紀州徳川家がイスパニアから武器を密輪して幕府転覆をはかっているらしいー前代未聞の大陰謀を解明すべき奔走をはじめた兄たちによって花田万三郎は長崎から江戸に呼びもどされる。しかし、人間への思いやりにあふれ、彼を慕う二人の女性の間で翻弄される万三郎は、事件解明第一の兄たちに叱られてばかり。独特の人間観をにじませながら、波瀾万丈の剣劇をくりひろげる長編小説。
一般に「花伝書」として知られる『風姿花伝』は、亡父観阿弥の遺訓にもとづく世阿弥(1364?-1443)最初の能芸論書で、能楽の聖典として連綿と読みつがれてきたもの。室町時代以後日本文学の根本精神を成していた「幽玄」「物真似」の本義を徹底的に論じている点で、堂々たる芸術表現論として今日もなお価値を失わぬものである。
日本征服の野望を持つ元の世祖フビライは、隣国の高麗に多数の兵と船と食料の調達を命じた。高麗を完全に自己の版図におさめ、その犠牲において日本を侵攻するというのがフビライの考えであった。高麗は全土が元の兵站基地と化し、国民は疲弊の極に達する…。大国元の苛斂誅求に苦しむ弱小国高麗の悲惨な運命を辿り、“元寇”を高麗・元の側の歴史に即して描く。
小説「失踪」の構想をねりつつ私娼街玉の井へ調査を兼ねて通っていた大江匡は、娼婦お雪となじむ。彼女の姿に江戸の名残りを感じながら。-二人の交情と別離を随筆風に展開し、その中に滅びゆく東京の風俗への愛着と四季の推移とを、詩人としての資質を十分に発揮して描いた作品。日華事変勃発直前の重苦しい世相への批判や辛辣な諷刺も卓抜で、荷風の復活を決定づけた名作。
1300年の昔、新しく渡来した信仰をめぐる飛鳥・白鳳の昏迷と苦悩と法悦に満ちた祈りから、やがて天平の光まどかなる開花にいたるまで、三時代にわたる仏教文化の跡をたずねる著者の、大和への旅、斑鳩の里の遍歴の折々に書かれた随想集。傷ついた自我再生の願いをこめた祈りの書として、日本古代の歴史、宗教、美術の道標として、また趣味の旅行記として広く愛読される名著である。
茶の湯が漸く女子の遊芸と化そうとした徳川中期に、それを憂慮して大徳寺の大龍・無学の両師に参じていた如心斎と又玄斎一燈は、その奨めもあって、稽古本位に創設されたもので、禅家の七事随身からとって、七事式と称し、その内容は精神的な意義と相まって、きびしい規矩作法の実践を企てられたものである。さきに「花月風雅集」と題して、その大略を箇条書風の袖珍本を上梓したが、今、廃版となり、内容も花月の式に小習事などを付け加えたものであったが、大方の要望もあって、あらたにその梗概を纏めることとした。