お茶を知れば、京都はもっと楽しい!お茶でつづる京都ガイド。次世代の若き茶人や生産者、茶趣を楽しむ甘味処、料理店、宿などを一挙に紹介!
ハワイ日系人はどう生きてきたか。日系社会ウォッチャーの本音トーク。その労働・起業・教育・交際・メディア・娯楽・性…戦前戦後のハワイ日系社会を縦横に語り尽くす。日系人概略史、詳細な注や年譜・年表付き。
市場経済のなかで、農業を営む人々が農村景観を糧に生活を成り立たせることは可能か!!今日もなお600年以上続く伝統的な村落共同体に基づく生活が営まれ、農村景観が継承されている広西壮族自治区龍勝県の龍脊棚田地域を調査地として、農村景観を動態的に保全することで、山間地域・中山間地域農村の発展形態を模索することができるか考察。
『自然治道之弁』における本多利明の日本国「豊饒」化構想とその後の展開。天明飢饉・ロシア南下など国内問題・外交問題への対処として、国際社会の中の日本を意識した開発経済論と国際化構想が、民間サイドから天明〜寛政期に出現し始めた、歴史的意義に迫る。
幼稚園の年中11月から小学校受験が終了する年長12月までの14か月間を「連続エピソード」と「解説」で詳しく紹介。さらに、今月はなにをすればいいのかがわかる「ホームワーク」と、お母さん自身が書き込める「今月の目標と達成表」も掲載。
クリエイターのための国際的なグラフィックデザイン誌特集:佐藤晃一の自由研究
企画・構成=大西隆介(direqtion Q)+アイデア編集部
デザイン=大西隆介(direqtion Q)
協力=佐藤晃一デザイン室
本特集は2016年5月に逝去したグラフィックデザイナー,佐藤晃一の代表的なグラフィック作品を
独自の編集でまとめたものである。
佐藤は視覚的しじまをまとった箱の連作に代表されるポエジーに溢れたグラフィックを用いた作品で知られ,
世界的に高く評価されている。
また多摩美術大学において教育活動にも注力し,その薫陶を受けたデザイナーは数多い。
佐藤晃一がデザイナーとして活動はじめた1970年前後は,60年代末の学生運動,それに続く日宣美解散,
大阪万博など戦後デザインの啓蒙期が終焉した節目の時期にあたる。
また,多くの若者は既存の社会体制と新たらしい若者文化の価値観のあいだで悩んでいた。
新しい思想としてのロックミュージックやポップアートの影響のただなかで,佐藤の創作上の大きなテーマとなっていたのが,
日本的なポップアートの可能性を探ることであった。
しかも,佐藤の関心は伝統美術ではなく「納豆や豆腐やお茶やご飯」といった日常の世界にあった。
ここでは,横尾忠則の模写や,初個展「アブラアゲからアツアゲまで」など日本的なモチーフを
ポップアートの手法で描くことに挑戦した初期の作品群にはじまり,箱のモチーフやグラデーションの表現によって
独自の境地を開拓した中期,俳句とグラフィックデザインを融合させた「俳グラ」など晩年に至るまでの代表作を
約100点にわたり掲載。
そのほか,佐藤が80年代に雑誌「ミュージック・マガジン」に連載したエッセイ『佐藤晃一のYES EYE SEE』抜粋や
作品解説など,佐藤自身の言葉を混じえて紹介する。
日本的なるものをめぐって
箱の研究
技術からアイデアを
重力からの解放
琳派の遺伝子
冷奴からメザシまで インタビュー=若尾真一郎
デザインとビジュアルコミュニケーション
佐藤晃一の精神と自然(文=佐藤良明)
佐藤晃一さんが亡くなられた。重たい空洞を感ぜずにはいられない。(文=菊地敦己)
多摩美術大学での佐藤先生(文=田口敦子)
抄録『佐藤晃一のYES EYE SEE 1982-83』
イギリスから豊かな暮らしと生き方を考えるコッツオルズ お茶とお菓子のトレイル