今は人間が地球を征服しているけれど、次にはネズミがとってかわるかもしれない。いやそれがゴキブリでもいいのだ、人間が今地球上に大発生しているのは、人間が特別な動物だからではない。大発生も絶滅もすべての動物に起こりうることなのだ。人間もネズミも、個体として互いに競争し維持されていく「種」、「種」とはいったい何なのだろうか。
灯台の光を目指して旅を続けるフィレーナは、砂漠のオアシスにたどりつく。そこでフィレーナは肉体を持たない精神だけの生命体「森の民」と出会う。じつは彼らの存在そのものが帝国機密であり、彼らの口から語られたデビス帝国の成り立ちはフィレーナを絶望の淵へと追いやった。一方、帝国人民心理更正病院に収容されたネストもそこで帝国の成り立ちを知る。帝国成立の裏に隠された大いなる計画とはいったい何なのか?
源氏物語の完成に向けて苦慮し、藤原道長の強引な求愛に懊悩する紫式部。一方、式部の娘賢子は母の厳しい教育を受け、侍女らにかしずかれて成人するが、友人も少なく孤独の身であった。後見もいない賢子の将来を思いやり、母娘ともども皇太后彰子の許へ出仕するようになる。やがて、和泉式部、赤染衛門らとの交際が始まり、さらに、貴紳顕官の子弟たちの誘惑が待っていた…。長篇歴史小説。
なぜぼくは巨大なフクスケに向かって走っているのだ。時代の断片に透徹した洞察を加え、刺激と退屈、美異化と同質化のイタチごっこ、ホンモノの快楽も退屈もない〈退屈なパラダイス〉からの逃走経路を模索する、マンガ、エッセイ、評論、小説の数々。あらゆる手法で80年代末を戯れ倒したこの本は、既にして懐しい90年代を嗤っている…かもしれない。
「理念の共和国」アメリカは、体制=民主主義の危機をいかにして乗り越えてきたのか?いま、どのような課題に直面しているか?大統領の歴史をめぐって展開される、民主主義と指導者との微妙で緊張をはらんだ物語。
もりにくまがいるらしい!むらのなかはおおさわぎ、くまはいったいどこに…。
はじめてのエッセイ集。
人生の主役になる方法、教えます。知恵と勇気とことばを獲得するためのアンソロジー48。
純白の処女の喉元に飾られた血の色の首飾り。さしこむ月光の中、下肢から血をしたたらせる狼少女…。赤頭巾、白雪姫、青ひげ、吸血鬼譚などに着想を得て、性のめざめと存在の変容とを描く、セクシュアルで残酷な短篇集。
ときには膝を打つほど面白く、ときには哀しいまでに美しく、またときには身も凍るほど残酷に…。人生をあざやかな形で描き出したフランス短篇小説の名手たち。詩人・堀口大学がこよなく愛し訳したアポリネールやラディゲ、アナトール・フランスなどの作品を集めたエスプリの香り高い一冊。
人間の無意識の世界から紡ぎだされた象徴的主題とそれを核にして形成された神話的なイメージや象徴的表現の分析による心の構造の探究。リビドを広義の人間的エネルギーと捉え、新しい地平を切り開いたユング心理学の記念碑。
ワープロの出現は言葉の世界をどのように変貌させようとしているのか。書き言葉と話し言葉を分ける最後の1線に果敢に踏み込み、〈筆蝕〉の概念を駆使して、書くことの本質にはじめて照明をあてた渾身の書き下ろし評論。
〈奈落〉でついに暗黒の女王と対峙したレイストリン。一方、パランサスの攻防戦のまっただなかへ、キャラモンとタッスルが帰りつく。タニスと再会した2人は、キティアラ軍団に苦戦を強いられたソラムニア騎士団を残し、浮揚城塞で、(上位魔法の塔)をめざす。レイストリンの帰還が目前に迫っていたのだ。すでに〈塔〉では、レイストリンを迎えるためにやってきたキティアラとダラマールが壮絶な死闘をくり広げていた…。双子の愛をみごとに描きぬいて大団円を迎える〈ドラゴンランス〉シリーズ、感動の完結篇。
春水『春色梅児誉美』、鴎外『舞姫』、二葉亭『浮草』、一葉『たけくらべ』、荷風『狐』、漱石『彼岸過迄』『門』、横光『上海』、川端『浅草紅団』など近世から現代に至る文学作品と、ベルリン、上海、江戸東京といった都市空間ー。このふたつの相関を、幅広い視野と博識のもと、鋭く、エレガントにそして生き生きとして解読してみせた、著者の代表作。芸術選奨文部大臣賞受賞。
昭和の銀幕を駆け抜けた鞍馬天狗。生涯、映画を愛し、女に惚れ、一銭の財産も残さずに逝った往年のヒーロー・アラカン=嵐寛寿郎が語った日本映画の裏舞台。いかがわしくも、魅力と活気に満ちていた映画界のようすが、竹中労の名調子に乗って甦える。山中貞雄、伊藤大輔、マキノ雅広らの若き日々がいきいきと描かれる、もう一つの日本映画史。
南方熊楠は、生物学者としてだけでなく、博物学、考古学、民俗学の分野でも、世界に通じた偉大な学者であった。その巨人の生涯をたどる。小学上級以上。
コーモリ傘、ブランコ、そして映画に芝居、紙相撲に化物屋敷。見なれた物がいつのまにか別の世界への案内者になってゆく不思議。駅、そして港の眺めから甦る怪しい過去の時間。とめどなく酒を飲む男はどこに行ったのか?酔った朝見た白々として光景はどこだったのか?出会った物や人たちがしだいに「好きな物」「このみの風景」に変容してゆく感覚と文章のマジックの世界。
89年、北京の民主化運動の高揚に呼応、急遽、留学先の米国から帰り、天安門広場でハンストに入った著者が、明日の中国に思いをいたし綴った鮮烈檄文。