マルクス主義と資本主義擁護論の両者に共通する生産中心主義の理論を批判し、すべてがシミュレーションと化した現代システムの像を鮮やかに提示した上で、〈死の象徴交換〉による、その内部からの〈反乱〉を説く、仏ポストモダン思想家の代表作。
“女躰でありながら精神はあくまでも男”荒御魂を秘めて初々しく魅惑的な十一面観音の存在の謎。奈良の聖林寺の十一面観音を始めに、泊瀬、木津川流域、室生、京都、若狭、信濃、近江、熊野と心の求めるままに訪ね歩き、山川のたたずまいの中に祈りの歴史を感得し、記紀、万葉、説話、縁起の世界を通して古代と現代を結ぶ。瑞々しい魂で深遠の存在に迫る白洲正子のエッセイの世界。
元赤坂の芸者だった老女が、昔の男の突然の再訪に心揺れ、幻滅する心理を描く「晩菊」。女流文学者賞受賞。戦死した夫の空っぽの骨壺に、夜の女が金を入れる「骨」。荒涼とした、底冷えのするような人生の光景と哀しみ。行商の子に生まれ、時代の激動を生きた作家林芙美子が名作『浮雲』連載に至る円熟の筆致をみせた晩年期の「水仙」「松葉牡丹」「白鷺」「牛肉」等、代表作6篇。
“あなたはどこにおいでなのでしょうか”戦後間もなく発表された「反橋」「しぐれ」「住吉」三部作と、二十余年を隔て、奇しくも同じ問いかけで始まる生前発表最後の作品「隅田川」。「女の手」「再会」「地獄」「たまゆら」他。歌謡・物語、過去、夢、現、自在に往来し、生死の不可思議への恐れと限りない憧憬、存在への哀しみを問い続ける、川端文学を解き明かす重要な鍵“連作”等、十三の短篇集。
日残りて昏るるに未だ遠しー。家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。しかし、藩の執政府は紛糾の渦中にあったのである。老いゆく日々の命のかがやきを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説。
日本仏教の巨星にして曹洞宗の開祖・道元禅師に影の形に添うごとく参侍し、のち永平二世を嗣いだ懐弉禅師が随侍当初四年間の師の教えを、聞くにしたがって書きとめたものが『正法眼蔵随聞記』である。道元の人と思想、主著『正法眼蔵』を理解するうえでの最良の入門書でもある。本書は、最も信頼のおける写本である長円寺本をもとに厳密な校訂を施し、詳細な注、わかりやすく正確な訳を付した、他の追随を許さない決定版である。巻末に「道元・その人と思想」(増谷文雄)を付す。
とめどもなく存在感が稀薄化していく現代世界にあって、われわれの真の自己はどこに求められるのか。文明を築き上げた人類の英知はどこへ向かうのか。失われた牛を探し求める牧童の道行きを描く十枚の円相に禅の追究するさまざまな課題を内包させた古典「十牛図」を手引きにして、自己と他、自然と人間、自己自身への関わりについて考察し、現代人の「真の自己」への道を探る。テキストの現代語訳と詳注を併録。
東京、このふしぎな都市空間を深層から探り、明快に解読した、都市学の定番本。著者と紙上の探訪をするうちに、基層の地形が甦り、水都のコスモロジー、江戸の記憶が呼びおこされ、都市造形の有機的な体系が見事に浮かびあがる。日本の都市を読む文法書としても必読。サントリー学芸賞受賞。
本書は正史『三国志』のわが国唯一の完訳である。本冊には「魏書」第一〜第六を収める。三国の通史でもある帝紀四巻、后妃伝、後漢末の悪将董卓等の伝である。
喀血に襲われ、世紀末の頽廃を逃れ、サモアに移り住んだ『宝島』の作者スティーヴンスン。彼の晩年の生と死を書簡をもとに日記体で再生させた「光と風と夢」。『西遊記』に取材し、思索する悟浄に自己の不安を重ね,〈わが西遊記〉と題した「悟浄出世」「悟浄歎異」。-昭和17年、宿痾の喘息に苦しみながら、惜しまれつつ逝った作家中島敦の珠玉の名篇3篇を収録。
僕は三田村誠。中学1年。父と母そして妹の智子の4人家族だ。僕たちは念願のタウンハウスに引越したのだが、隣家の女性が室内で飼っているスピッツ・ミリーの鳴き声に終日悩まされることになった。僕と智子は、家によく遊びに来る毅彦おじさんと組み、ミリーを“誘拐”したのだが…。表題作以下5篇収録。
魏の武帝曹操は、蜀の劉備や呉の孫権よりも遥かにスケールの大きい人間であった。彼には乱世を生き抜く知力とバイタリティー、決断力があり、さらに人を引きつけ受け入れる磁力と度量があった。文武両面の人材を擁しえた所以である。本冊には「魏書」第七から第十三まで、すなわち曹操初期のライバル、呂布や陶謙、曹氏一族の武将、曹仁・曹洪や夏候淳、知識人の名ブレーン、鐘〓@5EE6らの伝を収める。
本冊には「魏書」第十四から第二十二まで、すなわち、北中国制覇の戦略を立てた郭嘉、屯田制によって兵糧を増産した任峻や杜畿、名将の張遼や于禁、悲劇の詩人王曹植、魏王朝の制度や官吏登用法を作った王粲や陳羣らの伝を収める。
「おれが死んだら死んだとだけ思え、念仏一遍それで終る」死の惨さ厳しさに徹し、言葉を押さえて話す病床の父露伴。16歳の折りに炊事一切をやれと命じた厳しい躾の露伴を初めて書いた、処女作品「雑記」、その死をみとった「終焉」、その他「旅をおもう」「父の七回忌に」「紙」等22篇。娘の眼で明治の文豪露伴を回想した著者最初期の随筆集。
本冊には「魏書」第23から終巻の第30まで、すなわち、司馬氏に抗して敗れた王浚や諸葛誕、蜀を滅ぼした〓@68B0艾と鍾会、曹操に殺された名医華佗、神のような占い師管輅、異民族(朝鮮や倭)ほかの伝を収める。
あらゆる表現があらわれた20世紀の美術を鳥瞰し、近代以降、現代すなわち同時代の感覚が生み出した芸術が、われわれにとって持つ意味を知的に探る待望の書。図版多数掲載。
曹操は風采の上がらぬ小男だったが、劉備は堂々たる偉丈夫で、人を心服させる不思議な魅力を持っていた。曹操を知の人とするなら、劉備は心の人であったろう。関羽と張飛が死を賭して献身し、諸葛亮が主の死後にも誠実無比の忠節を尽しつづけたのは、そのためであった。「蜀書」全十五巻には、蜀の遺臣陳寿の亡国に対する思い入れと、諸葛亮への深い敬愛がこめられている。
足軽から身を起こした秀吉は父祖伝来の領地もなければ親族も少く、将から兵にいたるまでその人材に乏しくていつも寄合所帯だった。秀長は人柄もよく、様々な実務に抜群の才があつたばかりではなく、いくさでも負けを知らなかった。兄の大胆さを補うに弟の手堅さ、秀吉の成功はこの人なくしてはありえなかった。