くまたくんは、その夜を走りぬける夜行列車のブルートレインにのることになりました!幼いくまたくんは、いったい、どんな体験をするのでしょう!
オオカミのゆめ-どこか遠い山の中で、オオカミがゆめをみていた。ゆめの中でオオカミは、一人の男の子になっていた。…ぼくのゆめ-ある晩、ぼくはゆめをみました。それは、こんなゆめでした。ゆめの中でぼくは、1ぴきのオオカミになっていたのです。…オオカミがぼくか、ぼくがオオカミか?夢と現実のあいだで〈変身〉を重ねながら、生きることの感覚を定着する、幻想ロマン!名作『風を売る男』につづく、得望の最新作品集!
この本では、物質をしるため、その性質を一つ一つ分け、検討し、それらをまとめるという帰納法の推論と総合判断がとられています。科学の研究が進み、専門が分化していく現在、こまかな知識の断片でなく、ばらばらのこまやかな要素を、広い目でみつめながら集積して、対象の全体像や物事の実体に迫ろうとする態度や考え方がますます大切になっています。
昭和44年初版発行以来、20年間に21刷を重ねた旧版を全面的に見直し、基礎的な用語は、解説内容を見直す、追加用語は最新のものまで入れる、廃語および使用頻度の少ない用語は割愛するの編集方針で、使いやすさを追求した実用用語辞典。
ジェイソン少年は6歳のときに、ガンにかかっていることが発見されました。その日から始まった、長い、苦しい闘病期間の間、「ぼくが元気になったら、みんなに小児ガンはこわくないっていうことをしらせたい」と思いました。そして、退院して元気になった今、兄弟が描いたイラストと共に、感動的な手記をつづり、世界の人々に訴えます。
足利政権の末期、京に一人の若者が現われた。若者の名は、塚原新右衛門高幹。常陸の国鹿島に伝わる剣技をたずさえて、兵法修業の旅に出た、後の剣聖・塚原卜伝の若き日の姿であった。十有余年後、鹿島に戻った新右衛門は、一朝、鹿島神宮の神木の前で、ついに秘伝“一の太刀”を完成する。新当流の一流をたてた彼は、やがて新たな修業の旅へ出た。剣に命を賭けた男を描く傑作時代長篇。
貧困のうちに若くして世を去った明治の天才詩人石川啄木。本書は、常にその身辺にあって生涯の理解者であった著者が、多くは知られていない人間啄木の、波瀾に富む27年の生涯を浮き彫りにした定本である。
いつも夢の中に出てくる女の子がいた。その彼女に、雨の日ぼくは出あったのだ。しかも彼女は、栄光進学スクールの塾へいっているのだ。ぼくは、その塾へはいろうとおもった。小学中級から。
かおる君が魔法の鳥の羽根で机をなでると、おかしなことに部屋は広い海に、机は小島に、椅子は大型のヨットに変わりました。このふしぎな世界で、王さまになったかおる君は、ゴチャゴチャ虫を退治するため、ヨットに乗って小島に向かいます。(「ぼくの机はぼくの島」)ほか「おしゃべり湯わかし」「しかられ坊主のヒミツ」など、神秘的世界を描いた佳品19編を収録したファンタジー童話集。
赤ちゃんの体は77パーセントが水。これが大人になると約60パーセントに。歳をとるともっと少なくなって、まさに水とともに生命は栄え、また枯れてゆく…。水なくしては地球上に生命は芽ばえず、水なくしては日々の暮らしもなりたたず、うまい水なくしてはうまい料理もありえず…というわけで、水にまつわる面白話を50テーマ集めてみました。
修練の果てに得た夢幻の美とわざ。名人・友枝喜久夫の能は、八十にして、なお、ういういしく、見る者に感動を与えずにはおかない。その魅惑の本質を吉越立雄と大倉舜二の写真を加えて、白洲正子が書き下すひさびさの能芸論。
脇役がベストセラーの時代…。遂に登場。軽やかな足どりで、ただひたぶるに生きる人間の生み出した最高傑作である絵と詩。「山田喜代春」待望の詩画集を全国のファンに送る。サラリと読んで、ジックリ眺め、フッと我に返る…。はがき大に織りなす詩と絵のアンサンブル。「板切れ月報」という版画通信に始まった『生活詩人』山田喜代春は、日常生活からあふれでた詩や絵を、毎月毎月、京都から全国のファンに送り届けている。それは素朴な絵に、淡々とした人生の朴とつさと、軽やかなおかしみが詰まった詩画集である。