『集字墨場必携』全十五巻は、中国歴代の古典や詩集より書作に好適と思われる名詩佳句を採録し、各々テーマに拠って各巻を構成。各巻には古典から集字の半切形式の作例を併載して作品制作の参考に供する。本冊では、酒茶に関する二百八十九首を収録し、詩句は各項目毎に字数順、同字数内では詩人が活躍した時代順に排した。
きょう、ヤモははじめてとうさんとまちへいく。ロバのポンパーもいっしょだ。いちばですももやさくらんぼをうるのだ。
豊かな自然に恵まれて子ども時代を過ごした著者が、遊びのなかで“自然がくれたもの”の大きさを語る。小学上級から大人まで。
ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだー。17歳の時田秀美くんは、サッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてる。ショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中だ。母親と祖父は秀美に理解があるけれど、学校はどこか居心地が悪いのだ。この窮屈さはいったい何なんだ!凛々しい秀美が活躍する元気溌刺な高校生小説。
『集字墨場必携』全十五巻は、中国歴代の古典や詩集より書作に好適と思われる名詩佳句を採録し、各々テーマに拠って各巻を構成。各巻には古典から集字の半切形式の作例を併載して作品制作の参考に供する。本冊では、人生に関する二百五十八首を収録し、詩句は各項目毎に字数順、同字数内では詩人が活躍した時代順に排した。
おかあさんぐまは、いいこのこぐまがだいすき。でも、こぐまは、いいこのときばかりじゃないみたいです。そんなとき、おかあさんぐまは、「いいこをうんだのよ」といって、こぐまが、おなかのなかにいたときのはなしをはじめます。
障害を持つわが子と妻との日常、そして夥しい読書。少年の日の記憶、生の途上における人との出会い。「文章を書き、書きなおしつつ、かつて見たものをなぞる過程でしだいに独特なものを作ってゆく」という方法意識の作家「僕」が綴る、表題作等九篇の短篇小説。切迫した震える如き感動、時にユーモアと諧謔をたたえて還暦近づき深まる、大江健三郎の精神の多面的風景。
アーサーがおこると雷がなり嵐がきて町がー!?まだおこっていると地球がわれ月も星もー!?マザーグース賞受賞。
ヤモのくにでは、ながいあいだ、せんそうがつづいています。ヤモのにいさんも、ともだちのミラドーのおとうさんも、へいたいになって、せんじょうにでかけていったまま、かえってきません。それでもヤモの村に、あきのあるひ、まちにまったサーカスがやってきたのです。『せかいいちうつくしいぼくの村』につづく、パグマンの村のものがたり。
小さなとらがびょうきになった。もう、いっぽもあるけない。ともだちの小さなくまは、いっしょうけんめいかんびょうするけれど…。ぐあいがわるくなってちょっぴりわがままになる子どもの気もちとしんぱいするともだちの気もちをほのぼのとユーモラスにえがいたたのしい絵本。5歳〜。
平等と非戦の論理。うちつづく戦乱・収奪を峻拒し、敢然と平等無差別・非戦論をとなえた墨子。敵視され抹殺されながら、はるかのちの近代中国革命の地下水脈ともなった、その根元的な変革思想とはー。
しゃべったり、うたったり、とんだり、よじのぼったり、えをかいたり、うちをたてたり、にわで、へやで、なにかやったり、あそんだり、どの子も、この子も、せっせ、せっせ…。
「あたしには幼い頃の思い出が全然ないの」。7年前に別れた恋人・沙也加の記憶を取り戻すため、私は彼女と「幻の家」を訪れた。それは、めったに人が来ることのない山の中にひっそりと立つ異国調の白い小さな家だった。そこで二人を待ちうける恐るべき真実とは…。超絶人気作家が放つ最新文庫長編ミステリ。
ぼくのマンガは大阪大空襲と八月一五日が原点だー子供時代、父母、先生、友人との触れあい、作品にこめた熱いメッセージを語る。マンガを読み聞かせてくれた母、作文する楽しさを教えてくれた先生、絶体絶命の苦境で助けてくれた友。彼の創作を支えたものは何か。不滅のマンガ家が遺した講演記録を編集、ハートフルな肉声がいま甦る。