本書は著者のインド・ネパール仏蹟の巡礼記録である。しかし、単なる旅行記ではない。著者は曹洞宗学、特に道元、瑩山両禅師の思想と生涯に詳しい宗学者である。両禅師とも正伝の仏法はインドの釈尊から脈々と受け継がれていることを疑っていないし、今日の学問研究から言ってもそれは正しい。著者は宗学からさかのぼってついに釈尊に至り、釈尊を思慕し、「求道の旅」としてインド仏蹟巡拝に出かけられた。四大仏蹟を中心として旅しながら、博士は執拗なまでに釈尊にかかわる土地、事蹟、年代、遺品、遺跡、歴史、伝承等を調べ、そして両禅師の語録から釈尊の生涯、事蹟、仏蹟に関するすべての記述をあらためて検討される(博士自らの現代語訳が付されている)。その結果、博士は道元禅師の目指した「仏祖正伝の法」は釈尊につながっていることを自らに確認される。本書は、そうした事をふまえた記録である。
インドの寂れた本屋で発掘した一冊の「自家本」、そこには瞠目すべき日本人論が展開されていた。深い教養と鋭い観察によって書かれた出色の日本人論。講談社ノンフィクション賞受賞の山田和氏の手により堂々の翻訳化。
犬頭の聖人クリストフォロス、アウトカーストの犬喰い族、辺境の蛮族…西欧・インド・中国の神話や旅行記・史書には、怪物種族の一たる犬人=ドッグマンが数多く登場する。この異形のものたちは、どこから生まれたのか?三大文化圏のはざまにあった中央アジア民族は、それぞれの文化圏が抱く「異なるものへの畏れ」によって怪物として語り継がれた。異なる文化圏との出会いはまた、自己と他者の相互認知から起こる融合、差別、排除の観念を生む。そのシンボルとしてのドッグマンを論じた書。
巨大開発・近代化を問う。インドの開発、とくにナルマダ・プロジェクトと「緑の革命」を検討し、インド先住民族の知を持続可能な開発に生かそうとする試みを探る。
インドという「国民国家」が21世紀にどのように変容していくのか?-人口10億人、有権者数が6億人を超える「世界最大の民主主義」インド政治の全体像を浮き彫りにする。
17世紀初頭から250余年インドの統治・貿易を担った会社の秘訣。本国との関係、オランダとの戦いと併せ、会社組織(総督・官僚の選抜・軍)と運営を、豊富な資料で描く。
インドで壮大な哲学と宇宙観をつくりあげた密教は、シルクロードや仏教南伝の道を通って中国へ渡る。そして、弘法大師・空海により、日本にもたらされ、日本人の精神の地下水になった。密教学会の最高権威が、その密教の宇宙を語る
本書は、インド独立の父と呼ばれるマハートマー・ガンディーが提唱したサルボーダヤ運動から生まれた、ビハール州のボードガヤーにある農村開発と教育を手がけるインドのNGO「サマンバヤ・アーシュラム」が提供するサービス、特に教育が、かつて「不可触民」と呼ばれていたカーストの子どもたちの半生に、どのようなインパクトをもたらしたかを追求したものである。
杉山龍丸の長男の満丸さんが、父のインドでの緑化事業の軌跡を訪ねたドキュメント。福岡の郊外に四万坪の杉山農園を明治の時代にアジアの農業開発の実験場としてつくりあげた曽祖父・茂丸、その志を文学の領域で開花させようとした祖父・泰道(夢野久作)、そして、戦後、杉山農園をなげうってインドの荒廃した地に緑の木を植えつづけた父・龍丸。これは、その杉山三代にわたる壮大な夢の叙事詩である。
二〇年という長期にわたり引き続いて農民組合に関わってきた著者による、自伝的著作『私の闘いの生涯』と並ぶ、インド、とくにビハール州の農民運動の貴重な回顧。
マハーバーラタは、全十八巻、十万詩節、二十万行を超える世界最大の叙事詩である。マハーバーラタ自ら“ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い”と豪語している。本書を日本で初めて訳した著者が、そのユニークで含蓄に富んだ挿話から厳選した“インドの一夜の夢物語”。
NGO活動の中でつきあたる「誰のための開発援助か」という難問。あくまで一人ひとりのNGO実践者という立場に立ち、具体的な体験のなかで深く柔らかく考える、ありそうでなかった「NGO実践入門」。
「外道哲学」とは仏教以外のインドの哲学であり、本書は漢訳経典によるインド哲学研究の唯一の成果である。現代表記に改め、漢訳経典には新たに訓読文を添付。文献目録、索引も充実。
アイヌ文様刺繍家が語る民族の琴線にふれる抒情詩。