「再生論」を中心に晩年の思想を集成。
詩ごころこそ、人ごころである。自然の詩人、そして何よりも魂の詩人、芭蕉の人と芸術に傾倒する著者の深い洞察と観照。
ヨーロッパの語るものを自己を反響板として捉えた旅の思索!人、都市、庭園、建築、美術、音楽、映画、演劇、バレエetc.をめぐって。
体制アカデミズムと既成のフェミニズムを痛烈に批判した著者の代表作。
久しく待望されていた「壮大な知」の試み-既成の性とジェンダーを攪乱する衝撃の世界的ベストセラー、記念碑的大著。
助成金の額でもなく文化施設の数でもない、ニューヨークの芸術援助の底力は、まず「プロの芸術家」の生きる権利を認めたところからはじまった。その社会のコンセンサスが、今の時代を生きる世界中の芸術家たちを引きつけ、彼らはこの街に住みつき、キャリアを積み上げていく。はたして、「プロの芸術家」とは?「芸術家の生きる権利」とは?-日本がまだ気づかない芸術援助のあり方を、芸術家のナマの声を紹介しながら解き明かす。
つくば科学博’85のアメリカ館は、「絵を描くコンピュータ」アーロンの登場で大賑わいであった。現在、アーロンはさまざまな色彩の絵具を混ぜ合わせ、時には薄めながら、筆で紙に絵を描き、最後は筆洗いもする。アーロンが描いた絵は、常設の展示室や特別の展覧会で飾られ、高額で取引されている。アーロンは、人体の骨格や関節の構造と動作や、植物の成長パターンや枝・葉の付き方などを「知識・論理」として持ち、自律的に絵を描き、二度と同じ絵を描かない。これがアーロンと「コンピュータ・アート」との決定的な違いである。進化する描画機械アーロンを作ったのは、イギリスを代表する画家ハロルド・コーエン。本書は、芸術とコンピュータ・テクノロジーを架橋する魅力的な実験であり、画家コーエンと彼が開発したアーロンが、二人三脚で成長していく様を感動的なドキュメントとして描く。
芸術は、目的意識として必要なのではなく、すべてがそこから芽を出していく土壌として、どの人間にも必要なものなのである。シュタイナー学校の特徴を一言でいうならば、あらゆる教育の源泉としての芸術重視ということになる。-自らの長女を通してふれた教育理念の実践を克明に報告するとともに、文庫版あとがきでは、日本のシュタイナー教育の現状にも言及。
世界恐慌とファシズムの影が忍び寄るシュルレアリズム分裂直後の30年代パリ。大衆小説から生まれて映画化され、アヴァンギャルドたちを熱狂させた変幻自在の犯罪王ファントマを草創期のラジオ放送が取り上げた。番組を作ったのは四人の芸術家。ナチを逃れ渡米途中のクルト・ワイル、旅を経て精神病院に入るアルトー、強制収容所で死ぬことになるデスノス、キューバからの亡命者カルペンチエール。マスメディアとディアスポラの世紀の本番が始まる。メディアの世紀を覆う影。
天下一の茶匠、千利休の全貌。桃山茶湯の大成者が求めつづけた世界とは何か。秀吉によって自刃を余儀なくされた悲運の芸術家の謎の生涯をドラマチックに追う。オールカラー、収録図版230余点。
世界初!国際人のための教養書。正式な食事や茶会を催すとき、招待されたとき必読。現代の社交界に通じる伝統の食卓を集大成。フランス・エリゼ宮殿の晩餐、イギリス・貴族の晩餐と茶会、イタリア・メディチ家の晩餐、その他、ヨーロッパ一流のレストランから駐日フランス大使の晩餐、トップレディのおもてなしまで、著者自身の広い交際の中から生まれた今いちばん新しい生活芸術の書。
1997年7月、オリンピック文化芸術祭として行われた「第1回世界押花デザイン展’97 in NAGANO」はオリンピックへの関心を高めるとともに、押花芸術の扉を開いたといえます。この思いを残すために、オリンピックメモリアルとして「信州の自然・押花絵芸術展」が開催され、その記念として出展作174点が一冊の本となりました。信州の花と自然をテーマに作られた作品を「信州」「四季」「花」「メルヘン」の作風別にまとめて構成しています。
西川扇珠は富山県における日本舞踊の草分け的な存在であり、また、その後年には、世界の民族舞踊を写すアマチュア写真家としても活躍した。本書は昨年1月に永眠された日本舞踊家西川扇珠への敬意を込めた、近親者によるメモリアルブックである。
アウクスブルク『一般新聞』のパリ通信員としてハイネは、緊張と不安に揺れながら、しかも魅力あふれるこの都市のさまざまな表情を、冴えたペンで書き送っていた。政治情勢から、経済、教育、哲学、音楽、美術、風俗、流行、スキャンダルまで、形成されつつある市民社会のディテールがくっきりと浮き彫りにされる。「ルテーチア」とはパリのラテン語名。
この論集は「多言語文化論」のもとにまとめられている。しかもその形式はあらたに意図された一つのシンポジウムである。というのもこの数年千葉大学においていくつかの国際学会を開催したし、また共同研究をしたことに鑑み、その成果をここに問うものである。また同時に国内外の学会その他で発表されたもののなかで、関連する論考も、新たに本書のために書き下ろされた原稿とともにここに収めた。
芸術はビジネスになりうるか?パトロン付きの芸術家に真に自由な表現は可能か?演劇がつくられるさまざまな「現場」での徹底した取材を通して、近代芸術成立以来の難問に挑む。斬新な視点と手法で現代社会におけるフィールドワークの可能性を示し、文化社会学の新境地を切り開く野心作。
20世紀後半に生きるわれわれは、何に喜びを感じ、何に人生の意義を見出し、そして何を自己の存在の根拠と確信して生きているのであろうか。混迷、精神のカオス状態といい得る20世紀に生きるわれわれ現代人の思考、意識について、学問、芸術の視点から再確認を試みる。