「時代錯誤な芸術至上主義者」を自任する著者が、“マイナー文学”を論じ、“聖”澁澤龍彦、“怪人の師”種村季弘を始め、カフカ、ランボー、村上春樹、夢野久作、中原中也、あがた森魚、四谷シモン、中島らも他を語る。本書だけに書き下ろした重要稿“言語芸術論”80枚に、多和田葉子・谷川渥との対談も収録。
経済理論家、芸術家、政治家、実務家、散文作家などマルチな才能をもつ人間ケインズ!ケインズの経済理論とそのバックボーンともなる芸術家としての一面を論じたケインズ研究の集大成!
ロシア最大の文化都市、芸術の街サンクト・ペテルブルクに小説家、画家、音楽家が集まり、エルミタージュを筆頭に憧れを一身に集める。3年間の在外研究員を含めた14年間、往来する遺伝研究者夫妻がロシアのふところに交流し、観劇、美術館巡り、歌曲のレッスンや、世界に冠たる植物遺伝資源の総本山バビロフ研の一端など、文化の違いを軽やかに対比し、日常の悲喜交々を描き出す。『サンクト・ペテルブルク断章』の姉妹篇にあたる随筆集。
文化概念の再考を迫る名著、待望の邦訳。著者インタヴューと解説「批判人類学の系譜」(太田好信)を収録。
時代の混沌の中で、その清々しさを失わない魂の営み-。美術の豊饒と民主主義の発展のために闘った芸術家の生涯。若い魂に宿った美の心の遍歴を綴る。
「ダダ」とは、1916年に抽象絵画および前衛詩の分野で起きた突発的事件である。それは、あらゆる「主義」の枠組みを超えた、すべての芸術的価値に対する反乱だった。この熱狂的で過激な反乱は、やがて登場するすべての「前衛芸術(アヴァンギャルド)」の模範となることになった。
本書はプロジェクトマネジャーを支援するために、マネジメントの手法とコストプランニングの技術を解説するものです。すでに先進諸国ではこの分野が体系化していますが、建築生産の体制が異なるために、それはそのままわが国には当てはまりませんでした。そこで本書は、わが国の実情に合わせて実例データをもとにこれを体系化したものです。
“日本のゴッホ”の本質に迫る、画期的評伝!従来の「伝説」を排し、“日本のゴッホ”長谷川利行の本質に迫る、画期的評伝!
「何だこれは?」既成概念を打ち破ることが、新しいものを生み出す原動力となるのだ。
比田井南谷を嚆矢とする前衛書の探究。伝統を背負いながらモダニズムの波と対峙し、言語とイメージ、モノクロームと色彩の間で苦闘した書家たちの戦後があった。上田桑鳩、宇野雪村、大澤雅休・竹胎、千代倉桜舟、青木香流、森田子龍、井上有一。抽象表現主義、アンフォルメル、「具体」といった同時代の前衛美術との連絡や、かな交じり書への挑戦を通して「現代書」の理念を希求した表現の系譜を辿る。
近代日本が西洋芸術の受容と普及に努める過程で、音楽は静かに「きく」べきもの、「わかる」べきものー“鑑賞”するものーとなった。文化に深く埋め込まれ、音楽を超えて芸術に対する私たちの態度のなかに今も息づく、“鑑賞”の誕生と変遷の文化史。
古代壁画、中世の本草書、近・現代の花譜や植物学書などに見られる植物画の発展の歴史を、芸術と科学の接点において捉え論じた古典的名著!!歴史的に重要で芸術性の高いボタニカル・アート200点余を掲載。巻末に「植物画の基本技法」を併載。
町の仏師から日本を代表する木彫家、帝室技芸員、東京美術学校教授へと登りつめた高村光雲。巨大な父の息子として二世芸術家の道を定められながら、彫刻家としてよりもむしろ詩人として知られることになる高村光太郎。そして、刀工家に生まれた不世出の大工道具鍛冶、千代鶴是秀。明治の近代化とともに芸術家へと脱皮をとげ栄に浴した光雲は、いわば無類の製作物を作る職人でありつづけた。その父との相似、相克を経て「芸術家」として生きた光太郎の文章や彫刻作品、そして道具使いのうちに、著者は職人家に相承されてきた技術と道徳の強固な根を見る。戦後、岩手の山深い小屋に隠棲した光太郎が是秀に制作を依頼した幻の彫刻刀をめぐって、道具を作る者たち、道具を使って美を生みだす者たちの系譜を描く。
ウイルスの時代を背景に交わされる美術家と思想家の往復書簡。文明と歴史、人間と自然、ブラック・ライヴズ・マターインフォデミックー世界への、広く深き思考の交感。
新潟県の越後妻有地域で3年ごとに開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、地域社会にどのような影響を与えたか、経済効果があったのか、また経済面以外での社会的な効果があったのかを定量的に捉え、地域社会の定性的な変化についても論じる最新研究。