18世紀の宗教復興とフランス革命を経て、西洋では「礼にかなった」作法を重んじる市民的価値観が浸透していった。リスペクタブルか否か?その問いかけはセクシュアリティをも正常/異常に区分し、国民主義と結びついて社会の管理・統制を強化した。逸脱行為と見なされた同性愛や売春は社会秩序を乱すものとされ、自制する「男らしさ」と、性欲を排した男同士の友情が市民道徳の基盤となっていくー。宗教、医学、芸術、性別分業、人種主義などの諸要素が絡まり合って作用し、市民的価値観と国民主義が手を取り合ってナチズムへ至る道が鮮やかに描き出される。文庫化にあたって、心理学者メアリー・ルイーズ・ロバーツによる新たな解説を付した。
南無阿弥陀仏と唱えれば来世で仏になれる。このシンプル極まりない法然の教えは庶民層から大歓迎された。しかし同時に「なぜ念仏だけでいいのか」という問いも浮上する。その問いに答えるべく、親鸞は当時よく読まれていた仏教書『唯信鈔』を解説する形で本書を執筆した。親鸞の答えはこうだ。念仏は修行などかなわない我々のために阿弥陀が用意した「行」であり、阿弥陀のはたらきそのものである。そして念仏すると阿弥陀の心が無意識下に入り込み、それが将来我々を浄土に連れていく。だから念仏の他は必要ない。『教行信証』と並ぶ代表作にして親鸞思想のエッセンスが詰まった最高の念仏入門。
ガロア理論の観点から被覆空間やフックス型微分方程式を考察し、群論と微分方程式をテーマにした入門書。代数系(群)、トポロジー、解析学(関数論)の交錯するような地点にこそ、数学的面白さはプリミティヴに生起すると著者は説く。本書の出自が東大教養学部ゼミナールの講義録のゆえか、概念や証明を図式と言葉のみで展開してゆく手並みは驚くほど鮮やかで、ユニークとしか表現しようがない。かの志村五郎氏をして、「常に高みを見据えていたひと」と言わしめた著者の伝説的名著を復刊。
天正十五年(1587)、豊臣秀吉は九州平定のため、大軍を率いて出陣。博多に凱旋し、戦勝祝いのさなか、「バテレン追放令」五カ条を発布した。日本でのキリスト教宣教に関する禁令である。キリシタン大名・高山右近を家臣団から排除したことと併せ、イエズス会士たちに強い衝撃を与えた。諸宗派間の平和共存を構想していた秀吉が転回をなすに至った背景には何があったのか。それは日本史上にいかなる反作用をもたらしたかー。イエズス会が支配する教会領長崎で起きた事件と、「バテレン追放令」を記す二つの文書の検証から、日本とヨーロッパの象徴的衝突に迫る。サントリー学芸賞受賞作の改訂増補版。
一九八一年、『さようなら、ギャングたち』によるデビュー以来あたためられてきたアイデアが、二十年を経て日の目を見たーそれは「日本という国に生きねばならぬ人たちについて書くこと」だった。文芸雑誌の締切に追われつつ出たとこ勝負で執筆された作品群に、作家は前世紀末から今世紀初頭にかけて見聞き感じ行動したすべてを注ぎ込む。感情、欲望、暴力、孤独、狂気、性、愛…に満ちた作品世界。
あの世とこの世のあいだにあるカフェ・ポンの店主・虹子に雇われて、もう会えない人からの想いを伝える「伝言猫」として働くふー太。伝言を届けるべき人たちが、ある事情で一堂に会するという山荘に向かうことに。ところが、大雪によって全員、その山荘に閉じ込められてしまい、ミステリ好きのふー太は…。猫の視点から人間のあたたかさや優しさを描くハートフルストーリー第二弾。文庫書き下ろし。
舞台は室町時代、播磨国。異形の鬼を式神に陰陽師兄弟が対するのは、かつて人間たちに討伐された、巨鹿の怪ー。新たな“陰陽師”像に迫る、シリーズ第二作!
立花からなげいれまで四季を通じて生けてきた花たちを美しい写真で紹介。
オーケストラはなぜ黒字を維持することが難しいのか?直面する経済的課題と対応する戦略を、データにもとづき統合的かつ詳細に分析する。
人生は「仲間力」が9割!元芸人社長が明かす6大奥義。初公開!仲間力アップマル秘マニュアル。