清貧にして苦学力行、弁護士となり、自由民権運動のため投獄2回、やがて衆議院議長となる。その剛腹のゆえに政敵を作り、海外に渡ったが、ついで政友会の創立に参画し逓相となり、領袖として活躍中惜しくも凶刃に斃れた、怒涛、波瀾のその生涯。本書は、この「英傑」の伝の誤りを正し、多くの挿話を交えつつ平易に叙述した。
本書は、江戸時代中期より幕末維新期に至る間の浅草寺寺中の年次別日並記録の集大成である。本巻には、このうち文化3年(1806)より文化6年(1809)までの4年間の浅草寺日記11冊を収めた。
本巻は、応永27年から文明18年までの関係史料を収めた。天満宮関係を含め本巻所収の太宰府関係史料は百点に満たないが、本巻は、「大宰府」の政治的意味の残存の度合をはかると共に、天満宮を含め「太宰府」の地域史的意味を、当代日本の政治・外交の推移の中で多角的に検討するための基幹史料集となろう。
南方は数多くの書信を残しているが、編者の叔父宮武省三とは特に親交があり、大正12年から昭和16年の歿年までに344通の書信を送っている。本編著は宮武宛の書信中より主として民俗学関係のものを選び、合わせて伝記や生活に関するものも収録した。本書に収録した書簡はほとんど未発表のもので、南方研究に不可欠の一書となるであろう。
西大寺の叡尊、極楽寺の忍性。その戒律再興は南都仏教興隆の最高潮というべきであり、またその慈善救済の超人的実践は日本の社会事業史上に不滅の光彩を放つものである。地味な鎌倉旧仏教に属する宗教家としての2高僧の面目と、かれらをめぐる民衆の切実な求道生活とを、根本史料によって鮮かに再現した最初の伝記である。
「遠州流」とか「遠州好み」とかいう言葉は茶道や花道においていまも著名であり、より以上に庭園史上不朽の名を残した小堀遠州であるが、その実伝となると意外に知られていない。著者は庭園研究の傍ら深く遠州に傾倒し、多くの史料を博捜すると共に、実地の探査を重ねて、公私両面にわたる遠州の生涯を描き出した。詳細なる正伝完成。
敬宇中村正直は明治啓蒙思想界において逸することのできない偉才であった。儒学についで蘭学を修め、英国に留学。維新のさい帰国、教鞭を執るかたわら、明六社創立に参画し、また『西国立志編』『自由之理』を訳述して新思想の普及に努め、さらに女子教育・幼児教育・盲唖教育に尽した功業は大きい。再評価すべき人物の正確な実伝。
昭和53年秋に発見された稲荷山古墳出土の金象嵌鉄剣銘文は、「世紀の大発見」といわれ、古代史学界のみならず諸方面に大きな衝撃をあたえた。それまで倭の五王時代の一齣としてあつかわれていた雄略朝が、この発見を機に古代専制王権の画期として、にわかに注目を集めることとなった。本書は、東アジア史の広い視野から、その具体相をダイナミックに描く。
本巻は、幕末の西洋文化の受容を前提に明治初年から明治中期までの思想と文化を主たる対象とする。文明開化の諸相と明六社の考察にはじまり、福沢諭吉や西周、陸羯南らの思想と行動をそれぞれの時代や人的関連の中で多面的に論究している。さらに著者の独壇場ともいうべき手法による博物館事業ことはじめと国立公文書館設立経過についての論考を含む。
古事記の所伝は総じて古く、日本書紀の記述は総じて新しいという従来の通念が、記・紀理解を誤らせ、ひいては古代史を誤らせるものであることを具体的な文献学的対比によって実証的に解明した。両書の成立論本質論に全く新たな視点からの展望を拓くものであり、記・紀の読者、研究者はもちろん、広く日本古代史の真実に関心を持つ人々に訴える。