「英語」にひそむ政治性・権力性を問う。英語教育の世界的な普及が、貧困からの脱却や識字率向上に寄与していると言われる反面、格差の拡大・再生産や多様性の排除などをもたらしている実態を、アフリカやアジアを例に取り上げ、多角的かつ批判的に考察する。
娘バルの記録を生き生きとたどりつつ、学ぶ主体の「生命の弾み」に照準をあて、子どもの言語習得のプロセスに迫る。
近代以降の日本と中国における社会凝集力とは何か。本書では、これまで研究がなされてこなかった、日中それぞれの「社会を社会として成立させている諸力」という視点に注目し、比較分析を行う。伝統文化や最高権威の再構築など、近代国家を形成させる共通技法の存在を究明しながら、国民を創出する過程における他者としての中国、そして日本を考える。近代日本への理解は中国への理解であり、近代中国への理解は日本への理解である。
色彩・言語研究の金字塔、待望の邦訳。人間が言語を超えて焦点色の観念と基本的な色彩カテゴリーを共有していること、そして色彩を表す語には共通の進化パターンが存在することを論証した画期的研究。膨大な対人調査と言語学的再構に基づく分析は文化人類学、認知心理学などの分野にも大きな影響を与えた。
言語学・思想・哲学に大きな影響を与えた名著を専門家によるわかりやすい新訳で再び読み解く。
現代中国語のシンタクスの諸相を細緻に多面的に描き出す。
「主体化」論理の日本語と「客体化」論理の欧米言語の間で互換(翻訳)は可能なのか?今、哲学・言語学・文学・言語教育の基盤が問い直される。言語が主体による外部世界の認知的解釈の反映であるという、認知言語学のパラダイムに基づく類型論。これまでの機能言語学的類型論の流れを汲んだ言語類型論の研究とは異なり、事態把握に関わる主体・客体の認知モードという視点から言語現象の多様性を捉え、説明している。
なぜ人間だけが言葉を話すようになったのか?言語はコミュニケーションの手段ではなく、世界を俯瞰する眼としての自己を生み出した。人間のあらゆる認識、思考、行為の根幹をなす言語という現象の本質に迫るスリリングな論考。
日本語を維持しているのは、ことばの物知りや達人ではない。日々、このことばなしではやって行けない大多数の人たちなのだ!言語学者・田中克彦の1963年〜1998年の35年間の軌跡をたどる。
“内なる国際化”が進む現代日本の病院や薬局で・警察や裁判で・役所の窓口や学校で。現場は日常どのような事態にあり、そこで何ができるのか。医療・司法・行政通訳を3本の柱に、手話通訳、難民認定に関わる通訳、ドメスティック・バイオレンス(DV)相談や、災害時など有事のさいの通訳にも周到に目配り。全体像を建設的に提示する初の概論。
ラテン語からロマンス語への歴史を学ぶために。サルジニア語、カタルニア語など少数言語も網羅した、新しいロマンス言語学の入門書。
カウンター越しの接客が原則となるスナックにおいて、人びとがどのような言語コミュニケーションの方法で「接客者」と「客」としての良好かつ適切な関係を構築しているのか、また、それぞれの意図がどのような言語行動に反映されているのかを明らかにする。なかでも特に接客者にみられるものを「接客言語ストラテジー」として、そのありようを、ポライトネス理論にもとづいて分析していく。
本書では、認知言語学の枠組みに基づく日・英語の対照分析により、両言語の形式・意味・運用の諸相を体系的に考察していく。また、言葉の発現の基盤となる人間の認知能力に基づき、日・英語を特徴づける母語話者の発想と論理のメカニズムを実証的に明らかにしていく。言語学の研究分野に新たな知見を提示するだけでなく、言語教育、言語文化論、比較文体論、翻訳論、言語類型論、等の関連分野にも重要な知見を提供する研究書。