算博士三善為康が詩文、宣旨、官符、書札等を拾輯抄録し、之を文筆、朝儀、神祇官、太政官、別奏、廷尉、陰陽道、仏事、諸国雑事等に分類編次した、公家制度の研究に須要の文献。猪熊信男氏所蔵本、旧林崎文庫本を底本とし、種々の異本と対校して校訂を加えた。
天皇が経典を選び、日本全土に流布せしめた「国家仏教」。そこにはいかなる歴史的背景があったか。『仁王経』『金剛般若経』『金光明経』『最勝王経』を取り上げ、各経典の内容を分析・解説し、国家との関わりを解明。
関ヶ原の決戦を制した家康は、朝廷より将軍宣下を受け、征夷大将軍の座に就いた。多くの大名らを従えた参内は、天下人家康の権勢を強烈に印象づけた。江戸に幕府を開くが、三年ほどで将軍職を子の秀忠に譲り、徳川の世が代々続くことを示す。徳川・豊臣のいわゆる二重公儀体制は、徐々にその綻びを露呈し、ついに豊臣家を討つことを決意する。
「ポッパレ」が大きくなって登場!
「POP UP PARADE」の「Lサイズ」は、フィギュアファンに新しいシゲキをお送りするフィギュアシリーズです。
※掲載の写真はサンプル品を撮影しています。実際の商品とは一部仕様等異なる場合があります。
※商品の塗装は彩色工程が手作業になるため、商品個々に多少の差異があります。予めご了承ください。
※台座や支柱は試作品です。実際の商品とは異なる場合がございます。
※ほかの「POP UP PARADE 七つの大罪 憤怒の審判 シリーズ」は別売です。
付属品】
専用台座付属
(C)鈴木央・講談社/「七つの大罪 憤怒の審判」製作委員会・テレビ東京【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(高さ):23
車力から身を起して一代の近世的実業家となった瑞賢は、紀伊国屋文左衛門とも比肩され、その伝記はしばしば混淆される。瑞賢はすぐれた創意工夫により、わが国海運の革新的偉業を成し遂げたばかりでなく、淀川の治水工事や越後上田銀山の経営等に特異な手腕を発揮した。極めて少ない史料を厳選しつつ鮮かに構成した瑞賢伝。
歴史は、自然と文化・生活様式等々の重層する環境のなかに展開している。地理・気象・風土、地域社会と産業、暦と時刻・度量衡・音と光、住居と空間・食材と調理・服飾、さまざまな面から、日本の歴史の基盤を考える。
昔の日本人はどのように話していたのか。『万葉集』の漢字の使い分けやキリシタン資料などから話し言葉を再現し、古代から近代まで言葉が次第に変化する様子を解明。形に残ることのない「話し言葉」の歴史を考える。
攘夷運動の激化に横浜鎖港をめざした江戸幕府だったが、戦争挑発とみた欧米列強は、対日戦争の準備を開始。長州藩に始まった下関戦争は、国家間戦争に発展する危機に直面していた。欧米諸国側の史料から真相を描く。
山村は生産力の低い地域とされてきたが、江戸近郊の山間地域は、高い生産力を発揮した。「山」利用の実態、林業の生産を支える村構造を考察。自給的な焼畑農業から商品経済的な林業の成立・展開を中心に特徴を解明する。
清和天皇の子孫とされる徳川家康。天文十一年、三河国岡崎に生まれ、六歳で今川義元の人質となるが、桶狭間の戦いに乗じて独立。織田信長の盟友として三河・遠江国に版図を拡げる。姉川の戦い、武田氏との戦い、本能寺の変を経て大大名へとのし上がり、豊臣秀吉と対峙。秀吉の死後、豊臣の遺臣と対立、やがて関ヶ原の戦いを迎えることになる。