ねみちゃんのしゃしんをとることにしたねずみくん。すると「ぼくもとってよ」とどうぶつのなかまたちがやってきて…?
「スマホだけで!?」初心者でも作りたい動画がかんたんに撮影・編集できる!
1941年12月日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した3か月後、アメリカ合衆国のフランクリン・D・ローズヴェルト大統領は、アメリカ西海岸に住むすべての日本人と日系アメリカ人を強制収容所に送りこむことを決定しました。日系人たちは、どんな職業についている人でも、家や持ち物をすべて置いていくように命じられ、「敵性外国人」として、強制収容所で暮らさなければならなくなりました。不安な日々を、人々はどのように耐えたのでしょうか?3人の写真家が、カリフォルニア州の砂漠に立つマンザナー強制収容所での日系人たちの生活を写真におさめました。小学校高学年〜。
ろうの両親と、ふたりの聞こえる子どもたち。異なる身体をもつ一家の愛しい記録。
赤道直下のスラバヤからラバウルまで、つねに零戦と共に戦い、幾多の大空の死闘と、若きエースたちの奮戦を目撃し、カメラにとらえてきたひとりの“猛烈なるニュースカメラマン”が、万感胸に秘めて綴る零戦撃墜王物語ー激烈非情、スリルとサスペンスに満ちた空戦模様を描いて感動を伝える異色の零戦隊秘話。
えたいの知れぬ青年が自動車教習所の受付を訪ねる。いつも眠たげな女がその応対をする。書類も整わないうちに、男は恋に落ちる。二人連れ立って旅に出る。男は帰りの船中でカメラを拾う。フィルムを撮り切ってしまわねば…。闇雲に人のカメラでシャッターを切る。現像に出してみれば、その部分は無い。しかしそれが真に撮りたかった世界。
芸術から「いまーここ」という一回性の「アウラ」が消滅する複製技術の時代にあって、写真はどのような可能性をはらみ、どのような使命を課せられなければならなかったのか?写真史を考えるとき、だれもが必ず引用する基本文献ーヴァルター・ベンヤミンの「写真小史」。初期写真から1930年代の作品までを通観したこの傑作エッセイに、そこで言及されているブロースフェルト、アジェ、ザンダーらの写真多数と、関連論文を加えて再編集。20世紀最高の批評家による写真論が目で見てわかる実証的な一冊。
星野道夫の死…。自然が内包するリズムはいつも人間を悲しくさせる。まず私たちが失ったものを考えた。森の危険、星の意味、潮の流れ、風の匂い、血の味、夜の闇。星野道夫の仕事を考える。彼の写真を見て、文章を読む。狩猟民の姿勢そのままの彼からわけてもらう。私たちはまだ彼の死を理解していない。
20世紀の日本を代表する写真家であり、「植田調」と評された独自の作風で世界中から愛された植田正治が残した唯一の著作。
キヤノンカメラの第1号機「カンノン」は1934年、前身の「精機光学研究所」で誕生。当時、カメラメーカーとしては後発だったものの、幾多の工夫と新しい技術を重ねることで、世界的な名機を次々と輩出。ここでは、最初期のレンジファインダーカメラから’90年代に生産を完了したTシリーズまで、キヤノン“往年の”マニュアルカメラの系譜を回顧する。
日本の写真文化の中心的存在として時代を駆け抜けた二人の写真家。スタイルも、テーマも好対照に見える二人が追い求めた写真とは、一体なんだったのか。周囲の人々の証言を交えつつ両者の経歴を辿り、巨匠たちの魅力を再発見する。
銀行、コンビニ、エレベータ、駅、道路…。街はカメラであふれている。国家レベルで構成されている監視システムの全貌を解説!そのなかで個人はどう対処すべきか。
1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦に従軍したキャパは一番乗りを果たし、戦争写真家の声望をさらに高める。やがて戦争が終り、彼は“失業状態”になるが、女優イングリッド・バーグマンとの恋におちる…。20世紀前半の歴史は戦争の歴史でもあるが、その歴史をレンズで切り取った冒険家はインドシナの戦場で最期を迎える。
大事に使えば、ちゃんと壊れる。日常品から文化財まで、モノの再生にかかわるスペシャリストたち。
ほしのあき決意の写真集。オトナのH、あげる…。