戦場と化したローデシア、南アフリカ、エルサルバドル、レバノン、アフガニスタン、イラン、フィリピンの紛争現場に、カメラを武器にたった1人で立ち向かった1人のフリーカメラマンの、真の自由・独立・平和の意味を写真と文で問いかける戦場レポートと、その実体験を通じて到達する“あるべきジャーナリストとしての姿勢”への誓い。
デリダの写真論『視線の権利』(1985年ミニュイ刊)は、多くの、とりわけ最近の彼の著者がそうであるように、まず翻訳の問題として呈示されている。それは、翻訳ということの可能性、あるいは不可能性と戯れているようである。語の真の意味でのゲームが、翻訳という場、この本の用語を借りれば、チェッカーボードの盤上で、展開され、賭けられ、演じられる、そのなふうに、デリダは彼のフレーズ、構文、対話を編成してゆく。
弾雨のなかで輝いたキャパは戦雲おさまって模索の日々に入る。スタインベック、バーグマンとの邂逅、そして運命的な死に至る“光と影”。
情報の整理・活用法こそ現代ビジネスマン最大の課題だ。そこで情報整理の達人が披露するとっておきの情報活用法。百の論より一つの技術、一つのモノ、の発想で、一万円の経費で500項目の情報が有機的に動き出す「山根式袋ファイル・システム」をはじめ、すぐに使える方式を満載。単行本刊行以後の新情報を大幅に加えた増補改訂版。
日本へきたカメラちゃん!さやかといっしょに、おばけやしきをたんけんにいきました。「ギャオーウ」ガタン、バタンぶきみなもの音がして…!!
19世紀前半から20世紀初頭まで、詩人、作家、諷刺画家、密偵、気球乗り、発明家、写真家として活躍、第二帝政期のパリに狂騒の種を蒔き散らした天才奇人フェリックス・ナダール。1858年世界で初めて気球による都市景観の写真撮影に成功、人工照明による地下撮影に初めて挑戦するなどの数々の彼の功績は、未だわが国ではほとんど知られていない。本書は、肖像写真を芸術写真にまで高め上げたと賞賛されるナダールの業績を〈空〉〈人〉〈死〉〈闇〉のテーマに分類し、主著『私が写真家だったころ』より本邦初訳のエッセー4編、代表的な写真約70点を収め、ナダール小伝を付すことにより、わが国における本格的なナダール研究の端緒を拓いた。
光学機器メーカの巨人が歩んだ栄光と苦難の道を、現地ルポをまじえて活写。人知の限りをつくした光学設計とガラス素材開発をめぐる、かずかずの秘話。半世紀にわたる東西分断の悲劇を乗り越え、今また統合にゆれる新生ツァイスの行方は-。
いったいどうしたんだーこれがたった一発の爆弾によるものなのか。原爆投下から2カ月後の広島と長崎を、爆弾の威力に圧倒されながら、必死にフィルムに記録しつづけた。米兵に銃剣をつきつけられ、校庭に残った子供たちの遺骨に体をふるわせて撮った多くの写真は、いまなお強い衝撃を与える。
誇り高く生きる“インディアン”、明日に賭ける開拓者、一攫千金を狙うならず者。彼らの息吹を高度なテクニックとユーモアで写し撮った日本人写真家「松浦栄」。自らも閃光のようにきらめき散っていった男の、夢と情熱に満ちた爽やかな生きざまを活写する痛快ノンフィクションの快作。
ミュージシャンの写真は踊りながら撮る。アフリカでは、撮影のお礼は踊って返すー。身ひとつで世界をめぐるカメラマンの旅は、いつも新しい発見に満ちている。自らの生いたちと写真術。和太鼓グループとの西アフリカの旅。野生のチンパンジーの撮影に成功した東アフリカ紀行。マラリア体験。そして、ブラジルと中国で考えたこと。〈熱帯写真家〉とも呼ばれる著者の、臨場感あふれる旅のドキュメント。
シャッターが押された瞬間から、印画紙の表層には不在の感情がたちこめる。失われ続ける〈現在〉を表象する写真-。その〈現在〉の意味を求める眼差しの、亡霊探しにも似た営為から、錯綜する現代の感受性をさぐる。
地球上の人びとがともに生きていくとは-。世界各国を飛びまわるフォト・ジャーナリストが訴える日本人としていま向き合わねばならないこと。