ギリシア神話のオイディプス王の娘アンティゴネに擬せられたタチャーナが1926年末から1937年4月までの10年余の間にいかにグラムシの精神的、物質的支柱であったかを、主として両人の往復書簡の精細、忠実な分析によって明らかにしている。
コンパラブル・ワース運動のケース・スタディにもとづいて、コンパラブル・ワースが、階級運動とジェンダー運動を統合した労働者・フェミニスト同盟の形成に対してもつラディカルな可能性を探求する。
本書は、機械工組合によるクラフト規制のルーツの解明とそれをめぐる労使関係の展開を明らかにすることに集中しているけれども、その考察過程において、わが国の場合とは大きく異なって、イギリスの労働市場の基本構造は歴史的にどのようにして形成されてきたのか、その一端を明らかにしている。
戦前期の日本茶業を経済史的な視点から体系的にまとめた研究はあまりみられない。そこで著者は可能なかぎり当時の業界誌や外交史料を収集・分析し、史実を正確に整理。計量経済学的な方法も用い、個別の具体的な経営事例も取り上げている。
ドイツ信託庁による旧東独国有企業の民営化過程の検証ー社会主義の一流工業国であったドイツ民主共和国50年間の経済・政治・法律の発展過程の検証は、フランス革命に対する19世紀に始まる総括と同様に欧州社会主義に対する21世紀に始まる総括において重要な位置を占めよう。
1998年9月10日に亡くなった加用信文氏を偲ぶ追憶文集。数多く書き残された遺文のうち故人を偲ぶにふさわしいもので、しかも人目にふれることの比較的少なかったものを選択・編集し、略歴と著作目録を付している。
ヘーゲルの国家論といえばたしかに官僚制度と官僚を重視するものである。しかしこの文章は、ヘーゲルの目が市民生活の細部にまで届いていること、しかもその目は確かであることを物語っていないであろうか。この大思想家は、一見そう見られがちだが、大情況ばかりを論じているわけではない。彼には官吏の言動や教養と市民生活との接点までもきちんと見えているのである。
本書は明治以来の日本の近代化の過程に消費を位置づけて、それが、今日のわれわれの生活にどのような影響、弊害をもたらしているかを分析して、新しい社会のあり方として生活社会を展望する。
本書は、結核に関する法や制度、政治、運動、教育、生活などを通して大きく次の二点を明らかにする。第一に、結核撲滅運動はその規模と内容において日本の近代化を推進するための国民づくりという役割を果たしており、たんなる予防運動ではなく国民の生活習慣や思想信条にまで影響を与える教育運動であり文化運動であるということ、第二に、結核に纏わる言説は多いが、結核患者一人ひとりに目を向けると簡単に一つの言説に束ねることのできない具体的で生々しい患者がいるということ、である。研究の対象とする期間は結核が蔓延し結核対策が叫ばれるようになる一九世紀末から、抗結核剤が発見され結核が治る病気に変わる一九四〇年代までとする。
「コルデルにおけるサッカー」を増補したフォーク・コミュニケーション論。中世ヨーロッパを遍歴し、近代民衆文学を生み出した吟遊詩人たち。現代ヨーロッパでは消え去ったその伝統が、今なお息づくブラジル。小冊子リテラトゥーラ・デ・コルデルを通してブラジル民衆文化の深層にせまる。
20数年にわたる経済の市場化過程を国有企業の金融構造に着目し理解的かつ歴史実証的に解明!!中国経済の「市場経済化」における経済政策主体の「市場経済発展容認的アプローチ」と経済主体の合理的市場行動の相互関係による市場化の進展、という新しい分析視角を提示。
労働時間と生活時間の両方を取りあげ、ミクロ統計データを含む原資料による国際比較方法を提案。不払残業労働の国際比較、同一世帯内の夫と妻の相互関係の統計的分析、等を究明。
本書は、ヘーゲルが、公と私の新たな構築という原モチーフを、歴史的成果を吟味して、人倫的共同体として具体的に構想するさまを描き出した。国家論の君主権論もこのコンテクストのなかで初めて意味をもつものであり、『法(権利)の哲学』は、以上の思想的格闘を表現するものであった。またこの思索は歴史的生成のスタンスにもとづいていた。本書を通して、整合的な体系に安住したベルリン期ヘーゲルという既成概念をはっきりと退けることができるであろう。
建国当初の新民主主義的政策から早期の社会主義化へという中国政治史上の大きな転換を丹念に跡づけ、文化大革命で頂点をむかえ崩壊する大衆運動方式による社会統合の特質を究明する。
近代中国における民間銀行の史的展開から、近現代中国の政治・社会・経済的変動過程を具体的に解明する。当時の銀行関係者へのインタビュー調査など貴重な資料を元に分析。