麻倉もも 12枚目のシングルは バレンタインソング!
声優や3人組声優ユニット「TrySail」メンバーとしても活躍する麻倉もも。
2022年のアルバムリリース、そして初のライブツアーを経てリリースする12枚目のシングル。表題曲はバレンタインにぴったりな「これからもずっと好きでいて欲しい」という気持ちを贈るポップなラブソング。
カップリングは麻倉もも初主演ドラマの主題歌を収録予定。
初回生産限定盤にはリード曲のMusicVideoを収録したBDが同梱。
今年のクリスマスをLOVE&PEACEで彩る奇跡のコラボ
桑田佳祐&松任谷由実「Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023」大反響につき7インチのアナログ盤もリリース決定!
◆本作は、桑田佳祐が中心となって企画された伝説の音楽番組「メリー・クリスマス・ショー」
(日本テレビ/1986,1987年放送)のために作詞・松任谷由実、作曲:桑田佳祐で制作された楽曲
「Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない)」をリメイクした楽曲。桑田とユーミンのデュエット曲として
リアレンジし、ボーカルも新たにレコーディング。間奏では桑田佳祐が「恋人はサンタクロース」を、
松任谷由実が「波乗りジョニー」を一節歌い繋ぎマッシュアップするなど、リメイクという言葉で
片付けることのできない、大胆なアイデアで楽曲をリメイクしている。
◆日本ポップス史の粋を集めたマスターピースとも言うべきこの曲は、先月11月に発表され、先行配信が
開始されると瞬く間に、スポーツ紙、ワイドショーをはじめ配信サービスやラジオを席巻!2023/12/11付
オリコン週間デジタルシングル(単曲)ランキング、12月6日発表ビルボードジャパンDownload
Songs、ラジオ・オンエアチャート(集計期間:2023年11月27日〜12月3日プランテック調べ)でも
1位を記録するなど、各メディアを巻き込んで大きな話題を呼んでいる。
◆12月20日(水)にはシングル盤、及び『ユーミン乾杯!!〜松任谷由実50周年記念コラボベストアルバム〜』へ
楽曲収録する形でCDリリースされるが、楽曲が大反響を呼んでいることを受け、追加で7インチの
アナログ盤も発売されることが決定。
※本作は、ふたりの想いを体現する形で、本作から得られる収益の一部は、子どもたちの未来といのちを守るために
セーブ・ザ・チルドレンへ寄付される。
デレステ新シリーズHEART TICKER!第3弾の発売が決定!
伝統様式による重厚なブラームスと「英雄」、他
ブラームス:交響曲全集、ベートーヴェン「英雄」、他 (5CD)
ギュンター・ヘルビヒ指揮ベルリン交響楽団、他
すべてエテルナのセッション録音。ブラームス全集は1978年と1979年、ベートーヴェン「英雄」は1982年のベルリン交響楽団との伝統様式の重厚な演奏。バレエ「プロメテウスの創造物」と「騎士バレエ」は、シュターツカペレ・ベルリンとの演奏。こちらは1971年の録音で、39歳のヘルビヒ指揮による作品キャラに合わせた活気のある演奏が聴けます。
ドイツの名匠、ギュンター・ヘルビヒ
かつて東ドイツで活躍した指揮者には実力派が揃っていますが、ギュンター・ヘルビヒもそのひとりです。ヘルビヒはヘルマン・アーベントロートに師事し、最初の仕事もアーベントロートが音楽監督を務めていたワイマール国民劇場で得ています。
1956〜1966 劇場指揮者
1956年、ワイマール・ドイツ国民劇場の指揮者として契約。1948年に戦後ドイツで最初に再建された劇場。1962年にはベルリン郊外のポツダムにあるハンス・オットー劇場の音楽監督に就任。ヘルビヒは劇場指揮者を10年ほど務める一方で、ヘルマン・シェルヘン、アルヴィド・ヤンソンス、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指導を受け、コンサート指揮者に転向することになります。
1966〜1972 ベルリン交響楽団 指揮者
35歳の年に着任したベルリン交響楽団では、首席指揮者のクルト・ザンデルリング[1912-2011]と共に6年間働いています。ザンデルリングは、ショスタコーヴィチの友人で、1960年に東ドイツに来てからも親交が続いていたほか、マーラーの権威としても知られていたので、ヘルビヒにとっては得難い先輩同僚でした。
1972〜1977 ドレスデン・フィル 芸術監督
クルト・マズアの後任としてドレスデン市の音楽総監督&ドレスデン・フィルの芸術監督に就任。毎年、オーケストラと共に世界各地にツアーをおこなっており、日本にも来ています。また、クレンペラーの補佐としてニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者になっていたザンデルリングの誘いで、ヘルビヒも1973年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団に客演しており、以後、BBCとも仕事をするきっかけになっています。
1977〜1983 ベルリン交響楽団 首席指揮者
ザンデルリングが定年になったため、ベルリンから市の音楽総監督&ベルリン交響楽団首席指揮者として迎えられます。首席指揮者退任後のザンデルリングも頻繁に客演していたため、ベルリン交響楽団のコンサートはとても充実していました。
1977 新ホール建設の決定
戦争被害のため廃墟と化していたベルリンの演劇用ホール「シャウシュピールハウス」を、コンサート用のホールとして新たに建て替えることがに政府により決定し、1979年に工事が開始。ヘルビヒは喜び、ベルリン交響楽団が最優先で使えるよう政府との約束をとりつけ、1981年には工事中のホールで「工事現場コンサート」も開催。ヘルビヒがホールの使用条件にこだわった背景には、ドレスデン・フィル時代の苦労がありました。
1983 約束反故に対し抗議の辞任
10月、翌年に開場予定のシャウシュピールハウスの優先使用の約束が取り消され、単なる本拠地としての使用となったことに抗議してヘルビヒは辞任。これにより、SED (ドイツ社会主義統一党)から睨まれ、翌年、東ドイツを去ることになります。ちなみにベルリン交響楽団がシャウシュピールハウスを優先使用できるようになるのは、ドイツ再統一から2年が経過した1992年のことでした。
1984 アメリカに移住
ドラティの後、空席が3年間続いていたデトロイト交響楽団の音楽監督に就任。ミシガン州に居を構え、以後、トロント交響楽団、ハーグ・レジデンティ管弦楽団、ボルティモア交響楽団、ザールブリュッケン放送交響楽団、台湾フィルハーモニック、グラン・カナリア・フィルを中心に、世界各地のオーケストラを指揮。40年を経た今も現役です。
ギュンター・ヘルビヒ 3タイトル同時発売
◆ マーラー:交響曲第5、6、9番、他 (3CD+ボーナスCD)
◆ ショスタコーヴィチ:交響曲第4、5、7、8、10番 (5CD)
◆ ブラームス:交響曲全集、ベートーヴェン「英雄」、他 (5CD)
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実演の迫力が素晴らしいショスタコーヴィチ名演集
ショスタコーヴィチ:交響曲第4、5、7、8、10番(5CD)
ギュンター・ヘルビヒ指揮ザールブリュッケン放送響
ヘルビヒは1966年から1972年にかけて、ショスタコーヴィチと親しかったクルト・ザンデルリングと共にベルリン交響楽団を指揮しており、ショスタコーヴィチをレパートリー化。
ここでの演奏は、2000年から2005年にザールブリュッケン放送響を指揮したもので、第4、5、7、10番は、間接音がほどよく残されたライヴ録音のため臨場感も豊か。スタジオ録音の第8番と音質的な遜色がなく、実演の迫力を十分なクオリティで味わえます。
ヘルビヒのショスタコーヴィチは、いろいろなパートがよく聴こえるので、レニングラード交響曲のエンディングのブラスがブルックナー8番第1楽章第1主題のオマージュであることもよくわかります。
ドイツの名匠、ギュンター・ヘルビヒ
かつて東ドイツで活躍した指揮者には実力派が揃っていますが、ギュンター・ヘルビヒもそのひとりです。ヘルビヒはヘルマン・アーベントロートに師事し、最初の仕事もアーベントロートが音楽監督を務めていたワイマール国民劇場で得ています。
1956〜1966 劇場指揮者
1956年、ワイマール・ドイツ国民劇場の指揮者として契約。1948年に戦後ドイツで最初に再建された劇場。1962年にはベルリン郊外のポツダムにあるハンス・オットー劇場の音楽監督に就任。ヘルビヒは劇場指揮者を10年ほど務める一方で、ヘルマン・シェルヘン、アルヴィド・ヤンソンス、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指導を受け、コンサート指揮者に転向することになります。
1966〜1972 ベルリン交響楽団 指揮者
35歳の年に着任したベルリン交響楽団では、首席指揮者のクルト・ザンデルリング[1912-2011]と共に6年間働いています。ザンデルリングは、ショスタコーヴィチの友人で、1960年に東ドイツに来てからも親交が続いていたほか、マーラーの権威としても知られていたので、ヘルビヒにとっては得難い先輩同僚でした。
1972〜1977 ドレスデン・フィル 芸術監督
クルト・マズアの後任としてドレスデン市の音楽総監督&ドレスデン・フィルの芸術監督に就任。毎年、オーケストラと共に世界各地にツアーをおこなっており、日本にも来ています。また、クレンペラーの補佐としてニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者になっていたザンデルリングの誘いで、ヘルビヒも1973年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団に客演しており、以後、BBCとも仕事をするきっかけになっています。
1977〜1983 ベルリン交響楽団 首席指揮者
ザンデルリングが定年になったため、ベルリンから市の音楽総監督&ベルリン交響楽団首席指揮者として迎えられます。首席指揮者退任後のザンデルリングも頻繁に客演していたため、ベルリン交響楽団のコンサートはとても充実していました。
1977 新ホール建設の決定
戦争被害のため廃墟と化していたベルリンの演劇用ホール「シャウシュピールハウス」を、コンサート用のホールとして新たに建て替えることがに政府により決定し、1979年に工事が開始。ヘルビヒは喜び、ベルリン交響楽団が最優先で使えるよう政府との約束をとりつけ、1981年には工事中のホールで「工事現場コンサート」も開催。ヘルビヒがホールの使用条件にこだわった背景には、ドレスデン・フィル時代の苦労がありました。
1983 約束反故に対し抗議の辞任
10月、翌年に開場予定のシャウシュピールハウスの優先使用の約束が取り消され、単なる本拠地としての使用となったことに抗議してヘルビヒは辞任。これにより、SED(ドイツ社会主義統一党)から睨まれ、翌年、東ドイツを去ることになります。ちなみにベルリン交響楽団がシャウシュピールハウスを優先使用できるようになるのは、ドイツ再統一から2年が経過した1992年のことでした。
1984 アメリカに移住
ドラティの後、空席が3年間続いていたデトロイト交響楽団の音楽監督に就任。ミシガン州に居を構え、以後、トロント交響楽団、ハーグ・レジデンティ管弦楽団、ボルティモア交響楽団、ザールブリュッケン放送交響楽団、台湾フィルハーモニック、グラン・カナリア・フィルを中心に、世界各地のオーケストラを指揮。40年を経た今も現役です。
ギュンター・ヘルビヒ 3タイトル同時発売
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ボーナスCDにリュッケルト歌曲集を収録
マーラー:交響曲第5、6、9番 (3CD)
ギュンター・ヘルビヒ指揮ベルリン響、ザールブリュッケン放送響
交響曲第6番と第9番はザールブリュッケン放送響との演奏。本拠地コングレスハレで1999年と2001年にライヴ録音されたもので音質は優秀。
交響曲第5番とリュッケルト歌曲集はベルリン交響楽団との演奏。1979年と1980年にベルリンのキリスト教会でエテルナがセッション録音したもので、ホルンの音が素晴らしい名匠シュトリューベンの傑作。ローレンツとのリュッケルト歌曲集では、歌い崩しゼロの精妙な表現が、交響曲への素材引用の検証にも最適な仕上がりとなっています。
ドイツの名匠、ギュンター・ヘルビヒ
かつて東ドイツで活躍した指揮者には実力派が揃っていますが、ギュンター・ヘルビヒもそのひとりです。ヘルビヒはヘルマン・アーベントロートに師事し、最初の仕事もアーベントロートが音楽監督を務めていたワイマール国民劇場で得ています。
1956〜1966 劇場指揮者
1956年、ワイマール・ドイツ国民劇場の指揮者として契約。1948年に戦後ドイツで最初に再建された劇場。1962年にはベルリン郊外のポツダムにあるハンス・オットー劇場の音楽監督に就任。ヘルビヒは劇場指揮者を10年ほど務める一方で、ヘルマン・シェルヘン、アルヴィド・ヤンソンス、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指導を受け、コンサート指揮者に転向することになります。
1966〜1972 ベルリン交響楽団 指揮者
35歳の年に着任したベルリン交響楽団では、首席指揮者のクルト・ザンデルリング[1912-2011]と共に6年間働いています。ザンデルリングは、ショスタコーヴィチの友人で、1960年に東ドイツに来てからも親交が続いていたほか、マーラーの権威としても知られていたので、ヘルビヒにとっては得難い先輩同僚でした。
1972〜1977 ドレスデン・フィル 芸術監督
クルト・マズアの後任としてドレスデン市の音楽総監督&ドレスデン・フィルの芸術監督に就任。毎年、オーケストラと共に世界各地にツアーをおこなっており、日本にも来ています。また、クレンペラーの補佐としてニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者になっていたザンデルリングの誘いで、ヘルビヒも1973年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団に客演しており、以後、BBCとも仕事をするきっかけになっています。
1977〜1983 ベルリン交響楽団 首席指揮者
ザンデルリングが定年になったため、ベルリンから市の音楽総監督&ベルリン交響楽団首席指揮者として迎えられます。首席指揮者退任後のザンデルリングも頻繁に客演していたため、ベルリン交響楽団のコンサートはとても充実していました。
1977 新ホール建設の決定
戦争被害のため廃墟と化していたベルリンの演劇用ホール「シャウシュピールハウス」を、コンサート用のホールとして新たに建て替えることがに政府により決定し、1979年に工事が開始。ヘルビヒは喜び、ベルリン交響楽団が最優先で使えるよう政府との約束をとりつけ、1981年には工事中のホールで「工事現場コンサート」も開催。ヘルビヒがホールの使用条件にこだわった背景には、ドレスデン・フィル時代の苦労がありました。
1983 約束反故に対し抗議の辞任
10月、翌年に開場予定のシャウシュピールハウスの優先使用の約束が取り消され、単なる本拠地としての使用となったことに抗議してヘルビヒは辞任。これにより、SED (ドイツ社会主義統一党)から睨まれ、翌年、東ドイツを去ることになります。ちなみにベルリン交響楽団がシャウシュピールハウスを優先使用できるようになるのは、ドイツ再統一から2年が経過した1992年のことでした。
1984 アメリカに移住
ドラティの後、空席が3年間続いていたデトロイト交響楽団の音楽監督に就任。ミシガン州に居を構え、以後、トロント交響楽団、ハーグ・レジデンティ管弦楽団、ボルティモア交響楽団、ザールブリュッケン放送交響楽団、台湾フィルハーモニック、グラン・カナリア・フィルを中心に、世界各地のオーケストラを指揮。40年を経た今も現役です。
ギュンター・ヘルビヒ 3タイトル同時発売
◆ マーラー:交響曲第5、6、9番、他 (3CD+ボーナスCD)
◆ ショスタコーヴィチ:交響曲第4、5、7、8、10番 (5CD)
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レトロなアメリカンポルノ「ピンナップガール」をイメージしたグラビアフォトブック第四弾!豪華9名のモデルが参加!
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2118年。日本に向かう輸送船・グローツラング号が、ピースブレイカーと呼ばれる武装組織に襲撃される事件が発生する。常守朱たち公安局刑事課一係は、禾生局長の指示で、外務省の海外調整局行動課と共同捜査をすることに。そんな彼らの前に、かつての同僚で、国外に逃亡していた狡噛慎也が姿を現す。狡噛は行動課の特別捜査官として、日本に戻ってきたのだった。劇場版公式ノベライズ。常守朱は、なぜその選択をしたのかー?「PSYCHO-PASS サイコパス3」へとつながる衝撃の物語を劇場版の脚本を担当した深見真が書き下ろす。
ミュージック・ビデオ総再生回数30億回超えを誇る”次世代ポップ・クイーン”=ザラ・ラーソン待望の最新アルバム『VENUS』。
同作には2014年にリリースしたヒット曲「ラッシュ・ライフ」に次いで母国スウェーデンを中心にヒットを記録した「キャント・テーム・ハー」(2013年1月)や「エンド・オブ・タイム」(2013年5月)、また世界各国で1位を獲得したデヴィッド・ゲッタの<EURO2016>公式テーマ・ソング「ディス・ワンズ・フォー・ユー feat. ザラ・ラーソン」(2016年5月)以来二度目のコラボとなる「オン・マイ・ラヴ」(2023年9月)など全12曲を収録。
高い評価を得ているヴィブラフォン奏者、ジョエル・ロスのブルーノート4枚目。
現代で最もクリエイティヴなモダン・ジャズ・グループによる、ジョエル・ロスのプリズムを通したブルースとバラード作品。
<収録内容>
1. early
2. equinox
3. mellowdee
4. chant
5. what am I waiting for?
6. bach (God the Father in Eternity)
7. nublues
8. ya know?
9. evidence
10. central park west *nublues (fade)