まわりからサポートされ、引き上げてもらえる人には、個人の努力とは違う「何か」がある!?人事担当として多くの人材と向き合ってきた中で気づいたのは、仕事を任される人には、ある力が備わっているということ。それは「教えたい!」「任せたい!」と思わせる目に見えない引力のようなものです。その引力は夢や目標の実現をも引き寄せる力となるのです。
子どもの頃から気になってたこと大人になって気になったことを書き出してみました!初のエッセイ。
格闘技イベント「ブレイキングダウン」の人気選手にして料理人こめおが贈る、魂の60レシピ。
いわゆる「保守」を名乗る言論人たちが増える一方の現在、保守とは何かを説明できる方は何人おられるのでしょうか。現在の保守論が隔靴掻痒であることに危機感を覚えたため、本書の出版に至ったと言っても、過言ではありません。本書を読んでいただければおわかりのように、保守とは天皇を正しく理解し、天皇をお守りすることに尽きます。私たち日本人の軸こそ、天皇なのです。日本国家は天皇と不可分であり、日本人もまた、天皇と不可分の一体であるのです。
デビュー15年目にしてありのままの姿を初披露したメモリアル写真集がここに誕生した。重量感たっぷりの極上Kカップを誇る彼女に、最大級の喝采をー。
幕末に来日した外国人たちがこぞって驚くほど、日本には裸が溢れていた。理想化されない自然な身体イメージを享受してきた日本人は、江戸末期に初めて西洋の理想的身体であるヌードに出会い、近代化の過程で葛藤と苦難を体験する。本書は生人形や淫靡な錦絵を生んだ幕末の驚くべき想像力、日本という環境で日本女性を描こうとした洋画家たちの苦悩、戦後日本中に乱立したヌードの公共彫刻、海外で高く評価される日本独自の身体芸術・刺青など、さまざまなテーマを横断し、裸体への視線と表現の近代化をたどる異色の美術史。文庫化に際し大幅な加筆を行った増補版。
江戸時代の大人の漫画「黄表紙」。その発想力、表現力は、とても250年前とは思えぬ斬新さ。本巻には、黄表紙というジャンルの創始者、恋川春町、朋誠堂喜三二、黄表紙の全盛期をもたらした山東京伝、芝全交らの作品を収録。個々の作品に共通するのは荒唐無稽なストーリーと圧倒的な馬鹿馬鹿しさ。神や仏が遊郭に入り浸り、うどんと蕎麦が薬味を従え、江戸名物の座を争う…。黄表紙は大ベストセラーとなり、もてない男が金に物を言わせて色男の真似事をする『江戸生艶気蒲焼』の主人公・艶二郎の顔は、手ぬいぐいの柄にまでなった。傑作として名高いアンソロジーを、図版を撮り直し、全3冊で刊行。
“遠近法”という表現様式は自明のものではなく、ルネッサンス期に確立したひとつの世界観である。パノフスキーらも論じてきた遠近法の成立や発展の背景を、本書は思想史的観点から深く掘り起こし、水墨画や日本絵画における表現法も引きくらべつつ、絵画の一技法という枠を越えて文化全体の文脈のなかで、その真の世界観的意義を捉えなおす。さらに、カントやヘーゲルなどのドイツ観念論における芸術理論、近代日本絵画における格闘を追いながら、美術と哲学の関わりを掬いだす。ユニークな切り口で美術史学の重要論点に切り込んだ名著。
生命を賭して一対一で戦い、その結果にしたがって紛争を決着した「決闘裁判」。中世ヨーロッパに広く普及したこの裁判は、どのように行われ、いかにして終焉を迎えたのか。決闘裁判は、熱湯神判、冷水神判といった神判が禁止された以後も、1819年にイギリスで廃止されるまで存続した。それはなぜか。著者は、解決を他者に任せない自力救済の要素に、現代にまで通じる「当事者主義」の法精神をみる。法とは何か、権利や自由、名誉や正義とはどんなものかといった深い問いを投げかける法制史の名著に、「法と身体のパフォーマンス」を増補した決定版。
映画界を55歳で潔く引退した高峰秀子。自分たちの暮しに本当に必要なものは何か、何がいらないのか?「引き算」の美学から、生活を見つめなおした彼女は、静かで、小さな暮しを選びました。多くを所有せず、日々台所に立って料理の腕をふるい、洗練された実質的なモノだけを部屋に配置したのです。その穏やかで細やかな生活を、晩年をともに過ごした養女が、カラー写真とともに紹介します。
複雑な家庭環境に生まれ、肉親の愛情を知らずに育った大女優・高峰秀子。修羅の半生を生きてきた彼女にとって、心を開き、信頼できる唯一の人間は夫・松山善三だけ。そんな彼女が、夫と一緒に暮らすために大切にしていたルールとは?強いない、奪わない、口出ししないー。夫婦とともに暮らした養女が、いつも素敵だった二人の作法を紹介します。