本書は、ピエール=ジョセフ・ルドゥーテ画の『ユリ科植物図譜』(Les Liliac´ees,1802〜1815年、vol.1〜8)の全486図を2巻に分けて収録した。第1巻は、ラン科、クズウコン科、カンナ科、ショウガ科、バショウ科、アヤメ科、ヒガンバナ科、ヘモラド科の全243点を収録した。
本書は、新製品開発・設計支援コンピュータ・ツールであるCAE技術を実務的観点からまとめたものである。また、CAEを構成する個別技術についても基礎的事項の要約と体系化を計り、初心者でも基礎的事項から全体までを十分理解し得るように配慮してある。
愛、情熱、そして幻滅。感性のおもむくままに生き、孤独と寂寥とを誰にもまして鋭敏に表現しつづけた〈愛の詩人〉の生涯を、ドラマティックに、またユーモアに描きあげる伝記大作。絶賛を博した『アルチュール・ランボー』の姉妹篇をなす〈詩人の物語〉。
構造主義と現象学を超えて、人間の慣習的行動=実践を解明する壮大な理論的構図。社会諸科学の根本課題に挑戦するブルデュ社会学の画期的業績、待望の邦訳。
11ヵ月にわたる逃亡生活はみじめにも終りを告げ、パピヨンはふたたび仏領ギアナの徒刑場に送られた。脱走罪による2年の重禁錮刑。孤島に設けられた、牢獄のなかのもう一つの牢獄、〈人食い牢〉と呼ばれ恐れられている苛酷な独房。パピヨンは耐え、2年後出所する。脱走への意欲はいささかも衰えていない。だが4ヵ月かかって準備した次の脱走計画は未遂に終り、またもや重禁錮監獄に…。
パピヨン、35歳。度重なる挫折の後、かつてのドレフュスの流刑地、悪魔島に送られた彼は、9回目の脱走を試みる。ココ椰子の実をつめた袋に身を托して、海にとびこむのだ。7つ目ごとに押し寄せる大波が引いていくとき、この袋を沖合はるかまで運んでくれる。あとは潮と風まかせ。数日間の漂流で、大陸沿岸のどこかにたどりつけるだろう。一か八かの賭けに見えたが、彼には成算があった。
「被告を無期懲役の刑に処する」-無実の殺人罪を問われた25歳のやくざパピヨンは、このとき脱獄を心に誓った。脱獄して、自分を罪に落とし入れたやつらに復讐するのだ…。仏領ギアナの流刑地に送られたパピヨンは、寝ても覚めても脱走を考えた。その機会は意外に早くおとずれた。流刑地に来て37日目に、彼は仲間2人とともに、小さなカヌーで、自由を求めて海にのりだした…。
誰だって、同じ働くなら楽しくやりたい。誰だって、仕事が面白ければ業績は伸びる。若い部下をのせ、元気な職場づくりができないでリーダーといえるか!自己変革をめざすリーダーと、提案するヤングに、「面白く仕事をするあらゆる方法」教えます。
絹の道は、商品の流通する経路であったのみならず、また思想や技術や諸宗教の伝播経路であった。それは東西を結ぶ絆の象徴である。中国からイタリアに至るまで魅惑的な旅を通じて、ここに我々は、文物の複雑な交流と多様な文化や風景を発見する。
ダンテがヴィリギリウスに導かれ、地獄の最下層から一歩一歩旅をし、やがて煉獄、天国へと昇ってゆく物語。旅の過程で目にした様々な光景、そしてダンテ自身の精神の変容がリアルに描かれた世界文学屈指の古典!ドレの挿画133点収録。
フランスの海軍将校で、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した作家、ピエール・ロチの名は、旅行記『秋の日本』、小説『お菊さん』等の著作によって、日本読者にも割合よく知られているが、彼が1900年中国に勃発した北清事変、いわゆる義和団事件に際して、フランス極東派遣艦隊の一員として遠征し、その折りの見聞を『北京最後の日』と題して、その直後1902年に発表したことを知る人は少ないかもしれない。
フランス革命期の都市造形を、背後から支えたのは、フリーメーソンの建築思想だった。フリーメーソン、18世紀後半のパリを舞台に、秘教的な造形を試みた建築家たちの群像。フリーメーソンの建築思想。