満鉄が国内政治と外交に与えた影響を多角的に論究する。後藤新平と満鉄調査部をはじめ、「満洲国」治外法権撤廃など、満鉄の抱えた各時期の重要問題を取り上げ、その様相を検証。満鉄・植民地研究に新たな一石を投じる。
著者は1973年の5月に『日本古代用水史の研究』を発表した。本書は、灌漑・治水の研究を主な研究目標と決め、続行した研究書である。
中国地方など11ヵ国に君臨したとも言われる戦国大名尼子氏。戦国動乱の中に滅亡したため実態は不明であった。残された史料を丹念に収集し、初めてその実像を描き出す。戦国期守護論や大名領国制論にも一石を投ずる。
信長・秀吉が天下を統一した16世紀後半は、中世から近世へ移行する日本史上重大な転換期であった。織豊期と呼ばれるこの時代の政治・社会を、権力構造・地域社会・対外関係など多面的に分析し新たな歴史像を提示する。
戦国期の足利将軍は細川氏の傀儡ではなく、幕府を主導して動乱の時代の中で生き残りの道を独自に模索していた。幕府内の実証的分析を通じて、戦国期「日本」を読み解くために不可欠な幕府・将軍の実像の解明に迫る。
棟を並べ甍を競った貴族たちの邸宅はいかなる盛衰をたどったか。王朝の日記・物語や絵巻に描かれ、政治の舞台と文学のサロンになった邸第を、文献の博捜と発掘体験によって詳述し、歴史と文学に新たな視点を提供する。
幕藩体制の確立にともない、江戸・大坂・京都に市場が生まれ、商品流通の大動脈が形成された。遠隔地商業・江戸問屋仲間の変遷を軸として、近世経済の発展から幕藩制的運輸体系の動揺までを流通の動態を通して描く。
占領期の経済改革および戦後の経済再建過程の歴史的特質を、民主化とアメリカニゼーション、西欧諸国の経済社会システム(ケインズ主義的福祉国家体制)の形成と一体になった経済復興という二つの側面から解明する。
明治二十年代の条約改正問題をめぐる藩閥政府と自由党・対外硬派などの諸集団の政治競合を分析。また伊藤博文・星亨の政治的手腕や、ジャーナリスト徳富蘇峰と政治との関わりに着目し、当該期の政治史像を再構築する。
平安時代中期、藤原氏の権勢下で、官吏として出世する道を閉ざされた中下層貴族たちはどう生きたのか。わが国初の往生伝集を編纂した慶滋保胤の生涯を、源信との関わりなどを通して、浄土思想の発展過程に位置づける。
平安から戦国時代の政治史研究の最新成果。「平安京と公家・権門」「鎌倉・室町期の武家権力」「中世社会の諸相」をテーマに、様々な視点から論究。平安期の公家政権、中世の国家権力の様態をも展望する十三編を収録。
『北小浦民俗誌』は、柳田国男が特定地域を記述した唯一の民俗誌である。しかし柳田自身この地を訪れたことがなく、また北小浦に関する部分も少なく、むしろ日本全体の歴史像を論じている。柳田が意図したものは何か。『北小浦民俗誌』を正確に読み解き、その成立過程や資料的根拠を明らかにし、「郷土で日本を」を標榜した柳田国男の思想に迫る。
日本の水田二毛作はどのように始まったのか。それは単純に生産力の飛躍的発展だったのか。鎌倉後期から南北朝期の気候変動と農業生産の在り方を総合的に論究し、二毛作の展開過程を通して、従来の歴史像を書きかえる。
近代軍隊の創設にともない、軍人墓地や護国神社など戦死者を弔う特別の空間が創設された。これら慰霊の場の立地や景観、儀礼・祭祀などを通し、軍事都市を中心に展開した近代国家による民衆統合の様相を明らかにする。
古代の景観研究の進展により、多様な変化と動態が明らかになりつつある。景観史の視角と方法の確立をめざし、宮都の立地と形態、国府の形態と構造、農地の地割形態など、学際的研究により、景観の歴史的生態を究明。
天皇が経典を選び、日本全土に流布せしめた「国家仏教」。そこにはいかなる歴史的背景があったか。『仁王経』『金剛般若経』『金光明経』『最勝王経』を取り上げ、各経典の内容を分析・解説し、国家との関わりを解明。
明治政府は本当に薩長の藩閥政権だったのか。薩摩藩と琉球王国の特殊な関係、不自然なほど大規模な岩倉使節団など、数々の謎に迫る。学校教育を「西洋ノ丸写シ」とした江藤新平にも論及。明治維新期を新視点から読み解く。
柳田国男の著した『北小浦民俗誌』は、北小浦を訪れることなく、構築されたものであった。特定地域名を冠した民俗誌であるが、日本各地の調査資料を基礎としていた。長期にわたる現地調査に基づき、地域に即した北小浦の民俗の全体像を明らかにし、『北小浦民俗誌』と対置させて検証。柳田の方法を超えて、新しい北小浦民俗誌を提示する。