「今に見ちょれ」。薩摩藩中でも「唐芋侍」と蔑まれる貧乏郷士の家に生れた中村半次郎は、だがその逆境に腐ることなく、いつの日かを期していた。秀抜な美男子で気がやさしい。示現流の剣は豪傑肌に強い。恵まれた資質のままに精力的に日を送っていた二十五歳のある日、半次郎は西郷吉之助と出遇う。時は幕末、惚れ込んだ男=西郷につき、半次郎は水を得た。京の町に“人斬り半次郎”の名が轟く。
世界史はモンゴル帝国とともに始まった!地中海文明と中国文明の運命を変え、東洋史と西洋史の垣根を超えた世界史を可能にした、中央ユーラシアの草原の民の活動。モンゴルの発展と伝統から世界の歴史を読み直す。
とつぜんやってきたハムスターの団体さんはねようとするぼくのじゃまばかりして…。お風呂、はいった。歯みがき完了。トイレもすんで、あとはねるだけ、のはずなのに?3歳から。
五人とプラス一匹のぐうたら家族がおりなす“適当”な生活を、笑いと涙と感動で描いたアニメ映画を絵本化。
書き下ろし12篇を含む珠玉の15篇。静かに激しく紡ぐ七年ぶりの最新詩集。
「文学的形式(フォルム)を“アンガジェさせる”こと」と「サルトル的アンガージュマンをマルクス主義化すること」という二重の企図のもとに書かれた『エクリチュールの零(ゼロ)度』は、サルトルの『文学とは何か』によるブルジョワ的“文学”神話の“脱神話化”の試みを引き継ぐとともに、その人間主義的限界の乗り超えを目指した。言語体(ラング)とも文体(ステイル)とも異なる文学の第三の形式的現実としての『エクリチュール』は、はたして“文学”を解明したのか。つねに現代思想の先頭を走り続けつつ、変貌を重ねたバルトのエクリチュールの冒険のすべては、ここから始まった。
これほどシンプルでこれほど本質的な生き方が他にあるだろうか。すべての人にある「自分がワクワクすること」。そこには、あなたの人生を劇的に活性化させる「奇蹟の力」が宿っている。
アラスカの大自然のまっただ中に身を置き、悠久の時のかなたから響く声に耳をすまし、闇にひそむ動物たちの鼓動にわが身の鼓動を重ね、凛とした言葉と永遠の今を捉えた映像を残して、遠い世界へ旅立った星野道夫。その彼が、小さな人たちの魂にまでとどいてほしいと願った祈り…。小学中級から。
SF作家の秀と担当編集者の大河は、ひとつ屋根の下で暮らす恋人同士。でも兄弟達に囲まれて、なかなか一線を越えられない。そんな時、次男・明信に交換留学の話が持ち上がる。費用を気にするなと勧める大河は、拒む明信と大ゲンカ!!それをきっかけに、自分に向ける秀の笑顔にも、どこか無理があるように思えてきて…!?真弓&勇太の番外編「チルドレンズ・タイム」も収録。
芸術と生活の境界に位置する広大な領域、専門的芸術家によるのでなく、非専門的芸術家によって作られ大衆によって享受される芸術、それが「限界芸術」である。五千年前のアルタミラの壁画以来、落書き、民謡、盆栽、花火、都々逸にいたるまで、暮らしを舞台に人々の心にわき上がり、ほとばしり、形を変えてきた限界芸術とは何か。その先達である柳宗悦、宮沢賢治、柳田国男らの仕事をたどり、実践例として黒岩涙香の生涯や三遊亭円朝の身振りなどを論じた、戦後日本を代表する文化論。表題作『限界芸術』に加え、芸術の領域での著者の業績がこの一冊に。
人間の欲望と一致するある神話的な到達点を自らの手で目ざし、現代文化の基礎として複合的な超過密文化を生み出した都市マンハッタン。理論のユートピア=摩天楼、理想主義の断片=ロックフェラー・センター、予想外の突然変異=ラジオシティ・ミュージックホール…。地表上をグリッドに仕切り数々の建築物を打ち立てたこの都市の誕生・成立・発展の過程、さらにその可能性と限界を、多くの貴重図版とともにエキサイティングに描き出す。現代建築の巨人による伝説の書、待望の文庫化。この書を読まずして、現代建築を語るなかれ。
にたものランドへようこそ!ちょっとみただけだとふつうの風景なのに、じっくりみてみると、あれれ?そう、ここは魔法の国。ふつうのものが、ふつうじゃなくなる。さあ、よくみてごらん!子どもから大人まで、一冊で何時間でもたのしめる、ふしぎな世界。さあ、ページをめくってください!5歳から。