物語史・和歌史・漢詩文や仏典、歴史や文化史、またそれに関わる他の作家など、“紫式部”の作品テクストに関わる成立と享受の表現史を総括し、『源氏物語』をはじめ『紫式部日記』『紫式部集』を含めたテクスト引用関連を中心に“紫式部”の文芸を再検討する。
第二次世界大戦前、中英の協力により一大展覧会が開かれた。様々な出版や外交を伴い東西文化交流の転換点となったイベントを軸に、日本の影響深いウェイリーらの研究から、在英中国知識人の活動、パール・バックの後押しした林語堂の傑作まで、中国芸術とは何かを問いかける力作。
本書は、明治・大正期の京都で制作・流通・鑑賞された絵画、工芸、建築、庭園さらには定期刊行物や書物など広範なジャンルをとりあげて論じることにより、近代京都の美術工芸をめぐる状況の解明を試みる。また、化学者や技術者、パトロンや学者たちなど、美術史の文脈にはこれまでほとんど登場しなかった人びとが、美術工芸家をめぐるネットワークとして浮かび上がる。いまだ途上にある、近代京都の美術工芸研究を更新し、その作品や資料の評価、位置づけを問い直す論集。
テレビ東京ドラマ「私と夫と夫の彼氏」のオープニングテーマ『ヤマアラシのジレンマ』が遂にCD化。
ドラマのParavi先行配信に合わせて、4月にドラマオープニングver.の音源を先行配信されていたが、
5月31日より地上波でドラマが放送開始となり、TikTokでも楽曲が話題となりはじめる。
6月17日に開催された5th LIVE TOURのファイナル公演ではアンコールでサプライズ生歌唱され、会場が感動に包まれた。
学芸大青春初のドラマタイアップとなった今楽曲を通して、
歌番組のテレビ東京「超音波」含めて複数の地上波テレビ番組にも出演が決定。
ラジオでは全国3局での6月度パワープレイも決まり、今年の夏から秋にかけては多数のイベントに出演することも決定。
現在、アニメVer.のMusicVideoが公開となっているが、CD発売前には実写版の新たなMusicVideoも公開となります。
完全生産限定盤Aは3月より開催されていた5th LIVE TOUR 'ダンス! ダンス!! ダンス!!!' の
ツアーファイナルとなるZepp DiverCity(TOKYO)での公演の模様を本編ノーカットで収録したBlu-ray付き!
コロナ禍以降でライブ活動を本格化させた学芸大青春にとって、
初体験となった今回の「観客の声出し解禁」ライブツアーのファイナルであり、学芸大青春の真骨頂ともいえる
「メタバースと現実世界を行き来する」圧巻の演出も見どころの、メモリアルな公演の模様がBlu-ray化。
ファンのマストアイテムともいえる、商品となっています。
またカップリングには、仲川蓮作詞作曲の新曲「アイコトバ」を収録。
完全生産限定盤Bは3月より開催されていた5th LIVE TOUR 'ダンス! ダンス!! ダンス!!!' の裏側をリハーサルも含めて、約半年間追い続けたミニ写真集が収録。
ライブ直前の貴重なオフショットや、リハーサル中の真剣な表情など、これまで見せることの無かった、学芸大青春の真の裏側を写真集としてコンパイル。
5th LIVE TOURの思い出をさらに華やかにする、ファンのマストアイテムとなっています。
また、学芸大青春のCD恒例となった「シリアルコード」が今回も全形態に封入されます。
<プロフィール>
青春と書いて ?じゅねす’と読みます!
メタバースと現実世界を行き来しながら活動する、男性5人組 ダンスボーカルグループ「学芸大青春(ガクゲイダイジュネス)」!
東京にある学芸大学駅付近の寮で5人で共同生活を営みながら、日本中に「青春」を届けます!
2019年9月から活動をスタート。2022年秋のグランキューブ大阪&LINE CUBE SHIBUYAにて3周年記念ライブを開催し、素顔を公開。
2023年2月に3rd Mini Album「Piano Dance」リリース。
3月からは5th LIVE TOURで全国9都市11公演を開催。
テレビ東京ドラマ「私と夫と夫の彼氏」のオープニングテーマ『ヤマアラシのジレンマ』が2023年6月に配信。TikTokでも話題に。
ヤーコフ・フリエールの芸術(15CD)
協奏曲から小品まで多彩な収録内容
ヒストリカル物に強いイギリスのスクリベンダム・レーベルから、ソ連のユダヤ人ピアニスト、ヤーコフ・フリエールのボックスが登場。実力のわりに知名度がイマイチなのは数々の不運のせいということが良くわかる魅力的な演奏が揃っています。
フリエールと仲間たち
フリエールは同世代のギレリスやザークと親しく、一緒に演奏したり、美術館に行ったりと公私両面で交流がありました。中でも驚かされるのは、1938年にフリエールとギレリスの2人が、天才少女ピアニスト、ローザ・タマルキナに揃って求婚し、タマルキナはイザイ国際コンクールで勝った方と結婚すると約束したことでした。当時ギレリスはネイガウス教授の圧力に晒されており、見かねたゴリデンヴェイゼル教授、イグムノフ教授、そしてフェインベルク教授(審査員)がギレリスを何かと支援したこともあってか、ギレリス1位、フリエール3位となって1940年にタマルキナとギレリスは結婚しています。下の画像は1940年5月1日に撮影されたもので、左からボリス・ゴリトシテイン[1922-1987]、フリエール[1912-1977]、タマルキナ[1920-1950]、エリザヴェータ・ギレリス[1919-2008]、ヤーコフ・ザーク[1913-1976]、エミール・ギレリス[1916-1985]。
ソ連屈指のヴィルトゥオーゾ
フリエールはモスクワ音楽院の卒業演奏で、師イグムノフの反対を押し切ってラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を選んで大成功を収め、以後、そのラフマニノフやリストなど名技的な作品のソ連最高のスペシャリストとして爆発的な人気を得て、「フリエリスト」と呼ばれる多くの熱心なファンの支持を得ることになります。
右手指の故障で教育の道へ
しかしキャリア絶頂期の1945年の年末、33歳のときに右手の故障に見舞われ、有効な手術や治療法を探して西側まで行ったものの見つからなかったため、教育に力を入れるようになります。ジョーク好きで明るく優しい人柄は教育に向いていたようで、さらにモスクワ音楽院始まって以来のヴィルトゥオーゾ教授ということで人気を博し、ベラ・ダヴィドヴィチ、ヴィクトル・エレスコ、ヴァレリー・カムイショフ、ヴィクトリア・ポストニコワ、マルク・ゼリツェル、ヴラジーミル・フェルツマン、ミハイル・ルディ、ミハイル・フェールマン、ミハイル・プレトニョフなど多くの名ピアニストを世に送り出しています。
1959年に完全復帰
10年以上に渡り、アメリカ、イギリス、フランス、日本といった世界の医学界に何度も助けを求めたフリエールでしたが、ようやくレニングラードの医師が応じてくれることになり、困難な手術を成功させています。以後、何か月にもわたるテクニック復元のための練習をおこない、1959年10月21日、47歳の誕生日にようやく復帰を果たし、以後は西側にも演奏旅行に出かけるようになります。しかし、教育実績の蓄積と共に情熱も強くなってしまったこともあってか、その公演回数は限られており、結局、西側では実力に見合った名声を得ることはできませんでした。
ミスター・モスクワ音楽院
フリエールとモスクワ音楽院の関係は、11歳になる1923年に始まっています。同年にモスクワ音楽院付属高等音楽学校に入学したフリエールは、モスクワ音楽院のG.P.プロコフィエフ教授に1年間、コズロフスキー教授に5年間師事して、1929年にモスクワ音楽院に進学。今度はイグムノフ教授に、音楽院で5年間、大学院時代に3年間の計8年間師事。1934年に計14年間の勉強を終えると、そのままイグムノフの助手として音楽院に雇用され、以後、亡くなるまでの40年間モスクワ音楽院で教えているので、勉強の14年間と合わせると54年になり、人生65年間のうち54年間、実に約83
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日本のオペラ界の草分け的存在(二期会の創始者の1人)であり、日本を代表するバリトン歌手であった中山悌一の伝説的名唱を集めた6枚組。得意のドイツ歌曲が中心。