台湾は本当に「LGBTユートピア」なのか?22人のマイノリティの語りに向き合い読み解かれる、揺れ動く台湾の実相と、いくつもの“性/生”の「現在地」
「LGBT」「セクシュアル・マイノリティ」という言葉が日本の文脈で広まっていった過程でとりこぼされてきた問題を掘り起こす試み。クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ創刊。
失敗や敗北を恐れ、成功や成長のみを追求する社会からの脱出口はどこにあるだろうか?ピクサーに代表されるCGIアニメーションから前衛アートまで“低俗”と“高尚”とを自由に横断し、「クィアな生き方」の可能性を読み解いていく。失敗こそが人間と社会のデフォルトである。そして、すべての敗者が根源的に肯定されることこそ、真に豊かな世界の条件なのだ。
クィアの視点から民俗学の新たな可能性を拓く。
最近よく見かける「LGBT」という言葉。メディアなどでも取り上げられ、この言葉からレズビアン、ゲイの当事者を思い浮かべる人も増えている。しかし、それはセクシュアルマイノリティのほんの一握りの姿に過ぎない。バイセクシュアルやトランスジェンダーについてはほとんど言及されず、それらの言葉ではくくることができない性のかたちがあることも見逃されている。「LGBT」を手掛かりとして、多様な性のありかたを知る方法を学ぶための一冊。
「LGBT」「多様性」理解のその先へーこれからの時代のジェンダー/セクシュアリティを考えるための新教養、超入門編。女性や性的マイノリティは歴史の中でいかに闘い、どのような困難に直面したのか。想定されていなかった様々な“差異”に出会った時、そこに新たな連帯の可能性の領野が広がるー。社会運動から生まれた新しい学問をやさしく解説。あらゆる境界線を疑い、多様な性/生の在り方を問い直す。
「どんなことだって可能なんだ!」子供たちに勇気と希望を与えてくれる56人の“クィア”なヒーローたち。差別や偏見に晒されながらも、さまざまな分野で名を残してきたLGBTQの英雄たちの偉業をカラフルな似顔絵とともに紹介。音楽界に革命をもたらしたフレディ・マーキュリー、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ、テニスの女王マルチナ・ナブラチロワ、人工知能の父アラン・チューリングetc…、世間の無理解にも怯まず揺るぎない決意で自らを貫いた勇気ある人々の物語。日本版には、まだ偏見の残る社会で戦い続ける日本のローカルヒーローたちも収録。
クィア・シネマという「可能性の地平」に向かって。ジェンダーやセクシュアリティ、人種に対する規範や制度を問い直し、家族主義や都会主義に抗い、直線的な時間に逆らって歴史を書き直す。気鋭の研究者が照らし出すクィア・シネマの重層性。アルフレッド・ヒッチコック、オードリー・ヘプバーン、ジュディ・ガーランド、グザヴィエ・ドラン、セリーヌ・シアマ、田中絹代、三池崇史、美輪明宏、原節子、高倉健…作家、スター、作品のみならず観客やコミュニティを縦横に論じる「雑種」で「不純」な映画論。
同性婚がゴールとされることで隠蔽されるものは何か。結婚制度の政治性をあぶりだし、異性愛主義的家族規範を問いなおす試み。クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ第2巻。
夜な夜な、多様な人々が集まるバーが新宿二丁目にある。やってくるのはLGBTQの人、アーティスト、作家、ただの酔っ払い…。バーのオーナーは木更津出身で元芸能人。筒美京平さんから歌をもらったり、「ポンキッキーズ」に出演したり。普通の人の三倍くらいに濃い経験をした著者。その数奇な運命が、いま語られる。
復讐を誓った青年の心の旅を雄大な映像で綴った
スティーヴ・マックィーン主演の傑作ウエスタン!
●オリジナルネガからのフルHDスキャンによるニューマスター版で初Blu-ray化
●TV放映版吹替音声(「ゴールデン洋画劇場」版)を初収録 ※DVD未収録
※吹替音声は、放送時にカットされた部分を追加収録したノーカット版です。
●脚本家C・コートニー・ジョイナー(『クラス・オブ・1999』)らによる音声解説を初収録 ※DVD未収録
スティーヴ・マックィーンが絶頂期に主演した異色のウエスタン。復讐に取りつかれた若者の成長劇が多彩な人間模様を交えて描かれる。
製作・監督は『西部開拓史』『勇気ある追跡』など西部劇の演出にも定評のあるヘンリー・ハサウェイ。
音楽は9度のオスカーに輝いた名匠アルフレッド・ニューマン、原案・脚本を『裏窓』『知りすぎていた男』など
50年代のヒッチコック作品を支えたジョン・マイケル・ヘイズが手がけ、助演陣にはカール・マルデン、ブライアン・キース、スザンヌ・プレシェット、マーティン・ランドーらの演技派が集結。
※収録内容は変更となる場合がございます。
金井美恵子、村上春樹、田辺聖子、松浦理英子、多和田葉子の作品を、クィア批評や批評理論を縦横に組み合わせて読み解く。読者のアイデンティティをも揺さぶる「現代小説を読むことの可能性」を、小説とクィア批評の往還からあざやかに描き出す。
「LGBT」に分類して整理したら、終わりじゃない。人間の複雑さと繊細さの入口に立ち、「クィア」を考える。これがスタート地点にして決定版!性、恋愛、結婚、家族、子孫、幸福、身体、未来、壮大な「その他」たちが、すべての「普通」を問い直す。
性差や異性愛といった規範が作用する場から見えない欲望を引き出し、新たな解釈を生産すること。本書は、そうしたクィア批評の声に耳を傾けながら、「自分ではない」ものへの同一化による読むことの快楽と、性的な快楽を混線させる試みである。セジウィックの理論や英文学の古典から、ホモソーシャルな欲望、文学共同体の規範を学ぶ快楽、プライヴァシーという概念装置等を縦横に論じるとともに、クィア批評と精神分析の思想的往還を、ジジェク、バトラー、コプチェク、ベルサーニらを読むことで辿った。クィアなるものが含む解放性と固有性のパラドックス、批評的・思想的探究と政治的意味の緊張をも見据えた名著。
「LGBT」「セクシュアル・マイノリティ」という言葉が日本の文脈で広まっていった過程でとりこぼされてきた問題を掘り起こす試み。クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ第3巻。エイズ問題を発端として登場したクィア・スタディーズと障害学が出会い、新たにひらかれる議論とは?
ジェンダーやセクシュアリティの規範性やカテゴリーの境界線を問い直す概念としての「クィア」は、LGBTブームのはるか以前から、映画文化を通じて日本に流入し、その地平を広げてきた。作品や表象のなかで、不可視化され、無視され、隠蔽されてきたものは何か。それらを「クィアなもの」としていかに再発見できるか。本書はクィアとシネマをめぐる思考と実践のアーカイヴである。