江戸後期の女性思想家。江戸築地の生家は、父工藤平助の下に当代の蘭学者たちが集い、世界情勢を物語る特異な場であった。女の手本を志し、経世済民を問い続け、やがて社会を批判し女性の闘争を宣言した『独考』を著す。工藤家の“廃絶”や出版を託した曲亭馬琴との絶交など、遠く仙台の地で失意の内に終えた生涯を通じ、江戸時代の女性像に変革を迫る。
近代兵器が登場するまで、日本の武器の主流は刀だと誤信している人が多い。しかし中世の戦においては弓矢が主な武器で、鎧や兜はそれへの備えを第一に作られていた。豊富な実物調査をもとに源平合戦の具体像を読み解く。
山東半島の利権をめぐり第一次世界大戦に参戦した日本。ドイツとの開戦、英・中国との外交交渉の過程からその国家的意志を追究。シベリア出兵へ続くヨーロッパの政治状況の構造変化を、反戦思想家の足跡から検証する。
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赤穂事件から幕末まで一四〇年も続いた「赤穂四十六士は義士であるか否か」の賛否論争を素材とし、幕藩制の中核をなす主従関係の精神構造を解明する。幕藩制の研究に新たな光を投じ、赤穂事件を思想的に追究した注目の書。
弥生中期の南関東地方に、大規模な低地農耕集落が突如出現した。この地域で本格的な水稲農耕が開始したのはなぜか。関東地方の水稲農耕受容と東アジアの交易ネットワークの実態を探り、列島弥生社会の変化を解明する。
扶桑略記…神武天皇より堀河天皇寛治八年(一〇九四)までの編年史。阿闍梨皇円の撰。平安末期に成立。三十巻。現在は巻二より巻八まで(神功皇后ー聖武天皇天平八年)と巻二十(陽成天皇)以後との十六巻しか残っていない。このほか神武天皇より平城天皇までの記事を抄節した本が残っているので、これによって散逸部分の一部を知ることができる。内容は六国史以下日記・僧伝・縁起などを引用する一方、街談巷説・霊験譚・神仙譚なども載せている。引用書名を注記してあるので、今日伝わっていない書物を知ることができる。私的な編纂物ではあったが、中世にこの書物による記事が非常に多いことからみても、重宝な書物であることが知れよう。帝王編年記…神代より後伏見天皇(一三三六崩)までの編年史。僧永祐撰と伝えられる。二十七巻。帝王編年集成・歴代編年集成などの別名もある。六国史・公家の日記・吾妻鏡・平家物語など、諸書からの抄録を各天皇ごとにまとめ、天竺・震旦の主な史実を相当の年次にかかげ、公卿・僧職・武家など重要な職の補任の記事を載せている。鎌倉時代の部分は、京都側の史料として、簡単すぎる恨みはあるが貴重なものである。また皇子・皇女、斎王・斎院、後宮・女院、摂関大臣、将軍、執権・六波羅探題、御室・興福寺別当・東寺長者・天台座主などの次第補任記事は、古代中世の便覧必携として重宝である。
南北朝内乱という未曾有の事件を描いた『太平記』。繰り返される合戦、跳梁跋扈する妖怪、王権の証となる宝物の行方、秩序の回復を模索する仏教界。東アジア世界も視野に収め、変革の時代のダイナミズムに迫る。
『群書類従』をはじめ、数々の古典の編集・校刊にまれにみる偉業を成し遂げた塙保己一は、幼時失明した盲人学者であった。常人ですら容易に成し得られない驚嘆すべき大業績がいかにして盲人の身で達成されたのか。その国史・国文研究における恩恵は大きい。本書は俗説を正し基本的な史実に立脚して真正な保己一に迫る最も信頼し得る正伝。
日本の古代国家はどのように成立したのか。飛鳥の宮と藤原京の遺跡から国家支配の中枢を、大宰府・水城や古代山城から地方支配の様相を明らかにする。高松塚・キトラ古墳、寺院や石碑など文化的側面も併せて描く。
亀山天皇正元元年(一二五九)より後桃園天皇安永八年(一七七九)までの編年体の歴史。柳原紀光撰。十八世紀末の成立。八十一冊。父光綱が六国史のあとを受け国史を編纂しようとして果たせなかったので、その遺志を継いで編纂したもの。亀山天皇以前は百錬抄にゆずった形となっている。記事は簡単ではあるが、引用史料名を明らかにしている点でも貴重であり、鎌倉後期以降の歴史を知るのに便利である。内容は朝廷中心・京都中心のものであるが、個人の力で五百二十年の歴史を編纂した功業は讃えられる。
皇室・公家・政治家・軍人・実業家・思想家・社会運動家・学者・宗教家・文学者・文化人・芸能人など幕末から現代までの重要人物4500人を収録した人名辞典。詳細な解説はもとより墓所や著書も収載、充実した参考文献欄など調査研究に役立つ情報を満載。人名に限らず、事項・文献からも検索できる索引を付載。
有明海に面し、肥沃な佐賀平野を抱える『葉隠』の里。猫化け騒動や、「死ぬ事」を基本とした独自の士道論、長崎御番役を通じた海外接触など、国内政治と国際的視角から、維新期に雄藩として台頭したその役割を検証する。
地震・火山・台風などの自然災害と各地の紛争・戦乱とは密接な関係があった。中世の災害・戦乱に対する危機管理を通し、民衆史の視点からその実態に迫る。中世社会史の新たな側面を探り、現代の危機管理に課題を示す。
安政期幕政改革の最良の息子。機略縦横、横井小楠の「公共の政」理論にみちびかれ、幕府・諸藩の障壁を撒し、改革勢力の全国的連合に全精力をもやしつづける海舟。しかもついにその夢を実現できなかった彼はけだし不遇の政治家というべきだろう。このような視角から、幕末・維新期におけるもろもろの政治コースのなかで海舟の演じた役割を探る。