ユーザーフォームや標準で用意されている15個のActiveXコントロールすべてと、文字列操作関数、日付/時刻操作関数、Excel2002に新規追加された関数、その他の重要なVBA関数などを中心に解説。
自由へのたたかいに捧げられた生、超領域の人間学。教育、階層、文学、言語、哲学、科学哲学、美術、写真、法学、政治、人類学、経済、歴史、思想史、メディア、ジェンダー…人文・社会諸科学のあらゆるジャンルを横断した“超領域の人間学”の魅力の全てを俯瞰。
親方・角栄さんは雑種だった!この世は弱肉強食、優勝劣敗、適者生存という修羅の巷。生き残りのために必要なのは、環境の善し悪しに左右されない強靭な雑種の生命力だーアスファルトジャングルを逞しく生きる早坂家の愛猫4匹を主人公に、世の森羅万象を取り上げ、痛快に斬っていく。しなやかに、したたかに生き抜く雑種の知恵がちりばめられた「猫の玉手箱」。
アリスは、淫らな秘密の書に耽溺した罪により、継母から「純潔教育」と称する容赦なき折檻を受けつづけた。そして、異常性癖の貴族との強制的な結婚は、さらなる地獄「貞操教育」へと彼女を突き落とす…。幻の傑作ポルノグラフィーを、ここに発掘紹介する。
航空戦史上最高の撃墜戦果をあげたエースは、1941年から45年まで東部戦線で死闘を演じた、ドイツ戦闘機隊のパイロットたちから生まれた。エーリヒ・ハルトマン(352機撃墜)、ゲーアハルト・バルクホルン(301機撃墜)、そしてギュンター・ラル(275機撃墜)は、膨大な撃墜戦果のほとんどをソ連空軍から記録し、さらに6名が200機を越える戦果をロシア戦線で得た。彼らの乗機であったBf109戦闘機は「バルバロッサ」作戦開始からドイツ第三帝国崩壊まで戦い続け、第51戦闘航空団、第52戦闘航空団、そして第54戦闘航空団など、東部戦線に展開した主要な部隊はすべて、「エーミール」から「グスタフ」までの各型を使用している。本シリーズのメッサーシュミットBf109四部作、最後を飾る本書では、独ソ開戦からドイツ敗戦の日まで、ソ連空軍機と戦った多数機撃墜者ーエクスペルテンが、苛烈にして特殊な戦場、東部戦線でいかにして驚異的戦果を得たかを述べている。
アナール学派の誕生とともに始まった「新しい歴史学」は、『記憶の場』の刊行によって第一幕を閉じた。規範的で一元的な歴史叙述への懐疑からピエール・ノラは、現代フランスを代表する120名の歴史家とともに10年の歳月をかけて、「記憶と歴史」の関係を根本的に見直すという、壮大な試みに取り組んだのである。記憶としての「出来事」は、いかにして歴史的「表象」に転位されるのか。記憶と歴史の交錯と乖離を闡明せんとするこの挑戦は、歴史学の新しい時代を告げるものとなった。日本語版は、この画期的なシリーズの方法と射程はそのままに、全3巻にまとめあげたものである。第1巻には、「フランク人とガリア人」「カトリックと反教権=世俗派」「プロテスタント」「アルザス」など、フランスの主要な政治・宗教・地理的対立に関する論考を収録した。
非暴力や菜食主義で知られるインドの「聖人」。ガンジーとは、いったい、何者だったのか?本書は、彼の生涯の足取りをたどったうえで、その思想についてテーマ別に解説してゆく。スキャンダラスな言動をも明らかにしつつ、ガンジーを世界史上における重要な政治家として読み解いた、画期的な評伝。
「あなたの営業は、迷惑だ」自分を振り返りたくなったときの超対話術。
謎の少女キトマとの旅を終えたアラスカ・シェーデレーアは地球に帰還した。だが、待ちうけていたリバルド・コレッロに捕まり、ヒュプノの奴隷と化してしまった。しかも、コレッロ自身も未知存在に支配されていた。やがて、ふたりの行方を追うローダンのもとに、ヒュプノの影響を受けた人々が発見されたとの報が届く。ローダンは、その原因がコレッロにあると判断、ただちにミュータント部隊を率いて現場に急行したが…。
本書は、製造業、サービス業、公共部門における国際的なケーススタディを提供している。優れた組織が、自分たちのビジネスプロセスをARISを使ってどのように管理しているかを、その組織自身が語っている。本書は、ビジネスプロセス・エクセレンス(卓越したビジネスプロセス)をどのように実際に達成するのかを示している。
女として女を愛したビリティスの物語。遊び女として、詩人として、古代ギリシャに生きたと、ピエール・ルイスのいう“ビリティス”は、幻だったのか、実在したのか。-21世紀を生きる四人の女たちが全訳に挑戦した。ときにみずみずしく、ときに狂おしく、ときにはかない、女の一生。
最善を尽くすこと。向上すること。「人生の意味」を学び続ける13歳ー彼女の心の叫びが、極貧の村に奇跡を起こした。
国家か、市民か、民衆か。「流産した二月革命」に投げ込まれたプルードンが獄中から語る、ブルジョワジーへの激越な批判と、己が迷妄への痛切な懺悔。破綻しつつある中央集権思想を彼方より撃つ。