地球のなかはいったいどうなっているのか?むかしから、いろいろな想像がされてきました。いまのわたしたちに、どこまでなにがわかったか、これからいっしょにしらべてみましょう。
たまには早起きして、平日の朝なら築地の場外市場、夏なら都電荒川線で三ノ輪の朝顔市、日曜日だったら首都高湾岸線をドライブー。朝、昼、夕方、夜、100のシチュエイション、845枚のアルバムにのってストロールする、ぼくたちの時代のTOKYOライフ・ガイド。
芭蕉は自然を詠む詩人として知られている。そして確かに、自然の中から慰めや、生きがい、時には生きるささえとなるものを見い出す彼の才能は、右に出る者がない。しかしながら彼の詩の多くは人が主役である。自然は彼のメディアであって目的ではない。絵描きとしてのぼくが求める芭蕉は、多くの場合と違うかもしれない。しかしぼくは今回の旅を企てた理由が、芭蕉のそれにとても近いものだと信じている。旅はおそらく日常生活の逃避であり、実のところは、彼が本当に愛した初句に専念するための口実ではなかったのだろうか。実際に芭蕉は、旅をしながら新しい素材を集めること、しかも過去の偉大な師と共に歩きながらそうすることが出来たのである。そのような旅はぼくの目的でもあった。自然を愛した偉大な先人と共に、五ヵ月間を歩くのである。なるべく曽良の日記のとおり歩いてみた。
さとるのお父さんは家出、お母さんとお兄さんは入院中。ひとりぼっちのさとるは、まさきの家でくらしている。ある日、さとるはお父さんにあい、家を出た理由を聞いた。そして、じぶんのおじさんが身障者であることを知った。さて、三人組の活躍は?
みなさんは、洞くつにはいったことがありますか?ライトにうかびあがる奇妙なかたちの石。スリルいっぱいののぼりおり。どこからか聞こえる水の音。このふしぎなあなには、長い地球の歴史がきざまれているのです。
「ぼくは、せんにんになりたくてきたのです。ぼくを、でしにしてください。」「せんにんのしゅぎょうは、つらいぞ。それでもしんぼうできるか。」「は、はい」それから、ぼくのせんにんしゅぎょうが、はじまった。小学校1〜2年生むき。
「だまってても、ゆうじくんもわたしも、まちがいなくおとなになるわ。わかってることを目と目で話せるような、ロマンチックなおとなにならなくちゃ」そうだ、それがいい。ゆうじは目だけに気もちをこめてひでみをみつめかえし、だまってその意見に賛成した。
ぼくの名前は遠近。中国の小学4年生。ぼくには仲よしが三人いる。算数がとくいでおでこが広い男の子小波。ばかまじめだけどいいところがあるおさげの女の子山菊。それに、おっちょこちょいでそうぞうしい『いり豆くん』だ。ぼくたち、同じ共同住宅に住んでて、同じ学校にかよってるんだ。毎日、おもしろいあそびや困った事件があるたびに、仲よしグループは大かつやくさ。この本を読んでくれたら、ぼくはきみの友だちだってことがわかるよ…。文化大革命後の中国を舞台に、のびのびとした子どもの世界を描きます。中国の代表的作家が自分の息子のために書いた暖かい傑作。
「ぼくのうちにはワニがいます-」先生がよみあげた、たつおくんのおかしなさくぶんに、みんなびっくり…!