和する
第四章 戦いの手順
第五章 優雅
第六章 稽古の本源を探る
第七章 原点からの出発
第八章 危機一髪の臨機応変
第九章 有効打突の研究
第十章 大道透長安(私の眼に映じた第38回京都大会)
第十一章 点を線で突く ”突き技” の極意
第十二章 氣を錬る
第十三章 感性を育てる
第十四章 目の付けどころ
第十五章 三殺法
第十六章 全日本剣道選手権大会再検証
第十七章 上段
第十八章 母について
第十九章 剣道は芸術である
日本文化の影響を受けて描き始めたとされる、画に言葉をのせて1コマで見せる「子凱漫画」は、今なお中国で広く親しまれている。庶民の日常生活で育まれる、人の心にある多種多様な「趣」を描き続け、翻訳家としても功績を残した彼の軌跡を、絵画と文章(日本語・中国語対訳)を織り交ぜて紹介。