開拓・拓殖の歴史と見られてきた東北古代史を再検討し、考古学と文献史学の成果を総合して新たな東北古代史の構築をめざす。また蝦夷アイヌ説と蝦夷非アイヌ説の対立をのりこえる新しい民族論、蝦夷社会論を提示する。
本書は、江戸時代中期より幕末維新期に至る間の浅草寺寺中の年次別日並記録の集大成である。本巻には、このうち天保三年(一八三二)より天保五年(一八三四)までの三年間の浅草寺日記九冊を収めた。
後鑑は徳川幕府の奥儒者成島良護が幕命を奉じ、足利尊氏以来義昭に至るまで、室町幕府将軍に関する史料を編集して、一条ごとに綱文を立てたものにかかり、本篇三百四十七巻附録二十巻に上る。本書は先に旧輯続国史大系第六巻より第八巻まで之を三篇としたが、今之を四篇に分ち、本巻は、その第一篇として元弘元年九月尊氏初度の西上より第二代議詮の死に至るまで、凡そ三十七年間の記事を収めた。
徳川実紀は家康以来家治に至る江戸幕府将軍の実紀であり、一代ごとに将軍の言行逸事等を別叙し、之を附録とする。大学頭林衡総裁の下に成島司直旨を奉じて撰述し、文化六年に稿を起し、嘉永二年に至りその功を成した。総じて之を御実紀と称し、各代将軍の廟号に因って題し、東照宮御実紀を始め、台徳院殿御実紀以下浚明院殿御実紀に終る。今ここに徳川実紀というのは、世に行われる通称に従うものである。本書は旧輯続国史大系にその第九巻より第十五巻まで七篇に分収せしが、今之を十篇とし、本巻は第一篇として、旧輯続国史大系第九巻の中、御実紀成書例に始まり、徳川氏の出自、家康の幼時より二代将軍秀忠の実紀慶長十九年に至るまでを収める。
本書は昭和初期から敗戦にいたる時期の日中関係について、その周辺を含めて論文を集めたものである。日中関係に関連する史料集の編纂に従事した著者による日中関係についての論稿。
これまでの蝦夷研究の視点のなかの批判すべき部分、継承すべき部分はどのような点なのか。考古学と古代史学史を史学思想史的な部分にもふみこんで検討し、研究のあるべき方法をさぐり、著者の蝦夷論の立脚点を示す。
体系的に網羅した日本史研究の根本史料。三十年ぶりの完全復刊。本巻は、常憲院殿御実紀巻十七元禄元年以下常憲院殿御実紀附録巻下までを収めて、徳川実紀第六篇とした。
本巻は旧輯続国史大系第十四巻の後半有徳院殿御実紀巻五十三寛保元年より惇信院殿御実紀附録に至る六十二巻を収めて、徳川実紀第九篇となし、今ここに新訂増補国史大系第四十六巻として之を公刊す。
本書は家康より家治まで徳川氏歴代将軍の実紀の後を承け、更に第十一代家斉の実紀より漸次稿を起して第十五代慶喜に及ぶはずだったが、家斉、家慶の二代を、編述僅に成しただけで、家定以後に至っては、ただ資料を蒐集按排して、簡単なる綱文を附したのみ、遂に未定稿のままに伝わっている。
「扶桑略記」は阿闍梨皇円が六国史以下の古史及び僧伝縁起流記等を、編年体に取詮輯集したもの。「帝王編年記」は歴代編年集成と称して世に行われる外、更に帝王編年集成、歴代編年記、扶桑編年録等の別名があり、僧永祐の撰にかかると伝えられる。
本巻には前篇に次いで、後光厳院文和元年(後村上天皇正平七年)八月に始まり、後陽成天皇慶長十六年三月に終るまで合せて二十九巻を収めた。編集者紀光卿自筆の稿本を以て底本としている。