今川了俊は本名貞世、室町幕府の重臣として九州探題となり、南北朝期に活躍した武将である。しかし了俊は同時に歌人であり、当時の文化を究明する上に、彼の存在は極めて大きい。著者は全国的に了俊関係の資料を博捜し、これを縦横に駆使して、初めて了俊の全体像を浮彫にした。動乱期の政治と文学を鋭く追求した力篇である。
玄界灘の孤島沖の島は、古来より大陸と往来する人びとの神島として、また宗像大社の神域として信仰されてきた。この島は三次にわたる調査で古代祭祀の実態が明らかにされ、国際色豊かな豪華な遺物から誰言うとなく「海の正倉院」と呼ばれるにいたった。本書は、4〜10世紀の沖ノ島祭祀を軸として、古代の国家と祭祀、対外交渉、基層信仰等、各方面から学際的に究明する。
日本最初の武家法、御成敗武目の制定者として、また鎌倉時代における稀代の名執権として古来その誉れが高い。北条氏歴代の中で、なぜに泰時ひとりがかくも異数な称讃をかち得たのか。広く関係史料を渉猟し、承久の乱の動揺と武家政権の確立をはかるその時代を背景に、人間泰時の誠実と苦悩の生涯を描き、事績を浮彫りにした好著。
北九州地方の雄族、大友氏は宗麟の時代には領国が6カ国に及ぶ有力な戦国大名であり、有馬・大村氏とともに、わが国最初の遣欧使節をローマ法王に派遣したキリシタン大名としても著名である。本書は、その領国支配体制、キリスト教保護、対外貿易などを解明するとともに、島津氏に攻略されて衰微した、宗麟波瀾の生涯を豊富な史料を駆使して描く。
将軍義輝および主家細川氏を実力を以って抑え、巧みにこれを操りつつ畿内を制圧して天下の権を専らにしたが、晩年家臣松永久秀に実権を奪われて顛落す。まさに戦国末期の象徴的武将ながら、その身には教養を備え、風流を解し連歌をよくし、また禅に傾倒しキリシタンを保護する等、多彩な面をもつ生涯を激動の時勢と共にリアルに描いた伝記。
この本は、人間のまったく新しい機能「中心感覚」を解明する本である。といっても、その機能自体は人間というものが“設計”されたときに、すでに組み込まれていたものだ。そして人間は、この機能があったからこそ、今日まで生存を続けてきたのである。しかし、この機能は今まで十分に知られることがなかった。人間はよく知らないままに、この機能を部分的にのみ使ってきたのである。この機能の名を「中心感覚」という。人間は、この中心感覚を具体的に知ることによって、大きな変換をとげることができる。それは、それまで人生の重荷であったものから、いとも簡単に人々を解放してしまう。
武士勃興期における時代のシンボルともいえる“八幡太郎”源義家は、同時代の人々からも「天下第一武勇の士」と称讃されていた。鎌倉時代以後の武士世界において、彼は典型的な武将として偶像化され、伝説を生み神格化されていった。しかし現実の義家の姿はどのようなものであったろうか。本書はその歴史的生涯を実証的に追求した興味深い好著である。
熊野比丘尼の存在や和泉式部の伝承に関心をもつ人は多い。しかし研究成果はそれほど多くはない。文献史料からだけではなかなかその姿がつかめないからである。筆者は祭礼の研究に手を染めたことがあるが、日本の祭礼の中には、中枢の部分でかたくなに女性の参加を拒んできた例が多い。近年の民俗学的な巫女研究はこれらに解答を与えつつある。これを、熊野比丘尼や和泉式部に適用してみたらどうであろうか。
手早く楽しく大江戸文化をつかむ道は、山東京伝にふれることであろう。京伝は文学・芸術・演劇・遊里・音楽に通じた文豪であり、上品な商人でもあった。著者は永年にわたって京伝の資料を探り、それらを新しく平易に、ユーモラスにまとめられた。新説・新資料のあれこれが至るところに溢れて、面白く読まれる好伝記。
皇位継承を契機に天武天皇と大友皇子の争いが日本古代きっての大内乱に発展。律令国家形成途上におこったこの乱の真の原因はなにか。額田王をめぐる三角関係説は?弘文天皇追諡の事情・歴史教育との関係・乱の物語や伝説など、興味深いテーマを加え、江戸時代から戦後に至る諸学説を整理し、初めて研究史上に位置づけた。
若年より四国・中国の戦陣に活躍し、壮年義詮の遺托により幼将義満を輔佐し室町幕府の基礎を固む。一旦政争に敗れ四国に退去したが、分国経営に専念して一族繁栄の基盤を築き、のち再び幕府に迎えられて管領に復帰。幕政を主導し南北朝内乱の終熄に尽した誠実な大政治家・第一級武将を克明に描き、その豊かな教養等をも併せ説いた好著。
信州の辺地に生れながらも、発明に凝って寺に入れられたが故あって還俗、さらに情熱をふるってついに綿糸紡績機(ガラ紡機)を発明し、明治初期綿業発展の基礎を造った異色の人。考案に明けくれ、貧窮と闘った発明生活の背景を、日本資本主義発展の動きの中に初めて明らかにした本書は、地方史家としての著者が現地に足を運び丹念にまとめた実録である。
日記・記録は古文書と共に、日本史学の研究にとり極めて重要である。本書は難解な日記について、その特質や研究上の問題点などを平易に解説、古代から近世に及ぶ日記の概要を簡潔に説く。また、各時代の記録の箇条を例に引いて読下し文を掲げ、特殊な用語等には注解を付した。古記録学を提唱した著者にして初めて可能な好著。
ゆかいなくだものたちがすんでいる、くだものむら。はりきりやの、みかんのおはなしをよんで、みんなげんき。
徳富蘇峰が創刊した国民新聞は、「独立」の理念を掲げ、新鮮な紙面と華々しい言論活動により、瞬くうちに大きく発展した。しかし政治の磁力と営業競争の磁力に抗し「独立」を保持するのは容易でなかった。実にその歴史は、言論の独立と政治、言論の独立と経営という難問との葛藤の歴史であった。その軌跡を辿ることにより、日本ジャーナリズムの一断面を明らかにする。
本書は通親の生涯の足跡をたどり、できるだけ正確な全体像を描く。また改元定、院殿上定など儀式制度の内容にも具体的に触れ、当時の宮廷生活を垣間見させる。
日本天台宗の開祖である最澄は、子供の時に、はたして「小学」という村の学校に入学して勉強したのか。最澄の有名な言葉である「一隅を照らす」は、本当にそのまま最澄が述べたものなのか。そうした問題に新しい光を照射して、「小学」「照千一隅」の真相に肉薄する。あわせて最澄の門流、円仁や円珍の生きた姿を、わかりやすく説きあかす興味深い書。