のどかなまきば村を舞台に、元気いっぱいのこぶたたちの姿をいきいきとえがいた、幼い子にはじめて読んできかせるのにふさわしいお話集。
第二次大戦で「地中海のとりで」といわれたマルタ島は、アフリカ戦線へ物資を運ぶドイツにとって目の上のこぶだった。マルタを占領せよ!ドイツ軍は空海から襲いかかった。一方、守る英軍に物資を運ぶ英輸送船団が進む。ここに英独両軍の攻防戦がはじまった。
信玄の父信虎の生涯は、波瀾に満ちた81年であった。25年の歳月を費して乱国を統一し、甲府を開いて武田家を守護大名から戦国大名へ押し上げた。国主であった期間は、信玄よりも長く、信玄に国外へ追放されて、なお33年間を異境で生き抜いた。信玄卒去の報に接して、京都からその老躯を信州高遠まで運んできた。この「信虎の巻」は、その誕生前夜から駿河へ追われまでの辛苦に満ちた50年を書いたものである。
信玄の父信虎の生涯は、波瀾に満ちた81年であった。25年の歳月を費して乱国を統一し、甲府を開いて武田家を守護大名から戦国大名へ押し上げた。国主であった期間は、信玄よりも長く、信玄に国外へ追放されて、なお33年間を異境で生き抜いた。信玄卒去の報に接して、京都からその老躯を信州高遠まで運んできた。この「信虎の巻」は、その誕生前夜から駿河へ追われるまでの辛苦に満たち50年を書いたものである。
一ぴきの野良ネコが高貴なネコに。その生いたちと貴族生活とは。仲のよいキツネの夫婦愛と、力をあわせて子どもたちを敵から守る美しい姿。
戦国の英雄信玄は、当初、北国経由で上洛を考えていた。謙信と四つに組んだ理由もそこにある。しかし謙信を打ち破ることが出来ず、やむをえず方針を転換、駿河を攻めることとなった。だが、そこにもまた大きな障害があった。嫡男義信との対立・北条氏との同盟関係の崩壊がそれである。信玄は、その障害を無理に乗り越えていった。それは織田信長の動向に大いなるあせりを感じていたからである。合戦に明け暮れていた信玄は、三方ケ原の戦の後に四面を敵にしたまま陣没したが、このことが勝頼に過分の重荷を背負わせる結果となった。
父信虎を追放してその領国体制を無傷で引き継いだ若き信玄は、文武両道に通じたエリートであり、源頼朝のように謀略性に富み、粘り強く且つ慎重な性格で、複雑な思考の持主であった。諏訪攻めを手始めに信濃全土の征服に向かって合戦を繰り返し、ついに越後の謙信と対決することとなった。この「信玄の巻(上)」は、諏訪攻めから川中島の大激戦前夜までを書いたものである。
一年前の夏、海から貴族が上がって来た夜に浜辺で拾った“珠”は、辺境の最北の漁村に住む姉妹の想像を遥かに超えた価値を持つものらしかった。姉の使いで、珠を売りにウーリンが町に出た時、珠を眼にした者は例外なく、あらゆる手段を用いてそれを奪い取ろうとするのだ。一度は危機を通りがかりのDに救われたものの、ウーリンはクローネンベルクの町の顔役ギリガンに、珠の由来を問いつめられた挙句、無残に殺されてしまった。死の間際の少女の願いで、Dは珠を持って少女の村フローレンスに向かった。壮大なスケールで迫る〈吸血鬼ハンター〉シリーズ最新刊、全2巻で登場。
子どもの人生を豊かにするためにードロシー・バトラーがすすめる350冊の本。本を読む力をつけるのにもっとも大切な時期、小学校入学からの子どもの成長と、その年齢にふさわしい本をとりあげます。子どもと本への愛と信頼をこめておくる大人たちへのメッセージ。
四面楚歌の中で武田家を継いだ勝頼、その孤独と健やかな心意気を描く。跡目相続と長篠の合戦。
武田家滅亡の原因は何か。諏訪の人勝頼にとって武田家とは何であったか。信玄葬儀と武田の滅亡。
凍てついた最北の海辺の村フローレンスに、待ち望んだ夏が訪れた。わずか一週間の夏。その束の間の歓びを噛みしめる村人の顔には、だが、どこか翳りと怯えが秘められていた。村のはずれには、かつて人間に暴虐の限りをつくした後、旅の男に滅ぼされ海に封じ込められたと言い伝えられる貴族、マインスター男爵の城跡がある。その伝説の貴族は、夏になると姿を現し、飢えを満たすのが常だったからだ。三人の若者が貴族の犠牲となった夏の第一日目、連合戦線を張った戦闘士らは、一気にDに襲いかかったのである。壮大なスケールと圧倒的な迫力でおくる〈D-北海魔行〉完結編。