「李修龍。君は本日をもって、粉嶺辺区警察に転属になった」狂龍というあだ名をもつ男は拳を握りしめた。たった今まで彼は皇家香港警察の湾仔総部重案組(特捜隊)を率いる幇弁(警部)だった。最精鋭のO記で組織犯罪と三合会(正統派黒社会)を専門に捜査するのが任務だった。そりぁ、軌道をはずした強引な捜査をしなかったとはいわないさ。にしても九広鉄路が通う国境の街へ、なぜ左遷されなきぁならんのだ。若い散仔を相手にケチな事件を追うと考えると、意外にも。痛快無比。笑殺ハードボイルドの新浪潮傑作。
右から読んでも左から読んでも同じ文、「回文」。70の回文とイラストを並べて綴った長編ストーリーは、どこか映画風のモンタージュ。ロードショーのはじまりはじまり…。
大ドイツ帝国海軍潜水艦隊北米戦隊所属のUボート、U4982は、マイアミの根拠地から1950年最後の戦闘哨戒に出動した。「一体なんなのだ、こいつは」ブルーノ・ストランスキー大尉は海図を睨んだまま咳いた。隻数は5隻。うち4隻は駆逐艦。グアンタナモへの針路を15ノット前後に進んでいた。第2次大戦終結から8年-第3次大戦勃発からほぼ3年が過ぎた現在、駆逐艦のパッシヴ・ソナーで航走音を聞き取れる。「捜索用潜望鏡上げ。急速潜航に備えよ」相手は日本艦アキヅキ級…佐藤大輔の超人気作外伝登場。
佐田教授を団長とする後鳥羽上皇の遺跡発掘調査団の様子をルポするため、浅見光彦は一員として隠岐・中ノ島を訪れた。町長主催の親睦パーテイーの席上、「ちの字の祟り」があるからと発掘に反対し、騒ぎを起こした島の老人小野の溺死体が上がり、発掘に不吉な影が…。果たして、発掘現場の不寝番に睡眠薬入りビールを飲ませて盗掘しようとした佐田の死体が発見されたのだ…。浅見光彦シリーズ前篇。
やねうら部屋の人形の家にすむ、ゆかいなネズミ一家のお話。とうさん、かあさん、三びきの子どもたち、それに、とちの実のミソッカスがくりひろげる楽しく心あたたまるものがたり。
明治以降、近代化がすすむなかで、都市・東京の街並はどのように変貌していったのか。お雇い外国人やエリートの日本人建築家たちがつくる洋風建築ではなく、江戸以来の伝統的な技術を伝承する棟梁・職人たちと市井の人々のエネルギーがつくりだした「伏流」の建築、あるいは和洋折衷の様式に目を向ける。異色の東京論。
不朽の大著「ローマ帝国衰亡史」の着想から完成までの経緯に、一人のカントリー・ジェントルマンとしての生活と意見を織り込んだ、名著の誉れ高い自伝の完訳決定版。
「竜馬がゆく」の「竜馬が」も、「樅の木は残った」の「樅の木は」も、「ぼくはウナギだ」(ぼくが注文したのはウナギだ)の「ぼくは」も、どれも同じ主語だろうか。学校文法はそう教えてきたが、そのため文法をまるでつまらぬものにしてしまった。本書は、日本語独自の構造に根ざした方法によって構文の謎に大胆に迫っていく。日本語の奥の深さを実感させ、日本語がますますおもしろくなる一冊。
戦争はいかなる意味においても我々が考えているようなものではない。それを行うために大戦略は必須であるし、勇壮極まりない情景も存在しよう。だが大部分は、常識と、退屈極まりない時間の連続であるということもまた確かだ-日独対戦が激化するなか戦場に臨んだ兵士の内部に迫る圧力や米国上陸作戦の戦闘、大西洋上の商船護衛、米国土における日本軍に浴びせられる独軍戦車部隊の攻撃、冨岳によるベルリン爆撃そして戦後にまで視野を広げて、非日常の中で苦闘する日本側兵士たちの迫真の姿を熱描する一大戦場報告。
なーにが「メリー・クリスマス」だあ。イヴの夜、プレゼントをなくしたドジなトナカイにさらわれ、天上にとりのこされたあわれなぽっぺん先生。さあ、どうなる。
イージャンはまほうつかい。「すべりだいよ、うまのかたちになれ」あれれ、すべりだいはきりんのかたちになったよ。イージャンはまほうがへたくそなんだ。きょうもいっしょうけんめいまほうのれんしゅう。なにがおこるかおたのしみ。
十四歳のタイラーは孤独だった。父親は自分の仕事以外に興味がない完璧主義者で、タイラーの夢を理解しようともしない。その上母親はアルコール依存症だし、大好きな優しい兄までも同性愛者だったことが発覚し家をでてしまう。心の通い合わない家族の中でタイラーはひとり、野鳥の写真を撮ることにますますのめりこんでいく。だが、恵まれない環境にありながら夢を着実に追っている少女ミッツィに出会ったことから、タイラーは変わっていくのだった。思春期の少年の揺れ動く心理とその成長を生き生きと感動的に描いた小説。10代から。