地域農業を立て直す指針。生き生きとしたムラづくりのためにいま、何をなすべきか。全国の実践例を盛り込みながら直言する人・ムラ・特産品づくり論。国際化時代の地域農業の活路を切り拓く1冊。
髷を極端にデフォルメした若殿、町娘、謎の無国籍人、グルーチョ・マルクス、下町芸者、ピエロ、TVアニメの人気者、フランケンシュタイン、ミイラ男、ドラキュラ、ロボット…が太鼓やクラリネットにあわせて銀座をねり歩く。若者とチンドン屋さんとの愉快な出会い。生きのいい文体の新しい青春小説。すばる文学賞受賞作、新しい青春小説。
人生を変えた幻の名作「砂丘のナディア」を求めて奔走する若者たち。映画がぼくらのすべてだった。爽快な青春物語。すばる文学賞受賞作家の第2弾。
天武天皇の孫として皇親政治を目指し、政敵藤原氏の陰謀によって倒れた悲劇の宰相=長屋王。この長屋王邸宅跡が、平城京の隣接地から前例のない10万点近い木簡とともに発見された。本書は、奈良国立文化財研究所が総力を上げて、最上級貴族の生活と邸宅を立体的に復元。収録の内容豊かな木簡と発堀データーは、奈良時代史を書替える画期的資料である。
この親子日記は宝物いっぱいのビックリ箱。母と娘の愛の記録、1人の母親として、女性としての成長の記録、そして子育ての知恵いっぱいの物語です。
徳川家康は元和2年の大阪夏の陣のあと、完全に豊臣家滅亡の姿をみて死んだ。いや、彼自身の手によって豊臣家を亡ぼして死んだと言ってよい。享年75歳だった。豊臣秀吉は、家康よりも6歳年長である。そして、彼が死んだのは慶長3年、関ヶ原の戦が行われる2年前だった。享年62歳だった。もし、秀吉が75歳まで生き、家康が62歳で死んだとすれば歴史の展開はどうなっていたであろう。豊臣と徳川の運命は逆になっていたかも知れぬ。そして、商業がもっと重視される社会になっていたであろう。キリスト教の禁圧はあったかも知れぬが、貿易はもっと自由であったろう。
性の権威が赤裸々な「カウンセリングの現場」を特別公開。女房が名器になったら要注意、妻の七割がオナニーなどミドルエイジへの警鐘と意外な話がいっぱい。
高杉晋作、伊藤博文、山県有朋…。勤王の志士たちを育てた男の時代を超えた人間的魅力。
「天智天皇御時、光る石があり、弥勒三尊に彫刻して、精舎一堂の建立をなせり」と『当麻曼荼羅縁起』に伝える、二上山麓の石光寺。この寺から伝承通り、石仏と金箔の〓仏(せんぶつ)・文様塑壁が発見され、金色堂に石仏を安置していた華麗な寺院であったことが判明。本書は、発掘成果をもとに大和の白鳳寺院を再現し、古代史に重要な課題を提起する初の公式報告。
大きなマゲの若殿様と、下町芸者に町娘。ドラキュラ、ロボット、ミイラ男に、TVアニメの人気者ー。全国から集めたチンドン屋さんで、銀座の街路という街路を埋め尽くそうと奮闘する若者たちの、ユーモアと活気の中に青春の輝きをちりばめた第13回すばる文学賞受賞の表題作他一編。
徳川幕府の宗教統制に反発し、三百年にわたって権力に立ち向かった日蓮宗不受不施派とは…?本書はこれまで知られなかった“不受不施派”の殉教と抵抗の精神をあますところなく紹介する。
国定教科書につちかわれた勤倹力行の尊徳精神は現代にもなお生きている。尊徳といえば誰しも薪を背負って読書にはげむブロンズ像を思い浮べるが、尊徳は果して十六歳の少年の姿でとらえた勤倹の象徴だけのものであろうか。封建社会の重圧にあえぐ農民救済のために、実践家・思想家として行動した尊徳の人間像を描き出す。